日経メディカルオンラインで、東京の永寿総合病院の緩和ケア医・廣橋猛先生の連載が始まっています。



連載: 廣橋猛の「二刀流の緩和ケア医」(要ログイン)



緩和ケアを、本当の臨床家が、一般に向けて継続して伝える場というのはけして多いわけではないので、嬉しいことです。先生の連載には期待しています。


そして、このような良質な情報を元に、正しい緩和ケアの理解が広まってほしいと願います。



私自身もヨミドクターでの連載の際は、皆さんに興味を持って頂くことに苦心しました。


緩和ケアにまつわる情報は、それこそ当事者でなければ、なかなか定着しがたいものでもあるでしょう。


また誤った情報も、残念ながら、広がりやすくもあります。



ヨミドクターの記事も、今もすべて閲覧できますから、ぜひとも活用して頂ければ有り難く存じます。



専門家に聞きたい!終末期と緩和ケアの本当の話


上のリンクにある、下記の記事などが参考になると思います。


「モルヒネは怖い薬?」の続き(2013年12月5日)

モルヒネは怖い薬?(2013年11月28日)

緩和ケアの「常識」を変えよう(2013年11月7日)



最近こういう言葉がしばしば見かけられ、少し違う、と感じます。



「延命治療より緩和を選ぶ」

Q 何が違う?

A 延命と緩和は対立する概念ではない。緩和ケア・緩和医療は延命治療をするしないに関わらず、提供されるもの。

ただ緩和ケアは生活の質を改善することが目的なので、ある延命を企図した医療行為により苦痛が強く増えることが予想されるような際は、その治療の是非についてよく相談して一緒に判断を行ってゆくことが重要(それも緩和ケアの一環)。

緩和医療で延命に寄与したという研究結果もあることに注目(ここからも緩和ケアをすることと、延命は別にAかBかで選択するものではないことが理解できる)。なお緩和医療介入群では、余命が少ない状況での抗がん剤使用が少なかったことが指摘されている。


解決策 「症状緩和あるいは緩和ケアは常に行ってほしい」「症状緩和は常に提供される」という言葉を広める。



「モルヒネを打って楽にしてほしい」

Q 何が違う?

A この言葉は「いろいろな意味で」間違い。

間違い1 現在の通常の使用法で、医療用麻薬で命を縮めることはない。

間違い2 モルヒネは最近以前ほど頻繁に使わない(副作用が強いからではなく、他にも良い薬剤が出ているため)。

間違い3 (注射で)打たない。飲めるならばまず内服。

間違い4 モルヒネはいい薬だが、すべての問題が一挙解決するほどの絶大な力はない。多くの場合は少量から始めて、増量し、適切な量になることでしっかり効果を発揮する。

最大の間違い (この言葉が本気で患者さんから発せられるのならば、それは)命は縮めず、苦痛は取れるのに、まず痛みが取れていないからこの言葉が出てしまう。要するに、つらさに対してアプローチされていない。本気で言わせてしまうことが最大の間違い。


解決策 「緩和=モルヒネ=終末期=安楽死」的なイメージを、もうそろそろ打破する。皆さんの周囲にそのようなことを仰る方がいたら、ぜひそうではないことを教えてあげてください。



「壮絶な闘病」

Q 何が気になる?

A 壮絶な闘病は、しばしば「緩和ケアを退ける」(※)「苦しさは薬に頼らず歯を食いしばって耐える、我慢する」「できる治療は(代替・免疫医療も)すべてするスタンス」「すべての治療がやっただけ長生きすると思い全力で治療する」などと縁戚関係。

※ かつて有名人のTさんが亡くなられた時は、今より少し前だったということもあり、「緩和ケアも拒んで」闘病したと、それもまた壮絶さに加飾されるものとしてやや美談的に報じられていました。これを聴いて私がどう思ったかは、後に述べる通りです。


しかし「壮絶」に病気と「闘う」人より、苦しみをできるだけ抑えて、(可能な限りで)楽に生活している(ことに留意している)方のほうが、息が長い気がします(これは私の印象)。


私の記憶の、予想を超えて長生きした方たちは皆、「明るく」生活されていました。


ばりばりに闘う、という感じより、まるで腫瘍がないかのように(難しいことですが)生きていらっしゃいました。もちろん意識から消えることはないものの、ことさら敵意をむき出しにして、倒す、撲滅する、克服する、とはならずに。


壮絶な闘病は、心身の消耗も激しく、苦痛緩和もしなければ、あっという間に余力が尽きてしまうのではないかと感じます。苦痛緩和は無用なストレスや消耗を招かないためにもまず重要です。

そして心構えとしても、無理に全身と心を常時奮い起こして闘いすぎずに、肩の力を抜いてことに望むのが、重要な気がします。

これらはあくまで私の印象です。もちろん当てはまらない方もいると思います。ですが、私の経験では「壮絶な闘病」の正反対の方が長生きされたことが多いので、私自身はなるべく「闘病」という言葉を使用しないようにしています。多くの方が、もう十分病気に対して心身ともに格闘され続けているため、これ以上「闘う」という言葉を出して、追いつめたくないのです。

まるで孫子の兵法、”百戦百勝は、善の善なる者にあらざるなり。戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり”(百回戦って、百回勝っても、それは最善とは言えない。戦わずに、屈服させるのが最善の策である)のようですね。

そんな”病との付き合い上手””明るい長距離ランナー””(必要以上に)がんばらない、闘わない””病も生活の一部だが、全てではない”が最強なのではないかと感じる日々です。


解決策 壮絶な闘病→美学、的なイメージは良くない。壮絶な闘病をしている人は本当は長く生きたいのだから、しばしば目的と手段が異なっているように感じる。壮絶な闘病より、ことさらに闘いすぎずに、心身の消耗を抑え(緩和も適切に併用し)、うまく病気と付き合えることのほうがずっと目的にかなっており、息が長くなるかもしれない、ということが知られてほしい。

”壮絶な闘病”ってむしろ良くないのではないの? という感覚が広まってくれると良いのではないでしょうか。滅びの美学(勝つか負けるか。全力で闘病し、ダメだったら潔く滅ぶまで……)に絡め取られることなく、せっかく生まれてきたのですから、苦痛少なく、息が長く、楽しく生き抜いてほしいといつでも私は思っています。


以上です。

緩和ケア、モルヒネ等についての正しい情報が少しずつでも広まることを願っています。