皆さん、こんにちは。大津です。


何かの怪しそうなものを暴くというのは大変で労力がかかります。


STAP細胞も、検証には時間がかかりました。


ただ当然のことながら、誘導めいた言論を多用すれば、「この人の言うことは本当だろうか」という疑いが生じることだと思います。


昨年、ヨミドクターに掲載しようとしたものの、スペース等の関係で果たし得なかった文章をこちらで紹介しようと思います。


【疑わしい図再び】


プレジデント誌12月29日号で近藤誠さんは「健康診断が寿命を縮める」という論を述べられていますが、それを指し示すものの一つとしてある表(同誌p24)を出されています。



オンラインでも閲覧できます。
http://president.jp/articles/-/14110?page=2

まず上記の表の「BMI値(男性)」をご覧ください(2015年4月6日リンク・図表確認)。

BMI値の表で、長生きできる人の値は「27.0~29.9」とあります。

私の出身県の茨城県は、本当に軽度肥満が長生きできるのか? と出典を確認してみます。

リンク先のグラフには出典に「茨城県健診受診者生命予後追跡調査事業報告書」とあります。

オンラインで検索すると、同様の事業報告書は4つあります(http://www.hsc-i.jp/05_chousa/seimeiyogo_chousa.htm。追跡10年、12年、15年、17年のもの)。

プレジデント誌の表は、まず出典がいつのものかが明示されていません

そして“長生きできる人の値”というのも表示されていません

報告書を見てゆくと、どうも「全死亡リスク」をそう表現されているようです。

それでは全死亡リスクはどうか。

確かに最初の2回ではBMI値「27.0~29.9」の全死亡リスクは0.9(BMIが23.0~24.9の人の死亡を1とした時に)なのですが、追跡15年ではBMI値「27.0~29.9」と他の群の意味のある差は消失し(有意差を示すマークが消え)、最新の追跡17年(平成25年版)のものでは下記のようになっています。

オンラインで閲覧できますのでご覧ください。
http://www.hsc-i.jp/05_chousa/doc/seimeiyogo_chousa/jigyouhoukoku_25.7.pdf

18ページです。



BMIの21.0~29.9が、全死亡リスクが一番低いですね。

“長生きできる人の値”として「21.0~29.9」と表示されてもおかしくありません。

少なくとも“長生きできる人”として値を「27.0~29.9」に限り、基準値内の(27.7以下の)BMIの人はまるでそうではないように表で示すのはいささか誤解を招くのではないかと思います。


なぜこんなことをするのか、と言えば、「健康診断は無意味」「基準値はあてにならない」というご自身の説を補強するためでしょう。


そのために、わざわざ軽度肥満者の全死亡リスクが少なく出ている年度の調査を、出典がどの年度の資料かを記さずに出し、“長生きできる人の値”という全死亡リスクより耳目を引きそうな言葉をチョイスするのです。


さすがだなと思うのは、「検診で(総)死亡率は減らない」というテクニックと同じで、突かれてもかわせる余地を残されていることです。


データの選択が恣意的では、と指摘されても、「そのようなデータがあるから」とかわすことができます。


けれどもわざわざ昔のデータを示さずとも、最新のデータを出せば良いと思うのですが、そうしないのは、あくまでBMIが基準値を上回ったほうが”長生きできる”と読者に捉えてもらいたいからです。


このような仕掛けから、あるいは一連の表現を見ていると、それが故意であることは、ブログ読者の皆さんはきっとおわかりだと思います。



新聞社の連載のために、背景を調べるために私もこのように出典をあたって調べましたが、普通は一般の読者さんが出典を当たることは少ないのではないかと思います。


つまり、このように実際は「怪しい」ものでも、そのまま受け取られてしまうことがある、ということです。


本当は掲載するメディアが出典をしっかりと調べるべきです。


メディアの影響力は大きく、「そのまま」信じられてしまう可能性があることを考えると、特に健康や生き死にが関わる件については慎重になってもらいたいと思うのです。


しかし現実には、先日の新聞のように、ほとんどスルーされてしまっています。


誤った決断をしないために、現状では、メディアが報じることを吟味する作業は避けられないと思います。



一方で難しさもあります。


少し前、高齢の親族と話した時に、ある気づきがありました。


「でも私たちは、出てくるものをそのまま信じるしかない。わからないもの」


と、彼女は言っていました。


確かにインターネットを使用できる相対的若年者は、反対意見も簡単に調べられます。


今回の記事のように、出典を調べられ、その表現の怪しさに気がつけます。


けれども、例えば私も、老境に達した自分の父母や親族が、この巧妙なテクニックを見抜けるかと問われれば難しいと言うしかありません。


また医療本の分野では本屋は今や危険地帯と化し、物事を「単純化」した本が大量に陳列されています。


耳目を引くために過大に医療の怖さを強調する本や、その真反対の「これで治る」「これで長生き」「これで健康」という”ひとつ行うだけで◯◯になる”という本(テレビでもそういう番組が散見されます)……。


考え、調べることには、大きな労力がいります。


また調べれば調べるほどわからない、雑多な意見があるということに対して、動揺しない精神的な強さもまた必要になります。


手っ取り早く答えが出ないストレスに、「いいから早く答えを教えて」とギブアップしない心身の力が、常に「本当なのか」と熟視する力が必要です。


もちろん年を重ねても、頭脳明晰で怪しいものを見分ける力を持っているご高齢の方もいらっしゃいます。一方で、通例は、労力がいる検証作業を行う力は、ある程度年齢とともに変わらざるを得ません。私もそうなると思います。


「どうしてこんなものに引っかかるの?」というような振り込め詐欺が報じられる時代。


最近の一連の事象を見ていると、素直で、信じやすい高齢者に向けて、活字を比較的読む世代に向けて、私は巧妙に発信されている、いわば高齢化社会のビジネスの一類型を見ているような印象を受けます。


特徴のひとつは不安を煽り<”医者に殺される””息子が仕事で大失敗をした”>、解消する(よう見せかける)<”がんは放置すれば大丈夫””お金を払って建て替えれば大丈夫”>という感情に働きかけるもの、図式が単純明確なものであることです。


もちろん、このブログの読者さんのような、まだ多くが老齢に達していらっしゃらない方の間では、最近出回っている極論が怪しいことは次第に共有されてきていると思います。


どうかお家の、あるいはご実家の、あまりインターネットを使わないような方にも、それを共有する、というのが次のステップなのではないかと思います。


怪しい論の欠点は、(慢性病の場合に)共有できる平易な情報をもとに、医療者と患者さん・ご家族が十分話し合って、その方にふさわしい医療を選び取ってゆく、という作業の妨げになってしまう点です。(例えばがんの苦痛緩和の医療などに代表される)必要なものまで遠ざけてしまうことはあってはならないと思います。


最近の「これで治る」あるいは「医者や製薬会社は信用ならない」という2系統の医療本……もといビジネス本は、良質なコミュニケーションを妨げる先入観を形成し得、これからの医療現場に益することがないと考えます。それが、私がこれらの論に対して記している大きな動機です。


高齢化社会のビジネスに、大切な方が絡め取られないために、どうか皆さんもよく年長のご家族やご親族と連絡を取り、最近の読書傾向などを聴きながら、怪しい論に心を奪われないようにご注意して頂ければと存じます。もちろん振り込め詐欺なども含めて、予防する効果があるのではないでしょうか。コミュニケーションがやはり大切です。


それでは皆さん、また。
失礼します。