皆さん、こんにちは。大津です。



ノーベル物理学賞、先生方おめでとうございます。
本当に素晴らしいことですね。


さて病の方にどのような言葉をかけたら良いのか、ということを皆さんに伺ったところ、多くのお返事を賜り、ありがとうございます。


きっと病の方を支えたいと思っている方にも、たくさんの気づきがあるのではないかと思います。



亞希さんからメッセージを頂戴したので紹介します。


(以下頂いたメッセージから)


私自身、今年に入って病気をオープンにし
新しく一歩を踏み出していたので
「病の方に~」の記事を読んで
いろいろと考えさせられました。

心温まる言葉で救われる時もあれば、
投稿にもあったように
嫌な思いをする言葉もあり、
結構そちらが心に傷を残している場合も
あるような気がします。

外見上ではそこまで解らないので
病気が一因で子供が産めない女性にとって
それに関する話題や言葉で
本当に深く傷付きます。

でも、相手はそんなこと知る訳もないから
全く悪気も無いし、これっぽっちも
傷付けようなんて思ってないのに
勝手に本人が傷付いてるんですよね。

そう考えると、自分も知らず知らずに
無意識に相手を傷付けてしまっていることが
きっとあるだろうなと気付かされました。

目の前の人が抱える問題や苦しみ
全ては本人でないと解る筈もなく。

だからこそ、病気に対する
思いやりの言葉も勿論大切ですが、
大津先生もおっしゃるように

『私自身は「何気ない」「これまでと変わりのない」話をすることがとても重要だと感じています。そして他愛もない話をし、そして聴くこと、これが支えになることを感じています。』

という気持ちで接してくれる人の存在も
同じ位温かく有難いものに私は感じるのです。

病気をしている私に対して掛けて下さった
心温まった言葉や嬉しかった言葉は数多くありますが、
その中から一つ、入院中
私にとって、勇気付けられた言葉は

「あなたがそうなのは、
(子供が産めないというのも
そういったこと含め)
きっと意味があるのよ」

でした。

今では、自分が生み出していく作品が
子供のような存在で、
楽器達に命を吹き込んでいくのも
その意味合いの一つだと
気持ちを切り替えて歩んでいます。


(ブログ主註;もう一つメッセージを頂戴しました。そのもう一つです)


大津先生にメッセージを送った後日、
美術館に行き、偶然にも
“意味”について考える機会がありました。

意味を見出だすことで
力になる時はそうしたらいいし、
もし見出だせなかったとしても
それはそれでいいんだな
って。

実際、入院中あの言葉をもらった時
前を向いて歩んでいく力となったのは
事実です。

でも、意味を追求しないで
生きている時間も
同じ大切な時間には変わりはない

そんなことを思ったりしながら
日々 「今」を生きている私です。


(以上頂いたメッセージから)


亞希さん、メッセージありがとうございました!


私自身の感想はいくつかあります。


一つ目の言葉は

”目の前の人が抱える問題や苦しみ
全ては本人でないと解る筈もなく”

そうなんですよね。

必ず人はその限界を持って、生きています。

ただそのことに気がつけて、人と相対できているか、それだけでも伝わるメッセージは変わってくると思いますし、発する言葉も変わってくるのではないかと思います。


二つ目の言葉は

”病気に対する
思いやりの言葉も勿論大切ですが、
大津先生もおっしゃるように

『私自身は「何気ない」「これまでと変わりのない」話をすることがとても重要だと感じています。そして他愛もない話をし、そして聴くこと、これが支えになることを感じています。』

という気持ちで接してくれる人の存在も
同じ位温かく有難いものに私は感じるのです”

これは病の方を支える方へのエールです。

私自身は、様々な方が様々な方法で、苦しみ悩む人を支えていると見ました。

思いやりの言葉をかけてくれる人も支えている。

一方で他愛もない話をしてくれる人も支えている。

それぞれのやり方で、もちろん一つ目の言葉であったような自身の有限性を認識しながら、支えようとすること。

そうすれば、やり方は異なれども、相手を支えることにつながるのではないかと改めて感じました。



三つ目の言葉は

「あなたがそうなのは、
(子供が産めないというのも
そういったこと含め)
きっと意味があるのよ」

これは亞希さんとその方の関係性があり、またその方の亞希さんを思う気持ちが十分伝わって来たからこそ、特に力を持った言葉だったのではないかと拝察しました。

例えば、私が初対面の患者さんに「なんでこんな思いをしなければいけないんですか?」と問われた時に、「きっとそれにも意味がありますよ」と早い段階でお伝えしたら、「何を言うのか」と思われるかもしれません。

しかし長年拝見している患者さんが、ふと出された嘆きに、「・・・そうですね。しかしこれまで何度も乗り越えてきたように、また今度も何かの意味を持っているのかもしれませんね」と迷いながらも踏み込んで言葉をお伝えしたときは、また違って受け取って頂けるかもしれません。

きっと亞希さんにこれをお伝えになった方は、第一の言葉と第二の言葉のところで記したようなことを踏まえて、温かく言葉を発せられたから、その思いが亞希さんに伝わったのではないだろうかと感じました。

言葉そのものもそうですが、亞希さんとその方の関係性や背景に思いがはせられるお言葉であると思います。



そして最後の言葉。


”意味を見出だすことで
力になる時はそうしたらいいし、
もし見出だせなかったとしても
それはそれでいいんだなって。”


まさにそうだと思います。


私自身は『夜と霧』のV・フランクルの


「人間が生きることには、つねに、どんな状態でも、意味がある、この存在することの無限の意味は苦しむことと死ぬことを、苦と死をもふくむのだ」

という言葉と

生前一度だけお会いした名役者であった入川保則さんのお言葉、何度か当ブログでも取り上げていますが

「もともと苦しいものを、楽しいものに変えていく過程こそが人生なんだ」

という言葉が好きです。

メーテルリンクの『青い鳥』のように、意味は「すぐそこ」にあるのだと思います。


亞希さん、メッセージありがとうございました。



いつもお読みくださりありがとうございます。
それでは皆さん、また。
失礼します。