皆さん、こんにちは。大津です。


昨日緩和ケアセンターの看護師さんと
「昔」の話になりました。


私が勤務している病院の緩和ケアチーム
の歴史は既に11年に及びます。

実はこれは緩和ケアチームとしては、
随分と長い歴史を持っていることになります。

2006年の「がん対策基本法」の成立に
より、緩和ケアの充実へと大きな推進力が
加わることになりました。私がホスピスに
飛び込んだ1年後の話です。

当院ではそれより5年も前から緩和ケアチーム
が活動していたのです。

先任者の戸倉夏木先生の先見の明からです。

2001年当時、ちょうど私が医師になった年
でもあるわけですが、当院の緩和ケアチームが
その活動を始めた頃、どうだったか。

2002年発売の医療用麻薬の貼り薬はまだ
ありませんでした。勤務していた病院で敬愛する
恩師が「いい薬が出るんだよ」と目を輝かせなが
ら教えてくれたことが思い出されます。

2003年発売のオキシコドン錠もまだあり
ませんでした。勤務していた病院では未採用で、
何とか使用できるようにしようと動いたことが
懐かしく思い出されます。

注射薬以外の医療用麻薬は「モルヒネ」しか
ありませんでした。今は3種類あるのに、当時は
1種類しかなかったのです。


他にも「昔」のエピソードが色々とあります。
2001年ごろの話です。

レスキューという言葉を知っている一般医療者が
ほとんどいませんでした。

レスキューに、モルヒネと拮抗する、つまり作用を
弱めてしまうペンタゾシンが出されていることも
しばしばでした(注:残念ながら未だあります)。

苦痛に対して「プラセボ」が使われていることが
散見されました。

医療用麻薬は処方されても、その後の「調整」が
なされないで初期量のまま投与されていることが
稀ではありませんでした。

医療用麻薬の重要な初期副作用対策があまりなされて
いませんでした(注:主な初期副作用は便秘と嘔気です)。

終末期患者さんのご本人の希望で点滴を減らすと
(注:もちろん命は縮めません)、「安楽死」と
医療者から言われました。先生が点滴しないなら
私がします、と師長さんに強く迫られたことが懐かしいです。

モルヒネは強く危険な薬と思っている医療者も
たくさんいました。

モルヒネで「眠らせる」という間違った表現が
普通に使われていました(注:鎮静にモルヒネを
使用しないようにしましょう)。

モルヒネが効きにくい痛みにやみくもにモルヒネを
増量されて効果があまりない一方で副作用ばかり
出ている症例も散見されました(注:今は鎮痛補助薬
の使用法が進歩しましたので、前よりはそのような
ことは減っているはずです。しかしまだ多いです)。


そう考えると、実はこの11年で「ものすごく」
変わりました。

熱心な医療者一人一人の努力で、時代は着実に
動いていっているのです。そして私よりも前に
時代を変えていって下さった方々、緩和医療・緩和
ケアの先駆者たちに深く感謝したいと思います。

今現場で「何も変わらない」と嘆いている、この
時代の先駆者たちもたくさんいると思います。

本当の緩和ケアの担い手や専門資格を持つ看護師さん、
あるいは地域の現場にあって「生活の質」を上げる
べく努力している医療者など、彼らは時代の「常識」
と闘わねばならないことも多々あることでしょう。

しかしどうか絶望しないで、希望をもって、ことに
あたってほしいと願います。確実に時代は動くの
ですから。私はとうとう「緩和ケアとは患者のQOL
を考慮するケア・医療である」ということを答えられる
(注:これを理解している医療者は未だ少ないです。
痛みの緩和が緩和ケアと思っているのならば、それは
100点満点中の50点の回答に過ぎません)医学生
が出現したことに、時代の流れを感じました。

一日一日の変化は小さくても、やはり時代は動くのです。

あと桜が12回咲いて散った時、医療現場が、そして
世の中がどのように変わってゆくのか、楽しみです。
未来は私たち一人一人の小さな、けれども大きな、力に
かかっているのだと思います。

当院の緩和ケアチームも、紹介数都内拠点病院第4位に
甘んじず、引き続き努力していこうと存じます。


それでは皆さん、また。
失礼します。