皆さん、こんにちは。大津です。
週末は祖父の墓参りをして来ました。
この10月で3年が経過しました。
10年ほど前に亡くなった
叔父は抗がん剤治療中の死でありましたから
あまり家族の葛藤を死前に経験することが
ありませんでした。
一方で祖父は、弱って亡くなってゆくまでを
一医療者として、何より家族としてつぶさに
見、そして看、さらに診ることとなりました。
だからこそ、いくら緩和ケアをしている医師
でも、家族の視点としては完全に見えては
いないことを改めて理解しました。
家族としての葛藤、苦悩を知ることになり、
そのような重く大切な機会を改めて与えてくれた
亡き祖父には感謝しています。
さて、先日「完生期」という言葉を創造した
洞爺温泉病院の岡本拓也先生のお話をさせて
頂きました。
その岡本先生が、素晴らしい御本を出されました。
「わかりやすい構造構成理論 ~緩和ケアの本質を解く~」
という本です。

残念ながら医療現場は様々な軋轢で満ちています。
「構造構成理論」を知ることが、深刻な人間同士
の対立から人を解放し、より良き方向へ進んで
ゆくことができます。
緩和ケアは、これまでの問題解決の集積としての
医療とは異なったアプローチを行うものです。
けれどもその指標が数値で表現されるようなもの
ではないために、可視化し、関わる人たちが容易に
共有できないものという特性ゆえ、実は緩和ケア
領域ならではの意見対立や深刻な人間関係も存在
し得るのです。人の苦悩を数値ではなく、「言葉」
で切り取り、表現し、共有するがゆえの難しさが
あります。それは「言葉」の持つ特性とは無縁では
ありません。
実は先ほどの祖父の死を通して、医療者と家族の
視点、問題、表現が異なることを再認識した・・
という話とも関連するものなのです。
同書はその点を余すところなく説明し、また
緩和ケアを「構造構成理論」を使用して捉えなおす
ことに成功しています。
なかなか骨太の本ですので、読まれる方も気合いを入れて
取り組む必要があると拝察しますが、日常臨床に示唆を与える
簡にして要を得た言葉も多数散りばめられています。
私は最近「傾聴は治療である」とブログに書きました。
岡本先生の本ではこう記されています。
(傾聴とは)
「志向相関的に聴くことを通して、傾聴する対象となる人が自分自身の存在と自分の人生を肯定できるような新しい物語(構造)の再構成ができるように援助する行為」と捉えることができる。
(中略)
「傾聴」という援助を通して、患者や家族の中から、彼/彼女のQOLを改善するような物語を引き出し紡ぎ出す。
お見事!
岡本先生は大先輩なので、この
表現はいけないかもしれません(すみません)が、
まさにその通りだと思います。
それが緩和ケアの仕事なのです。
傾聴を緩和ケアという言葉に変えても
この文章は成り立つと考えます。
そして、死を敗北とするのではなく、
死を別のものに変えてしまえば良い
ということにも結び付きます。
死を捉えなおし、「完生期」とする、など。
その捉えなおしの触媒となるのが
緩和ケアの担い手たち、とも言えるのかも
知れません。
それは従来の問題解決型のアプローチではなく、
人生という物語の意味を創り出し、叶え、
確認するというアプローチであり、
医療の現場にその新しい視点を「併用」する
のが緩和ケアだと言えると思います。
興味のある方はぜひともご覧になってみては
いかがでしょうか?
それでは皆さん、また。
失礼します。
週末は祖父の墓参りをして来ました。
この10月で3年が経過しました。
10年ほど前に亡くなった
叔父は抗がん剤治療中の死でありましたから
あまり家族の葛藤を死前に経験することが
ありませんでした。
一方で祖父は、弱って亡くなってゆくまでを
一医療者として、何より家族としてつぶさに
見、そして看、さらに診ることとなりました。
だからこそ、いくら緩和ケアをしている医師
でも、家族の視点としては完全に見えては
いないことを改めて理解しました。
家族としての葛藤、苦悩を知ることになり、
そのような重く大切な機会を改めて与えてくれた
亡き祖父には感謝しています。
さて、先日「完生期」という言葉を創造した
洞爺温泉病院の岡本拓也先生のお話をさせて
頂きました。
その岡本先生が、素晴らしい御本を出されました。
「わかりやすい構造構成理論 ~緩和ケアの本質を解く~」
という本です。

残念ながら医療現場は様々な軋轢で満ちています。
「構造構成理論」を知ることが、深刻な人間同士
の対立から人を解放し、より良き方向へ進んで
ゆくことができます。
緩和ケアは、これまでの問題解決の集積としての
医療とは異なったアプローチを行うものです。
けれどもその指標が数値で表現されるようなもの
ではないために、可視化し、関わる人たちが容易に
共有できないものという特性ゆえ、実は緩和ケア
領域ならではの意見対立や深刻な人間関係も存在
し得るのです。人の苦悩を数値ではなく、「言葉」
で切り取り、表現し、共有するがゆえの難しさが
あります。それは「言葉」の持つ特性とは無縁では
ありません。
実は先ほどの祖父の死を通して、医療者と家族の
視点、問題、表現が異なることを再認識した・・
という話とも関連するものなのです。
同書はその点を余すところなく説明し、また
緩和ケアを「構造構成理論」を使用して捉えなおす
ことに成功しています。
なかなか骨太の本ですので、読まれる方も気合いを入れて
取り組む必要があると拝察しますが、日常臨床に示唆を与える
簡にして要を得た言葉も多数散りばめられています。
私は最近「傾聴は治療である」とブログに書きました。
岡本先生の本ではこう記されています。
(傾聴とは)
「志向相関的に聴くことを通して、傾聴する対象となる人が自分自身の存在と自分の人生を肯定できるような新しい物語(構造)の再構成ができるように援助する行為」と捉えることができる。
(中略)
「傾聴」という援助を通して、患者や家族の中から、彼/彼女のQOLを改善するような物語を引き出し紡ぎ出す。
お見事!
岡本先生は大先輩なので、この
表現はいけないかもしれません(すみません)が、
まさにその通りだと思います。
それが緩和ケアの仕事なのです。
傾聴を緩和ケアという言葉に変えても
この文章は成り立つと考えます。
そして、死を敗北とするのではなく、
死を別のものに変えてしまえば良い
ということにも結び付きます。
死を捉えなおし、「完生期」とする、など。
その捉えなおしの触媒となるのが
緩和ケアの担い手たち、とも言えるのかも
知れません。
それは従来の問題解決型のアプローチではなく、
人生という物語の意味を創り出し、叶え、
確認するというアプローチであり、
医療の現場にその新しい視点を「併用」する
のが緩和ケアだと言えると思います。
興味のある方はぜひともご覧になってみては
いかがでしょうか?
それでは皆さん、また。
失礼します。