花があった。


いつも車で通る道すがら。


交通量が多い幹線道路の
横断歩道の脇、電信柱の下に
花はあった。


4年前。

花束はたくさん咲き乱れていた。

誰がここで。

悲しい思いになった。


花束は色とりどりだった。

雨の日も、濡れたセロファンが
光っていた。

雪の日も、東京の雪は深くない
ので、白い粒が花を彩った。

夏の暑い日差しの中に、けれども
生き生きとした花があった。


2年が過ぎ、3年が過ぎた。

花束は1つ減り、2つ減った。
花束の山は、そうでは
なくなった。

4年前、いつもたくさんの
花束が飾られていたのが、
いつしか最後の1つになった。

けれども最後の1つは季節に
合わせて、常に美しく路傍に
置かれていた。

会えない人への思いが
深い悲しみと、愛おしさを
ないまぜにして、飾られていた。



ある時、花束が消えた。


4年間、ずっと、通るたびに
密やかに、けれども「私は
ここにある」と静かに語って
いた花束が消えた。


私はそこにそれを置き続けた
人のことを思った。

思いはどうなったか。

あるいは置き人はどうなったか。

やすらぎの時が訪れたことを
祈った。




先日、再び小さな花束が置かれた。

行き交う車の群れ、都会の片隅で
何人がその静かな命に気づこうか。

でも確実に言える。

私と同じように、4年、往来を
はやい速度で行き交う者の中に
あなたの思いに気がついている人は
必ずいると。


夜の闇をかきわけ、
家路の灯りを求めて車を走らせる時、
その路傍の小さな花に
私は大きな愛を見る。そしてなぜか
ほっとする。


「あなたは確かにここにあった」

それを静かに語る花は
今日も横断歩道の脇、電信柱の下で
やさしく往来を見守っている。