皆さん、こんにちは。大津です。


前回に引き続き、頂いたメッセージを紹介したいと思います。


Sさんからです。


(以下頂戴したメッセージです)


僕も、stage4の大腸がんと、わかってから、なんとか、1年生きることができています。

先生の問いかけ、”皆さんはどのような言葉をかけてもらったのが良かったですか? あるいはどのような言葉をかけてもらいたかったですか?”

に反応させて下さい。

思い返してみて、どんな言葉をかけてもらったかなと振り返ると、一番うれしかったのは、自分の会社の社長に、仕事は趣味程度に続けたらいいよと言ってもらったことかな。自分では、なんとか仕事をつづけなきゃとある意味ストイックに頑張っていたところに、そんなに頑張らんでもと、言ってもらって、肩の力が抜けたというか、集中すべきところを選択できるようになったというか。気が楽になりました。

また、最近、放射線治療を毎日受けているのですが、治療後に、看護師さんが、大丈夫ですか?お変わりないですか?とか、その痛み、取ってくれる薬を先生はなんでだしてくれないの?と、共感する言葉をかけてくれた時、うれしいと思いました。

先生も、後遺症と闘うというか、受け入れて、生活パターンを変えて対応されているのですね。

僕も、抗がん剤治療の後遺症に悩まされ、精神的に凹むこともありながら、
生きていること、仕事を続けさせてもらっていることに感謝しながら、毎日、つまらんことに感動したり、とにかく悔いの無いよう、今を大切に、人と人との縁を大事に生きたいと、毎日頑張っています。

このような感謝の気持ちは、やはり、病気がもたらせてくれたものですね。
何でも感謝です。


普段、何気のないような顔をして、仕事をしたり、通常の生活をしていますが、心の中は精一杯病気と向き合いぎりぎりで頑張っている感覚があります。そんな経験を同じように苦しんでいたり頑張っている方と共有したいという思いがあります。

先生の今回の問いかけと反対で、声をかけられて嫌な思いをした言葉が、「お!髪の毛あるやん。ふさふさやん」というのがあります。

僕が抗がん剤の治療をしているのを知っておられて、元気そうでよかった、励まそうとしていただいているのは十分理解するとして、聞いて、いや、そんなことに苦しんでいるのではないんだけど、、、と悲しくなった経験が2,3度あります。

一般的に、抗がん剤治療をしている姿というのが、髪の毛がなくなって、帽子を被っているイメージなんですね。

どんどん、がんの治療が進化する中で、一般的なイメージも変わっていくものなのでしょうね。

がんサバイバーが増えていく中、普通に治療中の人がいる世の中になっていくんでしょうね。

先生も、お身体に気をつけて。

僕も、病気とともに生活する術を進化させていきたいと思います。


(以上頂戴したメッセージです)


Sさん、本当にありがとうございました。

非常に考えさせられるものでした。

その一つは下記のお言葉です。


>どんどん、がんの治療が進化する中で、一般的なイメージも変わっていくものなのでしょうね。がんサバイバーが増えていく中、普通に治療中の人がいる世の中になっていくんでしょうね。


確かに「普通のように」「一見元気に」見えるがんの方が増えているからこそ、言われてしまう言葉の悩みがあるのだなあと改めて感じたからです。

それも現代のがん治療に付随する特徴なのかもしれません。

少し前の、治療の副作用があまり制御できなかったり、苦痛緩和があまり十分ではなかった時代は誰が見ても「壮絶な闘病」とわかったわけですが、今はそれがわかりにくい、だからこその状況なのだとも感じたのです。


もう一つ思ったのは、「さすが社長さん」


”仕事は趣味程度に続けたらいいよ”


なかなか言えない言葉ですね。


ちょっと私のことを言いますと、私も医者なので「頑張らなくていいよ」という言葉が声かけにふさわしいと思っても、躊躇することがあります。

医者が「頑張らなくていいよ」と伝えることは良いことなのか、とやはり悩むのです。


しかし軽からぬ病を抱えていらっしゃる方は、私はほとんどの場合「十分以上頑張られている」と思います。そして十分「頑張って」と励まされていると思います。


だからあえて、「無理しすぎる必要はない」「頑張らなくていい。力を抜いているくらいがいい」とお伝えします。それでも頑張ってしまうものだと思います。だからこそ、リラックスして、力を抜いて、自分の心が満足する他のものにも目を向けてほしいと願うのです。

それは取りも直さず、あれもそれもやって限界まで生きるとぎんぎんに交感神経を興奮させている方より、適度に病気から離れて抜くところは抜いて生きている方のほうが、経過も良ければ、満足したお顔で生活されているようにも見えるからです。

私が「闘病」という言葉があまり好きではないのはそこに由来しています。「闘い」という非平常時を多くの人は長く続けることは困難なようにも感じるのです。攻守をうまく切り替えるからこそ(もちろん容易なことではないですが、それは)、何年も病と生きる息の長さを見せることができるのではないかとも感じるのです。

それでも普通は、どうしても病のことは意識してしまうと思います。だからこそ、「忘れてしまうくらいの時があってちょうど良い」というメッセージを送りもします。


そこで社長さん自らが”仕事は趣味程度に続けたらいいよ”


素敵な会社ですね。そして医者にはなかなか言えない言葉ですね(!)しかし社長さんが言ってくれるからこそ、「肩の力が抜けたというか、集中すべきところを選択できるようにな」る。


ちょっとした言葉に人は勇気づけられ、そしてまた傷つきもする。だからこそケアに当たる側は、苦しむ方を支えたい側は、慎重に言葉を考えながら、それぞれの立場で言葉をかければ良いと思います。

それでも失敗することはあると思います。その方を思ってかけた言葉も、うまくいかないこともあり、それは私にも経験があります。

ただそうやって心から考え選んだ言葉は、きっとその言葉を発する時の態度や語調や、その他の要素も相まって、一定の意味を持つことも多いはずです。そしてまた失敗したとしても、その方を思っていることは事実なので、反省した上で、また次に生かしていけば良いのだとも思います。



実際に体験しておられている皆さんの言葉が伝えられることでちょっとした気遣いが広がってくれればと思います。

Sさんありがとうございました。またさらに「進化」したSさんを教えてくださいね。



それでは皆さん、また。
失礼します。