今日はハンドルネーム仁菜さんから頂いたメッセージを紹介します。



(以下頂戴したメッセージ)



ネットを検索していて、先生の書いたコラム記事を拝見し、そこからブログに辿り着きました。

現在、私の祖母(84歳)が末期の進行胃ガンにより、入院しています。発見されたときには、既に酷いむくみと腹水が溜まった状態で、手術も出来ませんでした。

そこから6月末に今の病院に入院しています。日に日に衰えていく姿は、見ていて本当に辛いです。最近顕著に体調が悪化して来ていて。昨日には、鼻から胃に繋がっている管を入れました。嘔吐物の誤飲やそれによる肺炎併発を防ぐためだそうです。そして、足が怠いといい、バタバタしていたり、そのせいなのか手を壁に打ち付け、赤黒く内出血を起こし、腫れ上がっています。

祖母は本当に強い人で、相当な痛みを伴っているはずなのに、痛いと言ったことがありません。しかし、主治医と話し合い、今後様子を見てモルヒネを投与することになりました。ずっと足に貼るタイプの鎮静薬を使用していましたが、それでは追い付かないのかもしれません。

苦しいと言う祖母に、私は何も出来ません。無力な自分を痛感します。一体私には何が出来るのでしょうか? 緩和ケアがご専門の先生から、何かアドバイス頂けたら…と思って、思わずメッセージしてしまいました。

だけど、突然こんなことを言われても、困っちゃいますよね…。お忙しいところごめんなさい。目を通して下さり、ありがとうございました。失礼します。


(以上メッセージ)


おつらい状況であることが、強く感じられました。

私は次のようにお返事させて頂きました(抜粋)。



メッセージありがとうございます。

おつらい状況ですね。
お気持ちお察しいたします。

私自身は多くのご家族の皆さんをご覧になって
「苦しいと言う祖母に、私は何も出来ません。無力な自分を痛感します」と
仰る仁菜さんと同様に皆さんが仰るのをたくさん見聞きしています。

亡くなってゆく方の苦しみをすべて取り除くのはけして容易ではないことなので、実際に私自身祖父が亡くなる少し前に苦しんだ際に同じような気持ちを経験しました。

大切なのは、それでもそばにいてあげることだと思います。

あるいは看護スタッフに「私ができることはありますか?」と問うても良いと思います。

そばにいる方もつらい状況ですが、それでもそばに居てあげて、話を否定せずに聞いてあげて、時にはさすったり、マッサージをしたり、足浴をする、楽な体位を一緒に考えてその体位へゆっくり動かしてあげるなどできることはたくさんあると思います。

その人しかできないことが必ずあるはずです。

ただお祖母さまはお身体は弱られていることと拝察しますので、大きなことというより上にあげた日常がつらくないように様々な工夫をするというところがもっとも重要な段階であると思います。

少しでもできることを見つけて頂ければと思います。

しかし究極的には、仁菜さんがそうやってお祖母さまのことを思って悩んであげていることが、十分「できること」なのではないかと思います。

可能な限り(もちろん自身の生活を犠牲にしない程度に)、そばに居てあげてください。


仁菜さんとお祖母さまの、そしてご家族の皆さまの、穏やかな時間が少しでも多く取れますことを心から願っております。




同様なおつらさを持っている方もいらっしゃると思い、ブログでこのメッセージを紹介させて頂くことをお願いしたところ、ご快諾頂きました。


そして昨日、お返事を頂戴しました。



(以下メッセージ。一部改変)


土曜にモルヒネ投与してから、そのまま意識が無くなりました。と同時に、足のダルさ(本人談)は取れたようで、バタバタ動かすことはなくなりました。そして、日曜午後には危篤となり、今朝方亡くなりました。

先生のアドバイスのように、ただそばにいて手を握っていること、足をさすること、名前を呼び話しかけることなどをしていました。最後までそばに居て、祖母の最期を看取ることが出来ました。誤嚥性肺炎も併発し40℃の熱、鼻から入れたチューブからは胃からの出血と思われる大量の逆流物、酸素低下、浅い呼吸、見ていて本当に壮絶な姿でした。しかし、本人は最後の最後まで穏やかな様子で、眠るように息を引き取りました。

私のような体験が、他の方の参考になるのであれば、ブログに使って頂いて大丈夫です。

お忙しい中、親身になってアドバイスして下さり、本当にありがとうございました。


(以上メッセージ)


お祖母さまのこと、深く哀悼の意を表します。


お祖母さまも、仁菜さんも、ご家族の皆さんも本当にお疲れさまでした。


モルヒネに関しては意識の低下をもたらす作用は弱いため、自然に意識が低下されて、お苦しくない状態になったのだと思います。

足のだるさは、余命数日の際の身の置きどころのなさの一表現型として見られるものであり、お祖母さまの場合もそうであったと拝察されますが、自然な意識の低下とともに苦痛から解放されたと考えるのは、仁菜さんのお見立て通りと存じます。


そばにいて手を握っていること

足をさすること

名前を呼び話しかけること


どれだけ死を前にしたお祖母さまの支えになったでしょうか。

きっとさみしがられることなく、大好きなお孫さんに勇気をもらいながら、ご家族の皆さんがこれからも力を合わせて頑張ってゆくことを確信しながら逝かれたものと思います。


大切な誰かを亡くすというのは大変なことです。

今後折にふれて、お祖母さまを思い出し、悲しくさみしくなることもあるかもしれません。

しかしお祖母さまの最期の時に傍にあって、お祖母さまに触れて、その経験とお祖母さまから託された思いはこれからも仁菜さんの中で生き続けるものと思います。

どうか仁菜さん、ご家族の皆さんもお身体にはお気をつけください。落ち着いた頃に体調を壊すこともあります。皆さまで声をかけ合って、どうかご家族全員お元気でお過ごしになってください。お祖母さまもそれを願っていると存じます。


このたびはメッセージと、紹介させて頂いたこと、ありがとうございました。

同じような苦しさを抱え、それを口にすることができずに耐えている見守り人の皆さんに、どうか届いてほしいと思います。



それでは皆さん、また。
失礼します。