【共通】


「手術は止める。放置療法をする」

そんな文言をネット上で見かけてドキッとしました。昨日の日付。


100万部ともなると、普段病院や医療と縁遠い方も普通に本を手に取ってしまいます。

昨日も書いたように、そのような方の一部は「医療全般は疑わしく、受けることは悪」と受け取りがちです。

昨日と並び、「必要なものまでやらなくなる」という実害の萌芽をこのように見かけるようになりました。


『医者に殺されない47の心得』を読んだ皆さんは、ぜひヨミドクターの拙コラムや虎の門病院腫瘍内科医の高野利美先生のコラムも読んで頂きたいと思います。
↓↓
ヨミドクターはこちら


私はこれまで一般の方向けの本をいくつか出してきましたから、出版社のことも知っています。

著者が異を唱えなければ、タイトルはまずセンセーショナルなものになります。

それも道理。本は最初に売れなければ、すぐに平積み台という売れる場所から消える運命だからです。

売れれば刷られ、平積み台に並び続けることができます。

売れなければ刷られないので、部数が増えず、平積み台にも並ばず、棚へ後退し、消える運命です。

見ていると、その差は実に早い時期で出ていると感じます。最初に売れなければ、見通しは暗いです。

かくしてごく少数の売れる本はどんどん売れ、そうではない本はひそやかに生を終えるという格差社会がそこには存在するのです。

タイトルや内容がぶっ飛んでいないと、なかなか勝ち組の本になれない時代なのです。

このような事象から、どんどんそういう本が刷られます。


書店に行ってみると、並んでいる医療本(上に記した”売れているほうの本”)は、病院勤務ではない先生が書かれているということが多いです。

病院で一線の仕事をしている先生に一般向けの医療本を書くメリットは少ないです。

なぜならばまず時間がありません。そして医師の中での評価には結びつきません(昇進にも一切関係ありません)。ゆえに書く動機に乏しいのです。また書籍をきっかけに患者さんの受診が増えても給料には変化がありません。

一方で、例えば「免疫系クリニック」「食事療法系クリニック」の先生は、自分のところに受診者が増えればダイレクトに利益で返って来ますから、意気込みも違います。もちろん先生方ご自身がその治療行為を良いと確信はされているのだと思いますが、それらは標準治療に科学的根拠では劣ります。

余談ですが、近藤誠さんのセカンドオピニオン外来
↓↓
http://www.kondo-makoto.com/consulting.html

も30分31500円で、既に「1000人以上が相談に訪れている」(ニューズウィーク日本版『癌は放置すべき?』p42)ということですから、ニューズウィークの記事が正確ならば既に3150万円以上を手にされたわけです。

セカンドオピニオン外来だけでも普通の医者の何倍も稼いでいらっしゃいます。

その上で、治る患者さんを死に追いやってしまう可能性があるがん放置療法を唱え、「口車に乗せられるあなたは、医者の”おいしい”お客様。大事な時間とお金を医者に捧げて、命を縮めることになります」(『医者に殺されない47の心得』p25)とまでご著書に記してあるのですから、怒る医者がいるのも当然でしょう。

いや近藤さんも医師ですから、ある意味p25の記載はブラックに読めるのかもしれませんが・・・。


医療界の主流の先生方にももっと本を書いて頂きたいと思いますが、それでもどうしてもそのような先生方は良心的で、タイトルや内容で冒険ができにくいでしょうから、訴求力は劣ってしまいます。

そうして、非主流あるいは非標準治療に属する先生方が自らの信じるものを良いと記し、一方で標準的なものは疑わしいですよと記すような本が売れ、書店の目立つところはそれ系の本で占拠されることになるのです。

これが今医療本の世界で起きていることです。

正直な方が「これが売れているんだ」「いい本なんだな」と目立つところの中から取り、そのまま全てを信じてしまうと大変なことにもなりかねません。

うまく良し悪しを見極められれば良いのですが、本の「説得力を増す」技術はどんどん巧妙化されています。

例えば著者の経歴で判断できるかというとそうでもありません。

少し前も、アメリカで成功した非常に高名な先生が書かれたトンデモ本も非常に売れました。

経歴にアメリカを加えると訴求力があるらしいですが、当然アメリカでの勤務歴があるからといって書いてあることが良いわけではありません。アメリカでの勤務歴があるすごい先生もいれば、アメリカでの勤務歴があるトンデモ本の著者さんもいるということです。実際に、あるクリニックの先生が書いた怪しい健康本にアメリカでの経歴が添えられていました。

また最近の医療否定本も、正しいことも書かれてあるけれども、とびきり大きいところで間違った考えに一般の方を誘導するという「全てを否定できない」という構造を持っているところも特徴です。

ゆえになかなか反論者は攻め切れません。反論者は良心的ですから、「一部は合っている」ことを認めます。しかしこれを判定者の読者が正しく捉えてくだされば良いのですが。


私たちはついついセンセーショナルなものに飛びついてしまうという習癖があります。

あるいは流行りにはつい影響されてしまうという特徴もあります。

また、書いてきたように出版社にも縮小する市場の中で何とかして本を売らねばならない事情がありますし、メディアも「偏っている」と指摘されるのを厭うて正確さが100:1の意見でも「両論併記」するのも止むを得ないのかもしれません。もっとも正確で根拠がある情報だけを流してほしいと願っても、無理筋かもしれません。

一方で、かくして情報は満ちていますから、ますます自身がしっかりしないと、人生を誤った情報で狂わされてしまいかねません。

誰も皆さんの人生の責任は取らないのです。


最近ネット上で見かけていて私も大いに頷いたのは

「抗がん剤で命を縮めるのがわかっているとしたらなぜその薬を作るのか」

という「がん放置療法」への反論でした。

製薬会社が本当に利益だけが専一なのだったら、患者さんの死を早める薬剤を開発すれば、薬を投与できる時間も短くなり、従って利益も少なくなるのでないかという意見です。

また患者さんの死を早めるのが確実であるとしたら、基本的に善人が多い中で、製薬会社の人間はそれでも売ろうとするのか、医療現場はそれでも使用しようとするのか、そう反論したのです。

データを使わない見事な反論であり、現実の描写であると思いました。またじっくりと考えれば、なるほど医療の事に詳しくなくても導き出しうる正解であり、この意見を述べられた方と同じように私たちも物事の正誤を頭を使って考えねばならないと感じました。

むしろ「日本の医者は善意が他国の医者より優れているからこそ、問題を起こしうること」を神戸大学教授の岩田健太郎先生が『絶対に、医者に殺されない47の心得』(心得28)で示されていますが、私もそう思います(この件についてはいずれ触れたいと思います。素晴らしい意見です)。


誰も皆さんの人生の責任は取りません。

情報にはくれぐれも踊らされぬよう、お気をつけください。
次回のヨミドクターでもこのことについては触れたいと思います。


なお先週の記事はこちらです。
↓↓
「がん放置」は本当に楽なのか?


更新された今週の記事はこちらです。
↓↓
近藤誠さんの「がん放置療法」でいいのか?


連休ゆっくりとお過ごしください。
それでは皆さん、また。
失礼します。