【共通】


ある方のブログを見つけました。

上咽頭がんを治療された方のようなのですが、かつて私の講演にも来て下さったようです。
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悔いのない人生


ブログを拝読し、医療者にとっても、これから病を得る可能性がある全ての方にも学びになると思ったのが次の記事でした。
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上咽頭がん体験記


少し長くなりますが、引用させて頂きます。


(以下そのまま引用)


確かに、全ての(と言っても過言ではない)がん「患者」は「心」に「串」が刺さったまま、退院した後も不安に怯えています。

がんが手術や放射線や化学療法で消滅したとしても、私の心に刺さった串と傷痕が、再発・転移といった具体性を伴いながら心の中で広がっていく時、それはどうしても「死ぬ事」への恐怖となって、私は病んで行きそうになりました。

私は、「がん」という病気が「自分の生き様や生き死に」にこれ程深く係わってくるとは思いもよりませんでした。
また、「家族との関係」という点に於いても、「がん」がこれほどまでに冷酷非情に絡んでくるとは考えてもみなかったことです。

正に「病魔」と呼ぶに相応しい、暗い影を引きずりながら退院してきた私でしたが、一方では、「家族の支え」を受けて自宅療養をしながら再び元気を取り戻そうという、期待があったことも当然の事実でした。

しかし結果としては・・・、
家庭の中での私の存在が家族を苦しめることになり、家庭の平穏を乱し始めていたのです。
私は自責の念と共に為す術も無く、家族を前に沈痛な毎日を過ごすだけでした。

何故 ↑このようなお話をするのか・・・。 実は、
がん患者は家族との係わり合いの中で、「在宅医療」をどう考え、終末期に於ける「ターミナルケア」と如何に向き合うのかという問題に悩むからです。

(略)

私が終末期医療を自宅で受ける時、私の辛い闘病の様子を看病の傍らにある家族に見せなければなりません。
その時、愛する家族の疲れ果てた顔や苦痛や動揺を目の当たりにしながら最期を終えるなんて・・・その様な耐え難い苦悩の中の自分を思う時、私の死生観の一つとしては「日頃から家族との絆をどのように保って置くべきなのか」という事にまで至ってしまうのです。


(以上引用)


皆さんはお読みしてどのように感じられたでしょうか?


私も近著『どんな病気でも後悔しない死に方』





で終末期を迎えた患者さんの心理とご家族の心理について記しました。

健康な時にはなかなか理解し得ない、病者とそれを見守る者ならではの苦悩と葛藤がそこにはあるのです。それを事前に知っておくことは、渦中においても何らかの力となってくれるのではないかと私は思っています。


上に引用させて頂いた文章に表現されている患者さん側の思いは、ブログ主のてっちゃんさんの内省と描写の力で、読後の私たちにも理解できるものとして立ち現れていると感じました。


がんの患者さんは外来に元気に通って来られます。

入院しても淡々と日々を過ごしていらっしゃいます。

その様態をみて、私たちは「元気そうだな」「病を受け止めて過ごされている」と感じます。

けれどもてっちゃんさんがいみじくも表現されているように、がん「患者」は「心」に「串」が刺さっている、というのです。

もちろん串が見えないこともあるでしょう。

しかし串がないわけではないのです。


そしてまた、家族を愛するがゆえに、「ハリネズミのジレンマ」を味わうことにもなるかもしれません。

串が刺さった身体で不用意に近づいて家族を傷つけることは、より自らの串を意識し、また深く突き刺すことになるのです。


重い病気を抱えた方は、健康人が考えないほど奥の奥まで考え、答えがない問いに疲れ、また一人で何としなくてはと絶望的なまでの孤独と向き合うこともあります。家族にもけして言えない苦悩もあります。


健康な時、私たちは「ぽっくり死にたい」「延命治療は嫌だ」と言います。

けれども病気になった時、基本的には同じ思いだけれども、そこには様々な要素が付随し、けして気持ちは簡単に割り切れるものではないことを知るでしょう。

ぽっくり死にたい。
けれどもこの病気はぽっくり死ねないらしい。
治療するのかしないのか。
家族は生きていてほしいと願う。
自分は足手まといにはなりたくない。
どうするか?

気持ちは、ほとんどの場合、揺れます。
それは白黒で語れるようなものではないのです。

エビデンス(科学的根拠)、それももちろん大切です。少しでも科学的に良い方法を選ぶことは重要でしょう。

けれども一番大切なのは、心の揺れや、奥底に封じ込めているつらさや葛藤をわかってくれる人がいて、それぞれのやり方で支えてくれることなのではないでしょうか?

「◯◯をすれば絶対に救われる」
「☓☓をしなければ100%苦しくない」

世の中にはそんな万人を助けることができる魔法はありません。

けれどもともに悩み、理解しようとしてくれる家族や近しい人、真摯に最良を探そうとしてくれる医療者たちの存在によって、いつしか苦悩は少しずつではありますが和らげられるかもしれません。

いつか、病者が串を自ら抜く日に手を添えてくれるのは、そんな家族や、心ある医療者なのだと私は思っています。

そして私がもう随分と長い間、終末期医療の現場で見て来たのは、鮮やかに串を抜いていった病者と、その深く刺さった串を病者とともに抜こうと苦闘してとうとうそれを成し遂げたご家族と医療者たちだったのです。


今日はヨミドクターの更新です(連載はコラム内、更新は毎週木曜昼頃です)。
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それではまた。
失礼します。