皆さん、こんにちは。大津です。


被災地で聞く声に
「心のケア」に傷つけられた、
というものがあります。

”専門家”がやって来て、ケアが必要
だと告げ、一方的に話(これがケア、なのでしょう)
をして、帰ってゆく・・。

中には「何かしてあげたい」という気持ちが
強い人もいるのでしょう。その気持ちは否定しません。

けれども、ケアとは外からの力で為すものなのでしょうか?
ケアとは専門的技法を駆使して、誰かの気持ちを癒すもの
なのでしょうか?

私たちは人生においてたくさんの困難と出会います。
その時に、最後に自らを助けるのは、本当に他人の力なの
でしょうか。


私はそうではないと思います。
身体的にも「自然治癒力」があるのと同様に、心にも
「自然治癒力」があると思うのです。これは多くの
終末期をみてきての、経験的実感です。

しかし誰でも弱る時があります。
世の中は実は確定的なことや「絶対」はほぼなく、
あやふやです。一寸先には闇や霧があります。
ですから、予想もしない状況に急に変化し、誰もが恐れ
戸惑う時があることでしょう。

先日、緩和ケア研修会の講師の先生が、自殺の最大の
原因となっているのが「絶望的な孤立感」だというお話を
されていました。恐れ戸惑う時、絶望的な孤立感が容赦
なく押し寄せる時、人は危機を感じます。救いを求めたり
もします。

そんな時に、その誰かを助ける人は、「ケアしてあげよう」
という人でしょうか? 「ケア」する人とは、それほど
大きな力を持った存在なのでしょうか。

私の恩師は「医師が病気を治しているのではない」と
いつも言っておりました。「僕の治療で病気を治した」と
いうような物言いをいつでも強く戒めていました。
まさにその通りで、「患者さん自身の治そうとする力=
自己治癒力」がなければ、どんな病気も治らないからです。
つまり医者の治療だけで病気を治しているのではないのです。
患者さんの治そうとする力と、医療者の治療がともに働いて
病気は快癒に向かうのです。そしてまた患者さんの治そうとする
力を引き出すことも、医療者の大切な仕事なのです。

心の問題も、それに同じです。
自らですら経験したことがない困難(私にとってのがんの患者さん、
被災されていない方にとっての被災された方)に出会った方々へ、
私たちは「ケアしてあげる」ことはできません。経験したことが
ないことは、やはり真にはわかりえないのです。
けれどもわかろうとすることはできます。わかろうと、困難に
出会った方の話にじっと耳を傾けることが出来ます。その人の
思いに心をはせ、その人がその人なりの答えを見つけるまで、
ずっと聴き、そばに居続けることが出来ます。

それに名前を付けるとしたら、「ケア」ということになるのでは
ないでしょうか。私はそんなふうに思います。困難に出会った方
自らがケアすることを支え続ける、ということがケアだと思えて
なりません。そしてそう思うからこそ、私たち10人の緩和ケア
の担い手仲間は被災地にお邪魔して、被災された方たちとともに
時間を過ごさせて頂いています。緩和ケアとは、外からの力で
誰かをひっぱるケアではなく、困難に出会った方自らがケアする
ことを支え続けるケアなのです。


それでは皆さん、また。
失礼します。