【共通】

元経済産業省官僚の古賀茂明さんの最新刊。

『利権の復活「国民のため」という詐術』



さっそく拝読しました。

いつもながらの切れに切れまくった鋭さは古賀さん節全開で楽しく読みました。


臨床ができる医者は三手も四手も先を読んでいます。

ヨミドクターの今週の更新
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緩和ケアの「常識」を変えよう

の、緩和ケアの定義で記したように、緩和ケアにおいて「苦しみを”予防”し、和らげる」と書いてあるように、怜悧な医者は苦しみを「予防」します。先んじて対策を打つので、患者さんは苦しまなくて済みます。


古賀さんにも何手も先が見えているのでしょう。

『原発ホワイトアウト』の若杉洌さんと同じように、新潟県知事の泉田さんへの個人攻撃の危険を察知し、予見しています。

2冊読んだので、より理解が深まりました。


大阪市長の橋下さんの栄光と挫折の原因も考察されています。

私が興味深かったのは下記。

ーだれもが「えーっ! それは違うでしょう」と思うことを言って、まずはみんなを惹きつける。そのうえで「そんなの当たり前じゃないの」とたたみかける。すると聞き手は「えっ? どうして?」と続きを聞いてみたくなる。(p233)

同様に安倍首相の発言を取り上げて解説しています。

ー「十年間で一人当たりの国民総所得(GNI)を一五〇万円増やす」という公約を、安倍総理は「みなさんの収入は一五〇万円増えます」と平気で間違って表現した。しかし、場所によって少しずつ言い方を変え、ときに正しいことも言う。すると、「ちょっとした言い方の問題だ」と逃げを打つことができる。(p42)


同書では政治家などのレトリックやイメージ戦略がより巧妙になって来ていることを指摘しています。

確かに私たちはあふれんばかりの情報を前に、何を信じたら良いのかわからなくなったり、情報に疲れてしまって逆に思考停止してしまう危険もあります。また巧妙さを増す情報戦略によって踊らされる危険性も増えてきているでしょう。


それにしても、やはり耳目を集めるため、過剰・過激な表現を使うのは、政治の世界も医療本の世界も同じだと感じました。

以前ある方からメールを受けた話をしましたが、「医者に殺されない」という題名の本が書店に並ぶのも、何だかなという感じはします。「お医者さんはふざけているのか」とメールには書いてありました。

私たちは次第に刺激に対して鈍感になり、そうでもしないと反応しなくなる、いやそれでも反応しなくなってしまうのでしょうか。

過激な言葉を、それを見る人の気持ちを配慮することなく、並べることに違和感を持たないようになるのでしょうか。

「ちょっとした言い方の問題だ」と述べるのでしょうか。よく見てもらえればわかるが本意ではない、言葉の綾なのだと。

商業主義の行き過ぎ、情報戦で優位に立つために何でもするという姿勢が、品格の減退と、感性の摩耗を招いているようにも感じます。

考え過ぎならば良いのですが、何かにつけ情報で勝るために、より攻撃的、一面的な言葉がもてはやされ、それに身を任せる人が増えてしまうのは、将来にとって良いこととは思えません。

いずれにせよ、いかに人を騙すのか、その方策が込められている『利権の復活』は、この情報の洪水の時代を賢く生きてゆくための力を身につける参考本とも言えそうです。アドバルーンのように目立つものを打ち上げて、注目させる、あるいはプロレスをしているように見せかける(けれどもしばしば八百長の)現代の情報戦略の潮流についてもたっぷり学ぶことができます。

良かったら皆さんも読んでみてください。

それでは皆さん、また。
失礼します。