皆さん、こんにちは。大津です。


時代が変われば、言葉の定義も変わります。


ブログでも何度も触れておりますように、本来「緩和ケア」=「終末期ケア」という図式は過去のものです。

私もよく「緩和医療の専門家」=「終末期医療の専門家」と勘違いされるのですが、「緩和医療の専門家」+「終末期医療の専門家」が正確なところです。

けれども実際は未だ「緩和ケア」=「終末期ケア」とほぼ同義に思っていらっしゃる方が少なくなく、また緩和医療を行うことは病気の進行を早め、死に近づける(例えば、「モルヒネで命が縮んでも苦痛を取ってください」などの発言に象徴される)ものと勘違いされている場合もあります。


ただ、その責は当然医療者側にもあります。

「緩和に行ってください」

「もはや緩和しかない」

「緩和に専念してください」

まるで治療終了=緩和(しかない)という説明。これがまだまだ至るところで見かけるがゆえに、一般社会の誤解を拡大再生産してしまうのです。

ところが実際にそのような誤った言葉を是正する仕事を積極的にするようになって感じることではありますが、なにか日本は議論=喧嘩と考える風潮があるのではないかとしばしば思えます。

そういった言葉の誤りを指摘すると、まるで仲良しクラブの「輪」を乱すように感じられてしまうこともしばしばあり、時に冷たい視線が注がれます。

いちいち言葉くらいでうるさいという明示・黙示の意思表示を受けることも稀ではありません。

問題なのは、発言主ばかりではなく、周囲もそのように振る舞うということが少なくないことです。和を乱す→悪、指摘する→喧嘩しないでほしい、「また喧嘩?」という反応などが認められるのです。

すると正しい指摘をしている側は次第に孤立無援になります。結果、それを止めてしまうこともあるのです。当然でしょう、そこまでする気力がなくなり、また自分を犠牲にすることができなくなるのです。

かくも、正しい知識を広めることは大変で、「水をさす」ことを日本社会は好まないのだなあと実感しております。

けれども原発も、かつてたくさんの方がきちんと水をさしてきたのに、それを無視してきたことも津波対策の及ばなさにつながったという指摘もなされています。水をさすことは、本当は大切なことなのです。

しかし現実は。

正しい指摘が、「うるさい人だなあ」と扱われてしまうのも、なかなか難しき世の真実であります。


そういうわけで、今日もある指摘をします。


初期からの緩和ケア、これがうたわれています。

しかるに、地域の特性なのかもしれませんが、東京には「化学療法(抗がん剤治療)がまもなく終わる」つまり最終ラインの治療を行っているという状態にも関わらず、「化学療法を完全に中止しないと入院予約面談をしない」というホスピス・緩和ケア病棟があります。

確かに、最後まで抗がん剤治療を続けて、徹頭徹尾がんと闘いたいという患者さんにはホスピス・緩和ケア病棟は向いていないかもしれません。

けれども「この治療以後は有効な治療がない」という説明が主治医よりなされ、ご本人も「この治療が終了になったらホスピス・緩和ケア病棟に行きたい」と言っているにも関わらず、「化学療法中だから」という理由で面談受付の段階ではねてしまうのはいかがなものでしょうか。もう少し個別の事情を勘案してあげても良いのではないかと思います。

化学療法や支持療法も進歩したため、今治療はかなりぎりぎりまでできるようになって来ました。それが別の問題を生んでいます。治療終了時に、余命が短い可能性があるということです。

しかし何度か触れておりますように、ホスピス・緩和ケア病棟は待ちが長いです。入院予約面談まで1ヵ月、そこから順番が来て入院まで1ヵ月、そんなこともしばしばあります。けれども、そこまで余命が持たないこともあるのです。

ですから本当は、「最終ラインの化学療法」をしている時から、入院予約面談を受け付けてもらって、抗がん剤治療終了後はすみやかに希望するところへ移れるように事前に準備しておかないと間に合わないことも少なくないのです。

また化学療法をしているのならば面談すらしない、というのは「緩和ケアは早期から併用するもの」という考えにも反します。治療終了=緩和の図式を、むしろ定着するのに寄与してしまっているとさえ思えます。

私がかつて勤務していたホスピスは、当然最終ラインの化学療法中の患者さんも入院予約面談をしておりましたし、また緩和ケア外来で他院にて抗がん剤治療中の患者さんの症状緩和を「並行して」行っていました。これこそ早期からの緩和ケアだと思います。

ただ私自身もホスピス勤務経験がありますので、現場の空気はよく知っています。ホスピス・緩和ケア病棟を望んで来る方と、嫌々だけれども前の病院で行けと言われたから来ましたという方がいて、前者の方が順番制がゆえに最期まで入院診療することができなかった・・というような経験を重ねると、基準に厳格になる気持ちはわからないでもありません。

しかしだからこそ、一律に「化学療法中だから」とはねるのではなく、「個別性を重視する」という緩和ケアの重要な考えに基づいて対応すべきなのではないでしょうか。

ちょっと前に、当院から他県のホスピス・緩和ケア病棟に転院した患者さんが、「ホスピス・緩和ケア病棟を理解していない」という理由で退院勧奨されたというびっくりするような出来事もありました。

はっきりと言います。

ホスピス・緩和ケア病棟原理主義に陥ってはいけません。

「ホスピス・緩和ケア病棟の理念を知っている人のみ入院すべき」

「治療終了を心から(全て)”受け入れている”人のみ入院適応がある」(補足;多くの人が、治療できるならばしてほしい、生きられるならば生きたいという気持ちが少しでもある<併存している>のはむしろ当然であり、完璧な「治療終了」受け入れを医療者は求めてはいけないと思います)

「認知症や脳腫瘍の進行期で、ホスピスのことが理解できないため、適応外」

それでは救いを求めている方を門前払いすることになります。

少なくとも、「この治療以後は有効な治療がない」という説明が主治医よりなされ、ご本人も「この治療が終了になったらホスピス・緩和ケア病棟に行きたい」と明示している患者さんは入院予約面談すべきなのではないでしょうか?


基準や規則は大切です。

しかしそれにがんじがらめになってしまえば、ホスピス・緩和ケア病棟のもっとも大切なこと、個別性を重視し、QOLを上げることから遠く離れてしまいます。

システム等が整備されればされるほど、原則にのっとったマニュアル対応が増えがちなことにも私たちは気をつけねばなりません。


東京や他県の一部のホスピス・緩和ケア病棟がこの問題に配慮・対応してくれることを、切に願いたいと思います。

またここをご覧になってくださっている皆さんの中には、ホスピス・緩和ケア病棟勤務の医療者の方も少なくないでしょうから、どうか(これまで述べてきた問題が貴施設であるならば)ご検討頂ければ有り難いです。


それでは皆さん、また。
失礼いたします。