皆さん、こんにちは。大津です。
世の中には理不尽なことが大変多いです。
最近報じられた23歳の社会福祉士(医療ソーシャルワーカー)が警官に殺されてしまった事件などもそうです。
毎日新聞の記事から。
大阪・警官殺人:被害女性の父「夢への道 半ばで…」
(以下引用)
◇母をがんで失い… 「がん患者に寄り添う仕事選び」 【記事;藤顕一郎、山本健太】
大阪府警の警察官が逮捕された女性殺害事件で、犠牲になった社会福祉士の白田光(ひかる)さん(23)は約4年前に母親をがんで失い、がん患者に寄り添う仕事を選んでいた。「非のない愛娘がなぜ命を奪われたのか。悔しい」。父親の弘之さん(55)=山形県西川町=が取材に初めて応じ、娘の無念を代弁した。
「お母さん、もっと話したかったよ。私の花嫁姿を見てほしかった。私の子供も抱いてほしかった」
東日本大震災から間がない2011年5月、がんと闘っていた母が亡くなった。参列者によると、大学2年だった白田さんは葬儀で弔辞を読み、涙を流しながら母の遺影に語りかけた。
白田さんは人口約6000人の西川町の山あいの集落で3姉妹の末っ子として生まれ育った。高校を卒業後、社会福祉を学ぼうと仙台市の東北福祉大に進んだ。
「優しい子だった。祖父母と同居していたこともあり、幼いころから医療に関心を持っていた」
弘之さんは今月8日、弔問客の花束で埋まる自宅の仏間で白田さんの遺影を見つめてこう振り返った。
幸せな家族だったが、母ががんに侵される。震災の後、白田さんは実家に戻り、寝る間も惜しむように病院に通い、がんと闘う母のそばにいたという。
母が亡くなった後、白田さんは弘之さんら家族に将来の夢を打ち明けるようになった。「終末期のがん患者さんの心に寄り添う仕事に携わりたいんだ」
白田さんはインターネットなどで就職先を探し、最終的に大阪市東住吉区のがん治療の拠点病院を選んだ。弘之さんには、がん治療に力を入れるこの病院の魅力を伝えた。卒業後の昨年4月、患者や家族の相談に乗る医療ソーシャルワーカーとして働き始め、社会福祉士の資格も取った。
<略>
病院では自分の母と重ねるようにがん患者に尽くした。昨年秋、末期がん患者の家族から「わずかな時間でも自宅に連れて帰りたい」と相談され、「かなえてあげてほしい」と上司に何度も掛け合い実現させた。
事件から2日後の1月26日、白田さんは遺体となって雪深いふるさとに帰った。実家には友人や地域の人が絶え間なく弔問に訪れ、変わり果てた姿に涙した。ひつぎで眠る白田さんは母の写真を胸に抱いていた。
(以上引用)
大切なお母さんをがんで亡くしたことをきっかけに、「終末期のがん患者さんの心に寄り添う仕事に携わりたい」と決心し、医療ソーシャルワーカーになったのです。
親を失った悲しみが癒えずに、いつまでも心の傷が残る方も中にはいます。
それでも当然であります。
けれどもそれをきっかけに、同じような苦しみを持つ人たちを支えたいと、悲しみをバネとして前に進む方もいます。
医療ソーシャルワーカーは非常に大切な仕事です。
どのような社会資源とつなげてもらえるかによって、運命はしばしば大きく変わるからです。
ソーシャルワーカーはどこも少人数で、ハードワークだと思います。
数多くの調整を行わねばならない一方で、特に終末期の方の場合は、先を見据えての細やかな配慮が不可欠です。
熱意ある、そしてまた終末期の医療に関心を寄せている医療者が失われてしまったことに、深い悲しみを覚えると同時に、犯人に怒りを感じます。
震災の応援で宮城県警に出向していた大阪府の警官と、宮城の大学に通う被害者はイベントで知り合い交際、卒業後は容疑者を追うように大阪にて勤務、しかし容疑者は昨年に別の女性と結婚、それを隠して被害者と交際を続け、発覚して別れ話となった末の凶行であったそうです。
出会いは本当に運命を変えてしまいます。
悪縁を感じる嗅覚、断ち切る勇気が必要ですが、”魅力的な嘘つき”は世の中にたくさん存在しますから、特に弱っている時ほど用心しなければいけません。
このブログをご覧になってくださっている皆さんも、どうかお気をつけください。
もちろんどんな医療者も貴重な存在ですが、私は自身が従事していることもあり、特に終末期医療・ケアの従事者や理解者は欠くことのできない存在だと思っております。
だからこそ、心身を大切にしてほしいと心から思います。
仕事も重要ですが、それを支える普段の生活も本当に重要です。
プライベートの生活からの学びが仕事に生きることもありますし、あまりに私生活が乱れると、仕事のパフォーマンスに(本人はそうならないようにしていたり、あるいは自覚がなくとも)影響を余儀なくされることもあります。
あるいは、日本は相当ストイックな存在を賞賛する向きがありますが、仕事ばかりで私生活を顧みないと、いざというときに悔いが生じたり、あるいは家族の事後の悔いが強かったりもします。
仕事と生活は両輪であり、バランスよく両輪が回ることで、前に進むようなものかもしれません。
必要以上に苦しく悲しい経験をするようなことはなるべく遠ざけて、自分を安心させるもの、安住させるものを近づければ、悪縁から身を守ってくれるのではないかとも感じます。
それでは皆さん、また。
