先日、アメリカで痛ましい銃乱射事件が
ありました。


日本でも過去幾度か無差別殺人事件が起きています。

しかしなにせ銃は飛び道具ですから、
犯罪者が銃を有することで
被害の大きさが格段に増えてしまいます。

しかも今度は何の罪もない子どもたちが大量に
犠牲になりました。
もはや狂気の沙汰です。


人は条件が揃えば容易に正気を失います。


歴史上幾度も、正気を失った人間による
大量殺戮が起こりました。


危険な武器が手元にあれば、
基本的には人は(条件が揃えば)使用しうるものだと
捉えるのが自然ですし、
実際死なばもろともでアメリカの大量殺人犯も
事件を起こしていますから、容赦などないわけです。
最初から死ぬ気なのでしょうから・・。


普通に考えれば、銃を規制すれば良いのです。

しかし、そうならない。

興味深いのは
「自らの身を守るためには銃が必要だから」という
主張です。
危険を銃で増やして、それを守る、というのですから
わけがわかりません。

歴史的な事情もあるのかもしれません。
個人の自由を最大限に尊ぶ例の思想です。

ウィキペディアによると

”アメリカ合衆国憲法修正条項第2条に定められた
「武器を所持して携帯する権利」を根拠”に
圧力団体でもある銃愛好家団体は規制に反対していると
言います。

さらに

”連邦最高裁判所は2008年7月、同条項を
「個人の武装権を認めたもの」とする判決を示した”
と言います。
司法が認めてしまうわけです。
強烈すぎます。

実際、全米ライフル協会は
スローガンに「人を殺すのは人であって銃ではない」を掲げ、
米国銃所有者協会は
スローガンに「銃規制が人を殺すのだ。銃は人を救います」
とまで掲げているとのことです。


銃でお金儲けをしている人もいますから
そういう人たちには死活問題でもあるでしょう。

そうすると意見の対立が起きます。
それぞれがそれぞれの立場から、自分にとって
益があることを主張しますから、これはもう
放っておけば解決しようがありません。

しかし、銃規制をすれば、犯罪者が強烈な害意を
持ったとしても、被害は少なくなるわけですから、
どう考えても銃規制をすれば良いのです。
屁理屈をこねているのがおかしいのです。

けれども屁理屈に、利害も相まって
明らかに良くなる方法を今まで取れて来なかった
わけです。


「皆の意見を聞け」といいますが、
皆の意見を聞くだけでは何も決まらないのは
個人の価値観が多様化した社会では不可避です。

この事態をオバマ大統領達は解決できるのかが
見ものです。

取りも直さず、価値観が多様化している現代日本でも
あっちはAと言い、こっちはマイナスAと言う、
これが常態化していますから、皆の意見を充足しようと
話だけ聴いていてもいつまでも解決しませんし、
誰もが満足する結論などほぼ確実に得られません。

誰かは必ず損をし、誰かは必ず嫌な思いをします。
けれども、それでも今回の銃規制の話のように、
より多くを救う方策なのだったらやってみれば良い
のだと思います。けれどもそのやってみることさえ
強い反対を克服しなければなりません。


民主主義は大変なものです。
否定的な意味で言っているわけではありません。
貴重なものだけれども欠点もあり、それを
乗り越える必要があるということです。

はたしてアメリカで今後どうなるか。

見守りつつ、日本のことも注視していきたいと
思います。そう、日本でもアメリカの銃規制
ほどではなくとも、利害相反する様々な問題で
身動きができにくくなっているのですから。