皆さん、こんにちは。大津です。



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4月6日は69年前の戦争末期、特攻隊の死者が一番多い日であったそうです。


昨日もNHKで、旧海軍の元特攻隊の92歳の方が、貴重な経験を語ってくださっていました。



私は旧陸軍の特攻隊基地があった知覧に行って参りました。


知覧特攻平和会館です。





中には、膨大な数の隊員たちの絶筆が収められています。


多くの文字が綺麗で整ったものであり、どんな心境でこれを記したのかと思うとただただ頭が下がります。


最年少は17歳、多くは20代前半です。


とりわけ”お母さん”との宛名が多いことに、母への思いやりと愛を感じました。



三角兵舎の復元です。この小さな暗い兵舎で、隊員は出撃の時を待ちました。






板敷きに簡素な布団。ここで手紙を記したりしながら、時を待ったそうです。





扉の向こうにあったのは、避けようがない死でした。





戦後価値観が180度変わり、しかし空に消えていった特攻隊員のことをけして忘れてはならないと祈り続けた、特攻隊員のお世話をして特攻の母と慕われた故・鳥濱トメさんの思いが結実した観音堂です。





「特攻機は、遂に帰って来ませんでした。 国を思い 父母を思い 永遠の平和を願いながら、勇士は征ったにちがいありません」

「開聞の南に消えた勇士よ」

とあります。





JR日本最南の駅である西大山駅から仰ぐ開聞岳です。

特攻隊の本には必ず出て来る開聞岳。美しい山でした。

どんな思いで開門の南に飛んでいったのでしょうか。






生まれる時代が違えば、生まれる場所が違えば、普通に生きることも許されない厳しい現実があります。



ただどうしても「特攻」と書くと、もしかすると、政治的偏向があるように捉えられてしまう側面もあるのかもしれません。

しかし、そのような政治的側面からではなくて、死者を弔い続けて来た方たちがいたのです。

念の為に断っておきますが、私にも政治的な意図はまったくありません。


戦後69年が経った今、美化するのでもなく、貶めるのでもなく、かつて多くの若者の命を奪った戦争があって、その中で自らの命を捧げざるを得なかった「特攻」という悲しい出来事があったこと、大切な人を守るためにと生きて死んだ人たちのことを風化させるべきではないと感じます。

「特攻隊のことを忘れてはならない」と口にするだけで、右翼のように、あるいは「怖い」「何を言っているのこの人」と扱われてしまう一部風潮もなんだか妙だとも感じます。


そして世界中で反省を忘れずに同じことを繰り返していることを、人類は重く受け止めねばならないとも感じます。


特攻平和会館には海外の方の入館署名もありました。思いが伝わってくれることを願いたいです。


皆さんも機会があったらぜひ行ってみてはいかがでしょうか。



追伸

特攻隊員たちの最後の日々とトメさんのやりとりは下記の本によく描かれています。そしてトメさんの戦後と、その変わらぬ思いが周囲を巻き込んで大きなうねりとなったさまが記されています。




<ブログ筆者注:昭和21年>
「母さんはね、いつかあそこに特攻兵の霊を弔うために観音様の像を建てるつもりだよ」とトメは娘たちに言った。「いまはまだできないけれど、きっと観音様を祀るからね。いまのような世の中では、お国のために死んだ人たちの霊は浮かばれない。でも母さんの回向くらいでは足りないからね……。大慈大悲の観音様ならあまねく衆生を済度して成仏させてくださる方だから、観音様におすがりするより、あの人たちのためにしてあげられることはないと思うのよ……」薄暮の中でトメの眼は遠くを見ていた。いつか観音像を必ず建てるという強い決意がそこにあった。(p197)


<同:昭和30年。戦後10年>
トメはせっせと役場に通い、観音像建立の提案を続ける。長い年月を要したが、ようやく役場も富屋のトメさんの請願には勝てないと、重い腰を上げることになる。(略)昭和三十年九月二十八日、観音像は完成し、旧陸軍知覧飛行場の跡地の北東の一角に、はるか開聞岳からの南の海を望む形で安置された。(p217)


<同:昭和62年。戦後42年>
知覧特攻平和会館がオープンし、トメは車椅子でその祝典に出席した。このときトメは長いあいだの自分の努力が報われたのを目のあたりに見ることができた。(略)棒杭参りから観音参りに変わったものの、特攻兵に対する社会的関心は低かった。(略)静かに声なき声が盛り上がり、知覧の町を動かし、ついに記念館の建設にこぎつけたのである。(略)トメは八十五歳になっていた。(p229~231)



亡くなった方たちのことを思い続け、手を合わせ続けたことが、忘却という第二の死から彼らを救ったのだと思います。