皆さん、こんにちは。大津です。
やむやむさんから決断にまつわるメッセージを頂戴しました。
やむやむさん、ありがとうございます。
(以下頂いたメッセージを引用)
いつもブログを読ませていただいています。やむやむと申します。
私は昨年の6月に父を肺がんで亡くしました。68歳でした。
(父の闘病の様子は、ブログ内で「父のこと」というテーマで書いています。)
父が闘病中に先生の「傾聴力」という本を読ませていただき、
痛みや病に苦しむ父とどう接したらいいのか悩んでいたころ、
とても参考になりました。
以来、父が亡くなってからも先生の本は読ませていただいています。
さて、決断についてですが、これは私と父の決断になると思います。
それは、緩和ケアの病院に移るかどうかでした。
しかし、父にとっては辛い選択だったようです。
もう治る見込みがないと判断され、いつも外来でお世話になっている病院から
見放された思いだったそうです。
私は、とにかく父を痛みから解放してあげたい一心で、父に
「緩和ケアの病院に移ろう。」と、何度も言いました。
そして、父と二人で緩和ケアの外来に行き、即入院の許可が出ました。
父に「どうする?」と聞くと、「今日から入院する。」と言いました。
「私もそれがいいと思う。」と、母にも相談せず、二人で決断しました。
病院から、母や兄弟に連絡すると「どうしてそんなに急に入院させたんだ。」と、
非難されたりもしましたが、父と私はこの決断でよかったと思っていました。
父は「自分を見てくれる病院がある安心感。」
私は「痛みを取っていきましょう。」と言ってくれた先生の言葉に
どれだけ救われたかわかりません。
緩和ケアは、患者とその家族を癒してくれる存在でした。
最終的には、母も兄弟もいい病院で見てもらえてよかったと言っています。
父の場合、タイミングよく緩和ケア病棟に空きがあり、すぐに入れましたが、
いまだ順番を待っておられる方もたくさんあると思います。
もっと、充実して不安な思いを抱えた患者さんが減ることを願っています。
お忙しいのに、長いメッセージで申し訳ありません。
今後のご活躍、期待しています。
(以上頂いたメッセージを引用)
緩和ケア病棟は一般に待ちが長く、最近のようにかなり後まで治療ができるようになっている状況だと、治療終了後から申し込むと転院が間に合わないことがよくあります。
一方で治療を終了しないと面談を受け付けてもらえないホスピス・緩和ケア病棟もあるので、それも難しい点です。
それでも間に合っている方は間に合っているのは事実。
やむやむさんとお父様のスピーディーな決断に注目です。
おそらくこの思い切りがあったからこその結果だったのではないかと思います。
決断には必ずタイミングがあります。
特に人生の最後の療養に関しては、ある程度余裕をもって動いてゆくのにこしたことはありません。
人は人との関係において支えられることは言うまでもありません。
それならば、最後をともに支えてくれるはずの医療者とも、ある程度関係を作り上げる時間があったほうが良いことは想像できると思います。
私自身は、ホスピスに勤務していた時に、最後の数日で転院されて来られた方をどのように支えるかということはとても難しく感じました。
そのような状態だと、意識も低下していたり、倦怠感が非常に強くてコミュニケーションが取りづらかったり、その方の人となりやこれまでの生き方を知ることが難しく、従って支えることが難しいと感じたのです。
これが最後の数ヶ月だと、その方を理解する時間があって助かりました。
残念ながらその後診療報酬が変わり、最近はホスピス・緩和ケア病棟に長期入院すると、病院に付与される報酬が減額されることになってしまったため、(施設によって差はありますが)長期の入院も困難になってきているという状況があります。ただ一定以上の時間を重ねることで、何とか支援の糸口を見つけられたようなこともありますので、個人的な感覚ですが一律に診療報酬減はちょっと・・・と感じています。
身寄りがない、統合失調症の高齢男性を500日以上ホスピスで拝見した例がかつてありました。彼はホスピスの入り口隣の部屋が自室で、朝はよく廊下に立って私たちを迎えてくれました。まるでスタッフのようでした。
気さくに「おお」と声をかけてくれる彼の様子に元気をもらっていた患者さんやご家族もいたと思います。
たかだか10年ほど前の話ですが、牧歌的な時代だったのかもしれませんね。
なお次にその部屋に入った高齢の女性は霊感が強い(とご自身で仰っていた)女性で、誰も何も伝えていないのに、「部屋の外におじいちゃんが立っているね」と仰り、私たちを一瞬ゾクッとさせ、そして「あるかもなあ」とほっこりさせたものです。
やむやむさんのメッセージは、タイミングをしっかり捉えることの重要性を教えてくださっていると思います。
やむやむさん、ありがとうございました。
皆さんの「決断」にまつわるメッセージをお待ちしております。
それでは皆さん、また。
失礼いたします。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20150217/06/setakan/fd/87/j/t02200273_0800099413220559159.jpg?caw=800)
