皆さん、こんにちは。大津です。



世の中が便利になると人が
しばしば失いがちなもの。

それは忍耐。


世の中が情報であふれると
流行りはびこるもの。

アピール上手の中身なし。


あるいは情報過多による不安
も一方で。


「(注:良いことを!)
黙して語らず」という言葉
が死語となりかけている昨今、
それでも私が医療現場に出る
頃にはたくさんいた
明治生まれ、大正生まれ、
昭和一桁生まれ・・の世代。

彼ら、彼女らの忍耐と、
語らずに姿で見せた生を
思い出す度に

「豊かになると失うものが
必ずある」

そんな言葉を思ったりもします。

「昔の人はすごかった」

そんな感嘆とともに語られるのが
語らずに行動で示し、そして
苦難にも立ち向かった大いなる
忍耐です。


例は山ほどありますでしょう。

最近知ったのは「工藤俊作艦長」
のことでした。

工藤艦長は第二次世界大戦時の
日本の海軍提督でした。
↓↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%A5%E8%97%A4%E4%BF%8A%E4%BD%9C_(%E6%B5%B7%E8%BB%8D%E8%BB%8D%E4%BA%BA)


工藤艦長の逸話はこの映像で。
20分ありますが、見る価値はあると存じます。
↓↓
http://www.youtube.com/watch?v=S0mJCnm12h8


工藤艦長が乗る駆逐艦「雷」は
戦時中、イギリス艦が撃沈されたあと
海を漂流していたイギリス軍人400余名を発見しました。

彼らはぎりぎりの状態にありました。

もちろんイギリスは当時敵国です。
救う義務はありませんし、友軍ですら
その義務はなかったそうです。

しかも海域はいつ敵艦(特に潜水艦)が
襲ってきてもおかしくない状況でありました。

つまりここで下手な仏心を出すことが
自艦の破滅にもつながるような状況であった
わけです。

国、艦長によっては、むしろ機銃掃射等で
漂流者を殺していたかもしれません。

しかし工藤艦長の口から発せられた命令は
驚くべきものでした。

「漂流者を全員救助せよ」

なんと、工藤艦長は自艦の乗組員
200余名の2倍ものイギリス軍人全員(!)を
海から救い出し、安全なところに送り届けた
のです。


その心は「武士道」でありました。

たとえ敵であろうとも、その機に乗じて
相手を倒すことは潔しとしなかったばかりか、
苦境にある敵を救い、正々堂々と闘おうと
したのです。

はっきり言えば、異例中の異例なのではないかと
思います。しかも彼らに食料や水を分け与え、けして
粗末な扱いはしませんでした。


工藤俊作艦長は体調を崩し離艦し、
やがて終戦を迎えます。

戦後は医院の仕事を得、1979年
胃がんで静かに世を去ってらっしゃいます。


工藤艦長はこの出来事を生前一切語らなかった
そうです。

家族にも黙して語らず、
戦後は海兵のクラス会にも出席せず、
毎朝戦死した同期や部下達の冥福を仏前で祈る
ことを日課にしていたそうです。

それは駆逐艦「雷」が、工藤艦長が退艦した
のちに沈没し、多くの乗組員が亡くなった
からと推測されていますが、別の見方もあります。

「雷」の航海長だった谷川清澄氏は、
「俺は当たり前のことしかやってないんだ。
別に褒められることでもない、と言ったと思います。
そういう人でした」と語っています。


いずれにせよ工藤艦長は
黙して語りませんでした。

それではなぜこのことがわかったか。

それは駆逐艦「雷」に救助されたイギリスの
元海軍中尉サムエル・フォール氏が彼の
消息を探り当てたからです。

フォール氏は戦時中の恩人のことを
忘れませんでした。

戦後、彼は外交官として活躍し、サーの称号も
得ています。

1996年、彼は自伝を出版しました。
その「マイ・ラッキー・ライフ」の1ページ目に、
この本を「私を救ってくれた日本帝国海軍の
工藤俊作少佐に捧げる」との一節が記されています。

確かに、漂流していたところを敵艦に発見されたにも
関わらずに救助されたという幸運がなければ、
彼のその後の成功もなかったからでしょう。
彼にとって、工藤艦長は本来なくなっていたはずの命を
与えてくれた大切な人でした。

だから彼は工藤艦長を探しました。
あの恩人はどこにいるのか、と。


しかし彼がようやく消息を探し当てた時
には工藤艦長はもうこの世にはおりませんでした。

2度来日し、2008年、
実に救助劇から66年後、89歳のフォール氏は
埼玉県川口市内の工藤艦長の墓前に念願の
墓参りを遂げ、感謝の思いを伝えました。

前掲の映像では工藤艦長の遺影に
敬礼をするフォール氏の姿が映されています。

墓前に捧げた言葉は「Thank You」であった、
とのことです。万感の言葉であったことでしょう。

フォール氏の言葉。

「自分が死ぬ前に、誇り高き日本人である工藤艦長に
ぜひお礼を言いたくて日本を訪れたのです」

「この出来事は、日本人に対して私が持つ印象に
ずっと影響を与えました。深い尊敬と感謝の念を抱いています」


工藤艦長もすごかったですが、フォール氏も
すごいと思います。
戦時の偉人といえば、
命令に背いてまでユダヤ人を6000人も
救った杉原千畝氏もそうです。

黙して語らず、行動で示し、
自らの成し得た人道の偉業を声高に語ること
もなかった彼らの姿から、
私たちは多くを学ぶ必要があると思うのです。


それでは皆さん、また。
失礼します。