失礼します。
世の中には理不尽なことが大変多いです。
最近報じられた23歳の社会福祉士(医療ソーシャルワーカー)が警官に殺されてしまった事件などもそうです。
毎日新聞の記事から。
大阪・警官殺人:被害女性の父「夢への道 半ばで…」
(以下引用)
◇母をがんで失い… 「がん患者に寄り添う仕事選び」 【記事;藤顕一郎、山本健太】
大阪府警の警察官が逮捕された女性殺害事件で、犠牲になった社会福祉士の白田光(ひかる)さん(23)は約4年前に母親をがんで失い、がん患者に寄り添う仕事を選んでいた。「非のない愛娘がなぜ命を奪われたのか。悔しい」。父親の弘之さん(55)=山形県西川町=が取材に初めて応じ、娘の無念を代弁した。
「お母さん、もっと話したかったよ。私の花嫁姿を見てほしかった。私の子供も抱いてほしかった」
東日本大震災から間がない2011年5月、がんと闘っていた母が亡くなった。参列者によると、大学2年だった白田さんは葬儀で弔辞を読み、涙を流しながら母の遺影に語りかけた。
白田さんは人口約6000人の西川町の山あいの集落で3姉妹の末っ子として生まれ育った。高校を卒業後、社会福祉を学ぼうと仙台市の東北福祉大に進んだ。
「優しい子だった。祖父母と同居していたこともあり、幼いころから医療に関心を持っていた」
弘之さんは今月8日、弔問客の花束で埋まる自宅の仏間で白田さんの遺影を見つめてこう振り返った。
幸せな家族だったが、母ががんに侵される。震災の後、白田さんは実家に戻り、寝る間も惜しむように病院に通い、がんと闘う母のそばにいたという。
母が亡くなった後、白田さんは弘之さんら家族に将来の夢を打ち明けるようになった。「終末期のがん患者さんの心に寄り添う仕事に携わりたいんだ」
白田さんはインターネットなどで就職先を探し、最終的に大阪市東住吉区のがん治療の拠点病院を選んだ。弘之さんには、がん治療に力を入れるこの病院の魅力を伝えた。卒業後の昨年4月、患者や家族の相談に乗る医療ソーシャルワーカーとして働き始め、社会福祉士の資格も取った。
<略>
病院では自分の母と重ねるようにがん患者に尽くした。昨年秋、末期がん患者の家族から「わずかな時間でも自宅に連れて帰りたい」と相談され、「かなえてあげてほしい」と上司に何度も掛け合い実現させた。
事件から2日後の1月26日、白田さんは遺体となって雪深いふるさとに帰った。実家には友人や地域の人が絶え間なく弔問に訪れ、変わり果てた姿に涙した。ひつぎで眠る白田さんは母の写真を胸に抱いていた。
(以上引用)
大切なお母さんをがんで亡くしたことをきっかけに、「終末期のがん患者さんの心に寄り添う仕事に携わりたい」と決心し、医療ソーシャルワーカーになったのです。
親を失った悲しみが癒えずに、いつまでも心の傷が残る方も中にはいます。
それでも当然であります。
けれどもそれをきっかけに、同じような苦しみを持つ人たちを支えたいと、悲しみをバネとして前に進む方もいます。
医療ソーシャルワーカーは非常に大切な仕事です。
どのような社会資源とつなげてもらえるかによって、運命はしばしば大きく変わるからです。
ソーシャルワーカーはどこも少人数で、ハードワークだと思います。
数多くの調整を行わねばならない一方で、特に終末期の方の場合は、先を見据えての細やかな配慮が不可欠です。
熱意ある、そしてまた終末期の医療に関心を寄せている医療者が失われてしまったことに、深い悲しみを覚えると同時に、犯人に怒りを感じます。
震災の応援で宮城県警に出向していた大阪府の警官と、宮城の大学に通う被害者はイベントで知り合い交際、卒業後は容疑者を追うように大阪にて勤務、しかし容疑者は昨年に別の女性と結婚、それを隠して被害者と交際を続け、発覚して別れ話となった末の凶行であったそうです。
出会いは本当に運命を変えてしまいます。
悪縁を感じる嗅覚、断ち切る勇気が必要ですが、”魅力的な嘘つき”は世の中にたくさん存在しますから、特に弱っている時ほど用心しなければいけません。
このブログをご覧になってくださっている皆さんも、どうかお気をつけください。
もちろんどんな医療者も貴重な存在ですが、私は自身が従事していることもあり、特に終末期医療・ケアの従事者や理解者は欠くことのできない存在だと思っております。
だからこそ、心身を大切にしてほしいと心から思います。
仕事も重要ですが、それを支える普段の生活も本当に重要です。
プライベートの生活からの学びが仕事に生きることもありますし、あまりに私生活が乱れると、仕事のパフォーマンスに(本人はそうならないようにしていたり、あるいは自覚がなくとも)影響を余儀なくされることもあります。
あるいは、日本は相当ストイックな存在を賞賛する向きがありますが、仕事ばかりで私生活を顧みないと、いざというときに悔いが生じたり、あるいは家族の事後の悔いが強かったりもします。
仕事と生活は両輪であり、バランスよく両輪が回ることで、前に進むようなものかもしれません。
必要以上に苦しく悲しい経験をするようなことはなるべく遠ざけて、自分を安心させるもの、安住させるものを近づければ、悪縁から身を守ってくれるのではないかとも感じます。
それでは皆さん、また。
失礼します。