皆さん、こんにちは。大津です。


アップル、グーグル、マイクロソフトはなぜ、イスラエル企業を欲しがるのか?


という本を読みました。





以前イスラエルを旅した時に、
日本留学歴のあるガイドさんは
「日本はイスラエルと全く異なる国だから
留学してみようと思った」と言っていました。

実際に旅して、そう思いました。
この本を読んでも、そう思います。

全く異なる国だと。

本はもうこれでもかという程の
ポジティブシンキングで、暑苦しいほどの
エナジーであふれています。

そしてまた
世界で最も一神教的な国のひとつの持つ
強烈な「生きる意味」の人間補強を感じます。

私は「争わない」という姿勢の日本が大好き
ですが、おそらくそれは世界的に見れば
「全く標準と異なる思想」であり、
良くも悪くも島国でのんびりと生きて来た
民族であることを、イスラエルと比較する
ことで感じることができます。


ガイドさんはアルゼンチンで生まれ育ち、
長じてイスラエルに移住した人でした。

驚いたのは、日本語も含めて複数の言語を
自在に操る姿です。歴史に対する知識も
深甚なものがありました。

過去もユダヤ人は多数の世界的業績者を
輩出しています。

国がなければ、人は己の才覚で生きてゆかねば
なりません。それゆえにこそ、生きてゆくための
力として知識や技術を磨き、それが多数の業績者
を生むことにつながったのだろうと感じました。

日本は、それでも守られています。
国が完全に征服されたことがありません。
だから自らを守る国がない悲哀や、外国で己の腕
一本で生きてゆかねばならないという張り付くような
思いとはこれまであまり関係がありませんでした。

「知識と教養は力である」
「明日がわからない社会で、私たちは生きてゆくため
に、教育が必要である」
そんなことをあまり意識しないで生きてこれたのです。

教育があまりにも当たり前のようになった時、
人は教育の持っている有り難さ、社会をサバイバルして
ゆくために様々な知識が必要で、教育はそれを与えて
くれるものである、という意味を忘れがちになってしまう
と思うのです。いや、実際に忘れてしまっているのかも
しれません。

震災が青天の霹靂であったように、
日本にもいつなんどき何があるかはわかりません。
だから今若い世代は、一生懸命勉強して、
自らがどこへ行っても生きてゆけるように補強し、
また国を守り、そしてまた「やられる前にやる」という
論理が横行する世界を、日本的に変えてゆくという
大きな仕事をしていかねばならないとも感じます。

水のように、あるいは電気のように、
蛇口をひねれば、あるいはスイッチを押せば
それが与えられるように教育も与えられるように
なった現在、その有り難さを感じる心が弱くなって
もしまいました。またそれを伝えられる人も
減ってしまいました。

「変わらないために変わる」

私たちは次の何十年かのために、それを任じて
努力していかねばならないのだと思います。
全く異質な国を知ることは、そのヒントを教えて
くれることでしょう。


イエス・キリストが十字架を背負って歩いた道
ヴィア・ドロローサ。
そこは巡礼者であふれています。
祈りと歌とで、そこは満たされていました。

日本に生まれ育った私にとって、そこは異質な
世界でした。けれども、これもまた世界の標準の
ひとつであり、「極東の島国」日本の物の考え方
よりも類するあるいは共感する価値観を持つ人び
とも多い、むしろ世界の「中心」の考えのひとつ
なのでありましょう。


それでは皆さん、また。
失礼します。