皆さん、こんにちは。大津です。


人は自分が信じるものを誰かに
肯定してもらいたいものだと
思います。とは言え、色々な
意見の人がいますから、時には
全く違う考えが提示されること
もあるでしょう。

その人の常識と異なる考えが提示
された時に、冷静に、相手が言った
だけのことを聞ければ良いのですが、
悲しいかな、人は個人的な好悪の
感情等によっても相手の言ったことの
捉え方は180度変わったりもします。

また思い込みの怖さは時に指摘される
ものですが、自分が信じていることと
反する意見を言っている人の言葉を過
剰に反応し、曲解もしがちです。もち
ろん多くの人はそれを意図的にはして
いないでしょう。
けれども無意識的にそれをしてしまう
のが人間の限界であり、それに自覚的
な人間が増えることが人間の明日を開
くのかなとも思ったりするのです。


さて、何が言いたいのか。

「延命治療」というのは実にデリケート
な問題です。再三再四、著作で述べて
来ましたが、それをどこまでと考えるかは
人それぞれに違いがあります。

だからこそ、僕は接頭語を付けています。

「望んでいるレベル以上の」延命治療が
されてしまうことが問題ということです。

もちろん望んでいないからと言って、
何もやるな、ということでもありません。
ほとんどの方は苦痛を取ってほしいと
願っています。だから、それはしっかり
やるべきです。

ただほぼ100%治らない病気、医療者が
口では「可能性はゼロではない」と言いな
がらも、内心「無理だろうな」と思っている
場合においても、全力で命を守ろうとして
その実苦痛ばかり増やしているのが本当に
善なのかということなのです。

難しい問題ですが、ほぼ治らないような病態
において、患者さんが穏やかに逝きたいと
願っている時に命を延ばすことだけを第一に
考えるのは、いささか人の気持ちに無自覚だと
思われても仕方ないかと思います。
もちろん人はアンビバレントなものですから、
「もう終わりにしてほしい」と「しかしもう
少し生きたい」が併存することもあります。
だから難しい。その気持ちの揺れをも汲み取っ
ていかなければいけないと思います。

とにかく(ここ強調です)、
僕はあらゆる人のあらゆる状況において
延命治療を回避すべきと言ったことは一度も
ありません。人それぞれに答えは違います。
ですから医療者は、可能な限りにおいて
患者自身の希望に沿うべきです。医療者は
医学知識で一般の方に対して時に大きく差が
ありますので、恣意的に誘導しようとすれば
それも可能であり、だからこそ望まないレベル
の延命治療に導かれてしまいます。まず自分
だったら本当にそれをされたいのかを真剣に
考えるべきでしょう。自分にはやらないだろう
に、人には義務感からやっているというのも
おかしな話だと思います。

さてネットを散見していて、これは誤った
捉え方をしているなあ・・というのがいくつか
あったので念の為に書いておきます。


Q 医師が患者さんの延命を目的に治療を
行うことが正しくないとは思えませんが?

もちろん正しくないことはありません。
ただ延命治療は患者の苦痛を著しく増すこと
があります。そして、余命が例えばもう数週
間の方に延命治療を施しても、延びる余命は
同じく数週間というところでしょう。また
命を延ばそうとする治療が逆に命を縮める
可能性もあるのです。
それだけの時間、苦痛が増して延命されて、
そしてそれを患者や家族が望んでいない場合に、
はたして延命第一の治療を行うのが正しいのか
ということなのです。

基本的にはケースバイケースだと思います。
しかし僕の印象では、やはり患者の希望を超えて、
濃厚な延命的治療が施行されていることが
多く、その一方で患者の残された時間をより
良くしようというアプローチが少ない事例が
散見されると思います。ゆえに、もう少し
延命よりも残された時間の質を考慮した
医療をしてほしいと願い、それをいつも
お伝えしています。

amazonでの私の最初の本へのレビューでも
私が「積極的治療を否定している」と曲解
したものがあります。本を偏見なく読み込んで
もらえれば、誰もそんなことを言っていないのは
明白です。積極的治療も必要です。しかし
それがもはや無効な段になっても、いっさい手を
緩めずに、延命第一で他を考えないこと、そして
患者さんやご家族の思いをよそにそれを為す
ことが問題なのです。

これまでの常識と異なる主張は、あまり聞いて
いて気分の良いものではないかも知れませんが、
そんな考えもあるのかと聞いてもらって、私が
0か1かという主張なのではなく、その間のど
こに落とし所を設ければ皆が救われるのかとい
うことをもっと医療者は考えるべきなのではな
いかという主張をしていることを正しく受け止
めて頂ければと存じます。


Q 無駄な延命はやめましょうという主張ですよね?