やむやむさんから決断にまつわるメッセージを頂戴しました。
やむやむさん、ありがとうございます。
(以下頂いたメッセージを引用)
いつもブログを読ませていただいています。やむやむと申します。
私は昨年の6月に父を肺がんで亡くしました。68歳でした。
(父の闘病の様子は、ブログ内で「父のこと」というテーマで書いています。)
父が闘病中に先生の「傾聴力」という本を読ませていただき、
痛みや病に苦しむ父とどう接したらいいのか悩んでいたころ、
とても参考になりました。
以来、父が亡くなってからも先生の本は読ませていただいています。
さて、決断についてですが、これは私と父の決断になると思います。
それは、緩和ケアの病院に移るかどうかでした。
しかし、父にとっては辛い選択だったようです。
もう治る見込みがないと判断され、いつも外来でお世話になっている病院から
見放された思いだったそうです。
私は、とにかく父を痛みから解放してあげたい一心で、父に
「緩和ケアの病院に移ろう。」と、何度も言いました。
そして、父と二人で緩和ケアの外来に行き、即入院の許可が出ました。
父に「どうする?」と聞くと、「今日から入院する。」と言いました。
「私もそれがいいと思う。」と、母にも相談せず、二人で決断しました。
病院から、母や兄弟に連絡すると「どうしてそんなに急に入院させたんだ。」と、
非難されたりもしましたが、父と私はこの決断でよかったと思っていました。
父は「自分を見てくれる病院がある安心感。」
私は「痛みを取っていきましょう。」と言ってくれた先生の言葉に
どれだけ救われたかわかりません。
緩和ケアは、患者とその家族を癒してくれる存在でした。
最終的には、母も兄弟もいい病院で見てもらえてよかったと言っています。
父の場合、タイミングよく緩和ケア病棟に空きがあり、すぐに入れましたが、
いまだ順番を待っておられる方もたくさんあると思います。
もっと、充実して不安な思いを抱えた患者さんが減ることを願っています。
お忙しいのに、長いメッセージで申し訳ありません。
今後のご活躍、期待しています。
(以上頂いたメッセージを引用)
緩和ケア病棟は一般に待ちが長く、最近のようにかなり後まで治療ができるようになっている状況だと、治療終了後から申し込むと転院が間に合わないことがよくあります。
一方で治療を終了しないと面談を受け付けてもらえないホスピス・緩和ケア病棟もあるので、それも難しい点です。
それでも間に合っている方は間に合っているのは事実。
やむやむさんとお父様のスピーディーな決断に注目です。
おそらくこの思い切りがあったからこその結果だったのではないかと思います。
決断には必ずタイミングがあります。
特に人生の最後の療養に関しては、ある程度余裕をもって動いてゆくのにこしたことはありません。
人は人との関係において支えられることは言うまでもありません。
それならば、最後をともに支えてくれるはずの医療者とも、ある程度関係を作り上げる時間があったほうが良いことは想像できると思います。
私自身は、ホスピスに勤務していた時に、最後の数日で転院されて来られた方をどのように支えるかということはとても難しく感じました。
そのような状態だと、意識も低下していたり、倦怠感が非常に強くてコミュニケーションが取りづらかったり、その方の人となりやこれまでの生き方を知ることが難しく、従って支えることが難しいと感じたのです。
これが最後の数ヶ月だと、その方を理解する時間があって助かりました。
残念ながらその後診療報酬が変わり、最近はホスピス・緩和ケア病棟に長期入院すると、病院に付与される報酬が減額されることになってしまったため、(施設によって差はありますが)長期の入院も困難になってきているという状況があります。ただ一定以上の時間を重ねることで、何とか支援の糸口を見つけられたようなこともありますので、個人的な感覚ですが一律に診療報酬減はちょっと・・・と感じています。
身寄りがない、統合失調症の高齢男性を500日以上ホスピスで拝見した例がかつてありました。彼はホスピスの入り口隣の部屋が自室で、朝はよく廊下に立って私たちを迎えてくれました。まるでスタッフのようでした。
気さくに「おお」と声をかけてくれる彼の様子に元気をもらっていた患者さんやご家族もいたと思います。
たかだか10年ほど前の話ですが、牧歌的な時代だったのかもしれませんね。
なお次にその部屋に入った高齢の女性は霊感が強い(とご自身で仰っていた)女性で、誰も何も伝えていないのに、「部屋の外におじいちゃんが立っているね」と仰り、私たちを一瞬ゾクッとさせ、そして「あるかもなあ」とほっこりさせたものです。
やむやむさんのメッセージは、タイミングをしっかり捉えることの重要性を教えてくださっていると思います。
やむやむさん、ありがとうございました。
皆さんの「決断」にまつわるメッセージをお待ちしております。
それでは皆さん、また。
失礼いたします。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20150217/06/setakan/fd/87/j/t02200273_0800099413220559159.jpg?caw=800)