Kさんと出会ったのは、およそ2年前でした。


Kさんは30代後半で、腎臓がんを患われていました。


献身的な奥さんと、6歳の息子さんと3歳の娘さん、とてもかわいらしい。温かいご家庭でした。


見つかった時から、病は手強い状況ではありましたが、Kさんは一生懸命治療と仕事を両立させ、奥さんはそれをしっかりと支え、お子さんたちもKさんの心の支えであったと思います。



お家で旅立たれたと、昨日奥さんからお電話を頂きました。



世の中は理不尽だと思います。


何とか彼に長い命が与えられますように、それを医療者皆が心から願って来ました。


しかし30代でも、20代でも、10代でも、それ以下でも、運命は時に無情な顔をして、大切な人を連れ去ります。


奥さんから聴いた話では、Kさんは若かりし頃に大変な苦労をされたそうです。


そんな彼に、もっともっと幸せが与えられてほしかった、そう思うと理不尽さに、怒りと悲しみを禁じえません。



在宅に移られ、40日余りを家で過ごし、最期は穏やかに逝かれたそうです。


もちろん奥さまや、お子さんたちに見守られての旅立ちだったと。


2年弱の、Kさんと過ごした時間が思い出されます。


穏やかで、大変な苦痛があっても、医療者の前で弱音をはいたりすることはなかった方でした。


年が近い自分が同じ状況であったら、はたしてKさんのようにいられるか、というと難しいと思います。



本当に、立派なお父さんでした。そうお子さんに伝えたいと思います。


きっと奥さんがお子さんたちにこれからも伝えてくださると思いますが、胸を張って私も伝えたいと思います。間違いなく、強く、勇敢な方であったと。立派な、誇るべきお父さんであると。


苦難においてもひるまなかったお父さんの心は、きっと手渡され、生き続けることでしょう。



最期まで支え続けた奥さんも、本当にご立派であったと思います。在宅療養を選ばれ、「できること」を考え、動き、ご主人を見守り続けたことが電話でのお話から感じられました。





大切な人が不在になると、自身の中になにか欠落したものを感じるかもしれません。


しかし本当はなくなっていない、私にはそう思います。


誰かの思いは、看取りの場にて、大切な人に受け継がれ、その人の心の中で生き続けるのだと思います。


私も今でも、幼い自分に手を取って書字を教えてくれた祖父と、最後に握手した手のぬくもりを覚えています。やせて、ごつごつざらざらとしていて、ほのかに温かったあの手を、ふとした瞬間に思い出すのです。


きっと苦難においても、心の中に引き取った大切な人は支えになってくれると思います。


息を引き取る―そう言いますが、誰かの息吹は引き取られ、次の時代を生きるものをまた支えるのだと感じます。




昨日は緩和ケアの外来で、「人間は進化しているのか?」という話にふとしたきっかけでなりました。


相も変わらず、世界を見渡すと、大切な命をどう考えているのかという事象が止みません。悲しいいがみ合いやすれ違いも絶えることはありません。


けれども、悪いことを反面教師にし、そしてまた先人の思いを継いで、私たちは一歩一歩と進んでゆくのだと思います。もちろんずばっと後退することはあっても、それでもまた前へとゆっくり進んでゆくのです。


逝った方の思いも受け継ぎながら、先人の苦悩と試行錯誤を継承し、また新しい力によって、世の中は少しずつ進んでゆくでしょう。


自身のできることは限られていますが、ささやかな一石として、引き続き歩んでいきたいと思います。



それでは皆さん、また。
お読みくださりありがとうございます。
失礼します。