皆さん、こんにちは。大津です。



GWはいかがだったでしょうか?



あきんこさんからメッセージを頂戴しました。


ありがとうございます。


ご紹介させて頂きます。



(以下頂いたメッセージです)



大津様

初めてメッセージを差し上げます。

三月の末、父を看取りました。父は約15年もの間、がんと共生していました。仕事柄、製薬関係の知識や最新情報に強かったため、抗がん剤を一度も使うことのない闘病生活でした。抗がん剤の是非を論じるつもりはありませんが、父が最重視していたのはQOLでした。食事制限がつきまとい、最後には食べられなくなって辛かったとは思いますが、父の希望通り定年後も勤め続け、かなりの間入退院を繰り返しながらも家で生活し、最期は緩和ケア病棟で過ごすことで、QOLを保てたと思います。

先生のご本を読んだのは、すでに父の意識レベルが低下した最後の10日ほどでした。父を看取るにあたり、一番の後悔は「もっと早く読んでいればよかった」ということです。

末期がん患者の最期について先生の書かれていた通りの経過で、父は逝きました。月初めの喀血のあと、坂道を転がり落ちるように容体が悪化し、前後してせん妄症状が出始めました。病室に入る度に手首の脈をとっては一安心する日々が続くものの、すでに父との意思疎通は不可能になっていました。排泄量が減り、脈が乱れ始めると、今度はいつ下顎呼吸が始まるのかとじっと父を見ていました。

勤めのある兄弟と異なり、育休中だった私は最後の50日ほどを父と過ごすことができました。付き添い泊をする母の代わりに家事をしつつ、乳幼児を連れて病院に通う日々は、正直大変でした。夜子どもを寝かせたあと、目前に迫った父の死を待つために病院に通う虚しさを感じました。それでも、離れて過ごす兄弟に比べれば、父の死の経過を見守ることができて、私はよかったと思います。休みの度に見舞いに来ていても、一週間前と比べて明らかに悪化した父の容体に兄弟はショックを受けていました。

意識レベルの低下により苦痛はないこと、死前喘鳴も聞いていると辛いが苦痛はなく、痰吸入しても無意味なことなど、ドクターのお力も借りて、家族に説明することで皆取り乱すことなく見守ることができました。ただ、家族が皆薬(特に医療麻薬)への抵抗が非常に強かったため、鎮静剤や夜間の眠剤使用を了承できないままでした。もしかしたら父を苦しめてしまったかもしれないとも思いますが、父自身がなるべく薬は使いたくないと希望していたため、その希望に沿ったのだと自分に言い聞かせています。

先生のご本を読んだおかげで、私と家族は父を看取ることができました。「死の過程を知っている」ことで、父の変化に気づくことができたのです。脈が乱れ始めたときには遠方の兄弟を呼び集めることができました。下顎呼吸が始まったときには、病室にいなかった家族を呼び寄せ子や孫全員で父を看取ることができました。「死の過程を知っている」ことが、看取る側にとってこれほど重要とは思っていませんでしたが、確かに私の心を支えてくれました。

ただ、もっと早く読んでいれば。そしたら、父の意識がなくなる前にもっともっと感謝を伝えられたのに。鎮静剤や眠剤の使用について、正しい理解の元でもっと父の苦痛を減らしてあげられたかもしれないのに。もっと、父のためにたくさんしてあげられたのに。

それでも、父の死の前に読めてよかったと、心から感謝しています。せん妄のことを知っていたため、取り乱さずに受け止めることができました。意識のない父の手を握り、家族でずっと声をかけることができました。一度は母が断った父のご友人にも会いに来ていただくことができました。長年お世話になった先生やスタッフさんにも最後に会っていただくことができました。

父はせん妄状態になっても暴言を吐くことなく、最後まで家族のことを心配してくれました。長い闘病生活でも、弱音を吐くことなく常に前向きでした。緩和ケアに移っても、治すことを諦めませんでした。孫が生まれるまでと頑張って生きて、結果4人も抱いてくれました。早期にがんを見つけてくれたため、月に一度は帰省して孫を会わせることができました。「何も残せなかった」と言っていたようですが、子や孫が確かに残っています。

父の最期を看取ることができて、本当によかった。先生のご本が、父の死を看取る私達家族を支えてくれました。心より御礼申し上げます。そして、死期の迫った患者さんやご家族だけでなく、がんを患われた方が早い段階で先生のご本に出会われることを願っています。


(以上頂いたメッセージ)


あきんこさん、ありがとうございました。


またお父さまのこと、深く哀悼の意を表します。


拙著が少しでもお役に立てたようで、良かったです。


「父の意識がなくなる前にもっともっと感謝を伝えられたのに」とあきんこさんはおっしゃっていますが、意識がないように見えても、声は届いているのではないかと感じることしばしばあります。


私たち医療スタッフが話しかけても何も反応がなくても、ご家族がいらっしゃって「来たよ」と仰ると、指や眉間がぴくりと動いたり、そんなことはしばしばあります。


反応がなくても、耳は聴こえ、また触覚も保たれている可能性があります。


もしかすると、感覚が限られている分だけ、より鋭敏な側面もあるのかもしれません。


私も訪室すると、普通に反応があって「ああ、反応がありますね」と言うと、「先生が来た時だけそうなんです」とご家族に言われることがありますが、まるで空気を感じ取っているかのような気さえします。


「先生ばっかり」と言われることもあるのですが、もちろんご家族の皆さんが来られても、しっかり反応していらっしゃいますよ、と思います。どうしてもご家族のお立場だと、反応が少なく、残念に思えてしまうのです。


臨死期の、意識が低下してしまっている愛妻家の患者さんに、「奥さんが今日も来ますよ」とお伝えすると、不思議と少しお顔が穏やかになるような気がする……そんなことを私たち医療スタッフはしばしば経験しています。


いずれにせよ、すべての感覚が一切ないわけではどうもなさそうです。


あきんこさんは、お話しを伺うに、お父さまのそばに可能な限りいらっしゃったと思います。


それは、行動で、感謝を伝えることそのものであったのではないでしょうか。


不思議と空気を感じ取っているかのように臨死の方は見えることから考えると、あきんこさんの、娘さんの温かい気持ちや存在をそばに感じながら、孤独の苦しみ少なく、自身の生を振り返り、我が子を育て、またその子に看取られ、また自らが育てた子がまた親となり、自身は祖父として逝く、そんなことに思いをはせながら旅立たれたのではないかと思います。


生と死の極限の場に、時に言葉は無力です。


言葉が用を為さなくても、触れ、抱き、あるいはただそばにあり続けることが、時に言葉よりも雄弁に思いを伝えることもあります。


重い病気や、死と直面することは、変わってもらえない大変さであり、時に絶望的な孤独です。


お子さんのお世話をしながら、お父さまのそばに通い続けたことは、何より苦悩するお父さまの手を取って苦難と立ち向かう力を与えるものであったのではないかと拝察いたしました。



まだ1ヵ月あまり、あきんこさんもご家族の皆さんも見えない疲労がたまっているかもしれません。


どうかご自愛ください。



それでは皆さん、また。
失礼します。