皆さん、こんにちは。大津です。

いつも読んで下さってありがとう
ございます。


無事、本日発売されました。

『幸福な余生のためにすべきこと』

$大津秀一 オフィシャルブログ 「医療の一隅と、人の生を照らす」 Powered by Ameba

早くもアマゾンでは品切れです。
もっともこれからきちんと供給される
でしょう。


さて、答え。

$大津秀一 オフィシャルブログ 「医療の一隅と、人の生を照らす」 Powered by Ameba

モヘンジョ・ダロ、でした。



この一大遺跡が、次第に塩害で侵食されて
いるのは既に指摘されているところです。

同国及び周辺国の情勢等により、当遺跡の
保全には十分な力が行き渡らず、いずれ
当遺跡は崩壊してしまうのではないかと
も言われているそうです。

しかし、それはそれは見事なものでした。
大きさ、保持されている姿、・・ピカイチです。

神々のレリーフが魅惑的なエジプトのほうが
何といっても「派手さ」はありますが、それと
同時代に全く異なった色合いの文明を築き上げた
インダス文明の担い手たちと彼らの作り上げた
都市は本当に度肝を抜かれます。

こんな素晴らしい遺跡をこのまま保全することが
できずに灰燼に帰することがあってはならないと
感じます。


$大津秀一 オフィシャルブログ 「医療の一隅と、人の生を照らす」 Powered by Ameba

ここが沐浴場です。
4500年前、です。
原型は美しく留められています。



$大津秀一 オフィシャルブログ 「医療の一隅と、人の生を照らす」 Powered by Ameba

真ん中のまっすぐに延びる窪み、
わかりますか?
水路です。これが都市の隅々にまで
張り巡らされています。なんと水汲み
場まであるのです。
繰り返しですが、この都市は4500年
前のものなのです。何と高度な文明でしょうか。



$大津秀一 オフィシャルブログ 「医療の一隅と、人の生を照らす」 Powered by Ameba

遺跡は広大です。
まだ10%しか発掘されていないとも・・。
情勢の悪化により、新たな発掘は数十年(も!)
されていないとも聞きました。
しかし今発掘すれば、出てきた遺跡はまた塩害
で傷つくだけです。そっとしておいてあげるの
が良いのかもしれません。・・いや、きっと
そのほうが良いでしょう。かわいそうなのは
これら既に露出されている遺跡が年々傷ついてゆく
ことです。

40℃を超える熱風の中をどこまで進んでも、
4500年前の大通りの両側には広大な遺跡が
立ち並んでいます。雲ひとつない青空に、灼熱
の太陽は一切の木陰のない中、容赦無く照りつ
けます。



$大津秀一 オフィシャルブログ 「医療の一隅と、人の生を照らす」 Powered by Ameba

左右に目をやると、こんなふうに。
規格が統一された煉瓦が美しく配置された
壁が立ち並んでいます。



$大津秀一 オフィシャルブログ 「医療の一隅と、人の生を照らす」 Powered by Ameba

煙突?

いいえ、井戸なんです。
2階からも井戸が汲めるようになって
いたのです。この都市、基本2階建て
だったとか。この井戸が至るところに
散見されます。

今は「水」の影も形もありません。
インダス川はすぐそこにはありません。
しかしかつてはインダスの大河に抱かれて、
水にあふれた生活を彼らはしていたのです。


モヘンジョ・ダロ。
その名も「死の丘」。

しかしそれは後世の人たちが付けた名前。

インダス文字は未だ解読されておらず、
この都市の「真名」はわかっていません。

ここで見つかった数十の遺体から、あるい
は得体の知れぬ死者の眠る場所とされて、
ここは「死の丘」という名前で現在に
伝えられています。

けれどもその名とは打って変わって、
「古代人の確かな生の営み」と「水」
とを、熱風と乾燥の廃墟を歩く脳裏に
色濃く浮かび上がらせるのが、その
真の姿でした。


こうした貴重な人類の遺産を守るのを
妨げるのは、いつでも下らぬ人間の欲望
です。モヘンジョ・ダロがあるパキスタン、
隣国アフガニスタン、そこは長い間紛争の
舞台となり、かつてはソ連や、現在進行形
でのアメリカなど、大国が絡んだ争いが
続き、遺跡などに多くの注意が払われぬ
状況が続いています。このままではこの
貴重な世界遺産も本当になくなってしまう
のかもしれません。


モヘンジョ・ダロは支配者の宮殿等の
建築物を欠いており、いったいどのように
統治されていたのかも謎なようです。

高度な文明に、支配者がいない、先進都市。
支配者がいなくても、社会が回っていたの
です。いったいどのように・・?
その答えはわかりません。

4500年前の人類と、今の人類。
確かに科学技術は進歩しましたが、
野蛮なのはどちらなのでしょうか。

少なくともいつ果てるともない争いを
続けているようでは、水の大都市
モヘンジョ・ダロ、いやインダスの
文字で呼ばれていた都市に住まった
彼らは訝しく思うかも知れません。

「いつまで人は争うのか」と。

静かに佇む古代遺跡は、しかし雄弁に、
様々なことを物語っていました。

また機会を見つけて続きます。

それでは皆さん、また。
失礼します。