これも誤解があります。
私は「無駄」という表現は使用していません。
患者や家族が明らかに望んでいない場合に、
延命のみを目的とした治療を行うのがどうなのか
とそう言っています。
延命治療を中止するにしても、それは誰も
望んでいないからという理由があることはあっても、
「無駄だから」という理由ではありません。

どうしても死に目に会いたいという人がいて
今こちらに向かっているという場合に、
多少の延命治療を行うのは許容されるでしょう
(ただし、私が問題にしているのは、そうやって
点滴を増やして、昇圧剤を使って、ということが
むしろ寿命を縮めていると思われることが少なく
ないということです。無理なく延命させるために
こそ、治療を絞ったほうが良い結果をもたらすこと
が少なくないのです)。


Q 「はた目から見て辛そうにしか見えない」と延命を
一方的にやめるのもどうでしょうか? 眠っていれば
実はそんなに苦しくないのでは? 私が死にかけた時も
それほど辛くはありませんでした。

改善が困難な病態・病気の終末期における、
推測余命数日の際の「身の置き所のなさ」を見たことが
なければ、「そんなに辛いの?」と思われるのも
不思議ではありませんが、実際意識がある方は
相当な辛さを訴えます。

そこを超えると(本当に臨死になると)苦痛が自然に
薄れるのではないかと思われます。このご質問の方が
死にかけた時もそうだったのではないでしょうか。

いずれにせよ、医療者が「この人は辛そうだから」
と判断して、勝手に治療をやめてしまうというような、
そんなことはほとんどないと思いますし、また僕自身も
一方的にやめるとは言っていません。あくまで十分
相談したのちの結果です。

むしろそんな一方的にやめられるなんてことはなくて、
「もういいよ」と患者も家族も、やっている医師すらも
内心思っているのに、これが義務だからと最期まで
全身全霊の治療を行う一方で苦痛緩和の治療がなされな
いというようなことのほうが、よほどよく見かけられます。

ですので、心配しないでください・・とはなりませんよね。
心配なんです。いずれにせよ誰も勝手にやめたりは
しませんので、その心配はありませんよ。


Q 無理無理と諦められて死んでしまうのも怖いのですが・・?

これも同じくです。

けれども、経験ある医療者はそれこそ「もうダメだろうな」
というのは感じつつも、命を守ることが義務だと任じている
ので最後まで諦めないのです。

ただこれまで述べてきたように、そのことにのみ終始すると、
苦痛は取ってもらえず、もしかすると命が縮んだりして、
結局望むような時間とかけ離れてしまいます。

現場を知る僕としては、医療の受け手の患者の希望は別とした
「諦めてもらえない怖さ」のほうが上回るのではないかと
思います。


以上です。

僕だって、患者さんの命ができるだけ長いことを祈っています。
ただ先にも延べたとおり、苦痛を取ってもらえず、ひもで
がんじがらめになったり、たくさんの管でつながれて、
明らかに本人の希望ではない時間を苦痛の中に過ごされている
こと、これはいけないなあと思っているのです。
できるだけ良い時間を、できるだけ長く、それを願っているの
です。たくさんの終末期を診ているからこそ、余計に「良い時間
が少しでも長く」と強く祈っています。
延命を目指しているのに、苦痛ばかり増やしていて、実際は非延命
になっているのじゃないか、という治療が幅を利かせている
ことに異を唱えているのです。


僕が増税論者の本を読むようなもので、主張が全く異なる人の
本を読むということは楽なものではないことはよくわかります。
命が長ければ他はどちらかというと問題ないという方には、私の
述べていることは苦痛も強く、またけしからんと思うのも故なき
ことと思います。
しかしどうか、曲解しないで、字面を可能な限りニュートラルな
お気持ちで読んで頂きたいと切に願うのです。なかなか人と人と
がわかりあうのは大変だなあと日々痛感しております。

もっともここの読者さんはわかってくれている方が
多いと思います。僕も引き続き、終末期医療の真実を伝えていか
ねばならないと兜の緒を締めております。頑張ります。

皆さん、今後ともどうぞよろしくお願いします。
それではまた。
失礼します。