おはようございます。大津です。


昨日も緩和ケアセミナーを開催しました。
熱心にご聴講くださった皆さん
ありがとうございました。

先日頂いたメッセージから
一つご紹介します。
(いつも皆さん、素晴らしいメッセージ
ありがとうございます)

payforwardさんからです。


(以下ご紹介)


大津先生、こんばんは。
緩和ケアセミナーお疲れ様です。
今度是非参加させて頂きたいです。

先日のブログを拝見し、大学病院時代に肺癌の末期の患者さんの肺音を聴診していた際に言われた言葉を思い出しました。
その方は「最近はみんな聴診してくれないんだよ。もう自分は駄目だからなんだろうな。」と仰り、私のごく当たり前の行為を喜んで下さいました。
ホスピスに来てからは、医療の原点ともいうべきでしょうか、五感を使って患者さんと接することが多くなり、手当ての重要性を感じております。
一般の病院より患者さんとゆっくり関われること、患者さんが傍にいることを望んだ時に共にいることができる環境を有難く感じます。
人が人として尊重されるケア、大切にしたいと思います。
最近ご家族から、レベル低下後看護師が体交の際に以前のように声を掛けずにささっと行ない退室していくのがとても淋しかったという話を聞く機会がありました。
私は逆に声を掛けすぎていつも先輩に注意されてしまう方なのですが、患者さんにもご家族にも「大切にされている」と伝わるようなケアを日々心掛け、スタッフ間で共有していかねばと反省しました。
先日エンドオブライフケアの研修で、老いについて考える講義で心に響く詩があったので紹介します。
読んでいて、今迄出会った患者さん達のお顔が浮かんできました。
人は亡くなる過程で沢山のものを喪失していきますが、苦難を乗り越えた先に最期に仏陀のようにこの世の美しさを悟り、生まれてきた喜びに包まれながら感謝の心で旅立つことができたら幸せですね。

秋が深まって参りましたので、風邪など引かぬようお身体ご自愛下さい。


手紙~親愛なる子供達へ~

年老いた私が ある日 今迄の私と違っていたとしても
どうかそのままの私のことを理解して欲しい
私が服の上に食べ物をこぼしても 、 靴紐を結び忘れても
あなたに色んなことを教えたように見守って欲しい
あなたと話す時 同じ話を何度も何度も繰り返しても
その結末をどうか遮らずに頷いて欲しい
あなたにせがまれて繰り返し読んだ絵本の温かな結末は
いつも同じでも私の心を平和にしてくれた
悲しいことではないんだ
消え去ってゆくように見える私の心へと励ましのまなざしを向けて欲しい
楽しいひと時に 私が思わず下着を濡らしてしまったり、お風呂に入るのを嫌がる時には思い出して欲しい
あなたを追い回し何度も着替えさせたり、様々な理由をつけて嫌がるあなたとお風呂に入った懐かしい日のことを
悲しいことではないんだ
旅立ちの前の準備をしている私に
祝福の祈りを捧げて欲しい
いずれ歯も弱り 飲み込むことさえできなくなるかもしれない
足も衰えて立ち上がることさえできなくなったら
あなたがか弱い足で立ち上がろうと私に助けを求めたように
よろめく私にどうかあなたの手を握らせて欲しい
私の姿を見て悲しんだり、自分が無力だと思わないで欲しい
あなたを抱きしめる力がないのを知るのは辛い事だけど
私を理解して支えてくれる心だけを持っていて欲しい
きっとそれだけでそれだけで
私には勇気が湧いてくるのです
あなたの人生の始まりに私がしっかりと付き添ったように
私の人生の終わりに少しだけ付き添って欲しい
あなたが生まれてくれたことで私が受けた多くの喜びと
あなたに対する変わらぬ愛をもって笑顔で応えたい
私の子供たちへ
愛する子供たちへ


(以上ご紹介)

上記の詩は
原作詞 不詳、日本語訳 角 智織、作曲 樋口了一
だそうです。

payforwardさん、ありがとうございました。

私は詩を一読し、
「本当に人生って楽じゃないな」
と思いました。

誰でも必ず通るのに、通るまでにはわからない。

でもかつて自分も同じように生きて
同じように悩み、同じように通って来て
今は少しだけ違うところにいる。

その違うところにいる、ということを
ほんのちょっとだけでもいい、
わかってほしいんだ。

というメッセージを私は詩を読んで
感じました。

昨日のコミュニケーションの講義でお話ししましたが、
その「ほんのちょっと」を持つことが
目の前の方に
「きっとそれだけで それだけで
私には勇気が湧いてくるのです」
と思ってもらえるかもしれないことに
つながるのだろうから。

そして、ほんのちょっとをわかりたい
という人たちに苦悩する方が
囲まれた時、人は『愛燦燦』の歌詞の
ように思うことができるはずなのです。

「わずかばかりの運の悪さを恨んだりして
人は哀しい 哀しいものですね」

けれども

「過去達は 優しく睫毛に憩う
人生って不思議なものですね」

そして

「未来達は 人待ち顔してほほえむ
人生って 嬉しいものですね」


ここに「人生の捉え直し」を
私たちは見るのです。

人は哀しい。
なぜこんな不運が降り注ぐのか。

でもフランクルが言ったように
過去は奪えない。
それどころか優しく
この目の前に浮かんでくるではないか。

そしていつだって希望という未来は
微笑んでいるのではないか。
そう、人生って美しい。
そして嬉しい。

人は誰でも、
既に輝いていた道を、ちゃんと
輝いていたと確認できるのだと
私は思います。

苦難ばかりで失ってばかりのように
見えた人生が、不思議なきらめきを
放ち出すのです。

私たち、そして皆さんも、
終末期の方たちの前にある時、
もしかするとその変化の触媒となる
ことができるのかもしれません。

そのためには人生を聴く、
本当の「傾聴」を行う必要が
あります。

人として尊重するケアを行い、
触れて診察・ケアする必要があります。

当たり前のことですが、
この当たり前のことを皆さんが
するようになれば
一隅が至るところで照らされ、
確実に現場は変わると思います。


人はちょっとした言葉や振る舞いに
救われ、そして救っている。
私はそう思います。
ちょっとした心がけが、誰かの苦しみ
を救うことがあるのです。
自分はそうと気がついていないだけで。
そして愛は誰かに燦々と降りそそぐの
だと思います。


「風 散々とこの身に荒れて
思いどおりにならない夢を 失くしたりして
人はかよわい かよわいものですね
それでも未来達は 人待ち顔してほほえむ
人生って 嬉しいものですね」


それでは皆さん、また。
失礼します。