「決められない政治」そうテレビの向こうの誰かが、眉間にしわを寄せて訳知り顔に嘆く場面を見る。

例えばアメリカの民主党と共和党の対立も、デフォルト危機まで至った。

「あのアメリカが決められない」

なんて言葉も耳にした。

けれども思うのだ。

民主主義というものは、基本的になかなか決まらないのではないだろうか。

いや、成長国家で、国民の多くが利益を享受するような場面、それだったら決まったとしても、損をする人が少ないからそれほど深刻な対立にはなるまい。

しかし今のように低成長であり、誰もが明日には今日より豊かになるという実感が持てない社会では、当然相対的に優位な立場にある者はそれをできるだけ手放したくないと思うのは当然だろうし、また劣位な立場にある者は何とかそれを手放してもらってこちらに少し欲しいと思うのも当然だろう。

また世の価値観は多様化し、国民の代表たる政治家もそれぞれ多様な背景を持っている。

そうすれば決まらないのも当然ではないのか。意見が人の数ほどあるのだ。例えば自民党や民主党の中でも当然TPPに賛成もいれば反対もいる。しかしそれが当たり前ではないのか。

さらに国民は変革を望むが、当然決まりにくいシステムであるがゆえに、政権交代があったとしても”ほぼ確実に”大変革はない。

そうすると選挙で負ける。そしてねじれが生じ、さらに決まりにくくなる、それを繰り返すのが民主国家なのではないか。


ただ皮肉であるが、これでも独裁や専制(注:独裁と専制は異なる)より、歴史上は良かったということなのだ。

確かに歴史的には、その時代の感覚で言えば名君で生涯を通した支配者がいる。例えば清の康熙帝やアイユーブ朝のサラディンなどはそう言えるだろう。

一方で名君としてキャリアを開始しながら後に政治に倦み、楊貴妃に耽溺して崩れた唐の玄宗など、生涯を名君で通すことができなかった支配者も少なくはない。

結局ストイックに自分より国のことを考え、かつ生涯それを貫けるという人間が極めて少ないゆえに、そしてすぐに弾圧などに訴えるために、(現在の意味で)君子豹変した際の民のダメージが大きくなる・・というかそれの全盛期の20世紀はナチスのヒトラーや、ソ連のスターリン、中国の毛沢東などととてつもない被害を催した支配者を生んだ。

独裁的、専制的体制のほうが、物事が「決めやすい」

例えば実質的に寡頭制の現代の中国は決めやすいし、その決断が早い。

一方で価値観がそれこそ人の数ほどある国民の、そのまた代表たる価値観がまちまちの政治家が、多数決で物事を決めるという現状の民主主義の制度は「決まらない」のが当然なのではないか。

しかし大切なことは、歴史上、この民主主義が今まででもっとも「まし」ということになっているということだろう。皮肉なことを言えば、いかに人間がどうしようもないかを示しているとも言える(権力を長期間持つと必ず腐敗する、という悲しい性質)。

民主主義ではある意味、決まらないからこそ、非常に思い切ったことができず、おかげさまで被害が少ないという考えがあろう。はちゃめちゃを「やられる被害」は少ない。

けれども「決まらない被害」は少なくないという二面性がある。このように必ず物事には両面がある。

民主主義・・決まらない おかげで思い切ったことがしにくい(→いいこともある) けれども、すぐに対処が必要な時も決まらない

一人もしくは少数が決定する政体・・決めやすい 良くも悪くも思い切ったことを為す(でも悪いことをすることも多い、例えば国内弾圧の熾烈さなど) 見た目でわかる問題への対処は早い(一方腐敗は根深い)


もしかすると、民主主義より良い制度が今後出来てくるかもしれない。

しかし先進国では、現状、決めにくい民主主義のほうが、決めやすい少数決定政体より「ずっとまし」なのである。(注:後発発展途上国などでは民主主義が問題を余計にひどくすることがある→参照『民主主義がアフリカ経済を殺す』ポール・コリアー。民主主義でさえ万能ではない)

だからしかめっ面をして、「アメリカですら決められない」とか言うのではなくて、あるいは「アメリカが決められないとは権威が失墜するでしょう」などと言うのではなくて、「民主主義だし、現代の価値観が多様化した世界では、これも当たり前に起きてくる問題と言えます」とくらい言ってくれる人がいてもいいのではないか。


さて先に「決まらない被害」が出うるのが民主主義の問題であると書いた。

なお大きな話から突如身近な話に戻りますが、医療も一緒です。

どんな哲人医師でも間違いを起こします。

だからこそ、優秀な医師ほど、チームの大切さを理解し、自分のほかにいるスタッフが存分に動けるような土壌を作っています。あるいは自由に発言できる環境を提供しています。

患者さんに関わる人間が多ければ、「決まらない」のは当然です。

関わる人間がたくさんいても面倒くさいだけだ、よし俺が決める、と他の医師やスタッフに「余計なことを言うな」という態度で診療に当たれば、決まるのは早いかもしれませんが、間違えた時に取り返しがつかないのです。

国の民主主義で対応しなければいけない問題への対応が遅れるのは問題ですが、医療(特に終末期医療など)に関しては、私はもっと皆で迷っていいと思います。また迷うことは悪いことではないし、皆が色々な意見を言ってなかなか決まらないことも悪いことではないと思います。それだけ「民主主義的」なのです。

何か、「決められない」「一人ひとり意見が違う」というと悪いことのように言う人がいますが、人の脳の数ほど認識する器械はあるのです。違って当然です(注:とは言っても私も医師なので、明らかに多数の人を死に追いやる方策を勧める医療者やその他の方々は賛同できかねます)。


ある物事は必ず良い点と悪い点があります。

それを認識した上で、しかしもっとも大事なことは遅れすぎずに決めていけるようなシステムを、「それぞれの現場で」作ってゆかねばならないと思います。