皆さん、こんにちは。大津です。
朝日ドットコムで、ボランティアの経験が
あまりない人が被災地に行く時に気をつけ
ること、というのが掲載されていました。
↓↓↓
http://www.asahi.com/special/10005/asahi_shakai/shien/TKY201103310287.html?ref=reca
下記転載します。
被災地は想像以上にひどい状況です。自衛隊や消防など訓練を受けている人でないと、精神的にショックを受けます。現地のライフラインはまだ万全ではありません。まずは自力で行ける範囲の場所でのボランティアを。夜は自宅に帰れますので、精神的な負担が少ないです。阪神大震災では、ボランティアのPTSDが問題になりました。被災地に行きたいと焦るかもしれませんが、まずは身近なところから。自治体や民間団体に集まる救援物資の仕分け作業などもあります。いきなりレベルの高い作業をすると精神的にきつい。被災者と同じ気持ちになり、落ち込んでしまうことも。実際に被災地に行くことになっても、精神的な安定を保つために被災者と同じ悲しみを背負わないように気をつけましょう。またベテランでない限り、1週間で一度帰るなど交代をすることも必要です。
(転載終わり)
この文を読んだ時、変な話かも知れませんが、
驚きがあったのです。
「確かにそうだ」と。
被災者の方とお話ししていて、ふとした瞬間に
出てくる話は、本当に強烈で厳しい体験のお話
です。そして、ご家族を亡くされた方もたくさん
いますから、そういうお話を聴くことも、ある程
度の場数を踏んでいなければまるで自らが同じ体
験をしたかのような強烈な打撃を受けてしまうこ
ともあるのではないかとも感じました。
お医者さんや看護師さんとて、死への対応は簡単
なものではありません。僕も研修医の頃は、
いたたまれないような気持ちが今よりずっと強く、
今の技量と経験があればもっと患者さんの終末期
や死にできることはあったのにと悔やまれます。
人の死に慣れてしまうことはよくありませんが、
人の死に接したときに、また人の死に触れよう
というときに、あるいは死別された方の苦しみを
聴いたときに、どう「自らの」マネジメントを
するかという経験があるかだけでも、相当な力と
なりうるのだと、僕はそんなことを思いました。
被災地で活動するにあたり、
「言葉にならない」「答えることができない」こと
に日々向き合い続けている、看取りに近い場所にいる
医療者の経験が、本当にありがたいことに、活きる
のだとつくづく感じました。
「答えが出せないこと」はけして悪いことではなく、
その答えが出せないことに対して、ともに悩み、
苦しむこと、これが大切なのを知っていますから、
その場から逃げ出したいと昔だったら思ったかも
しれないような重みを持った話をも何とかたくさん
聴くことができたのではないかと感じました。
これまでたくさんのことを教えてくださった方たちに
深い感謝を改めて思った次第です。そして
答えの出ない問いを、これまでたくさん与えてくれたことに、
本当に感謝するのです。
けれど、長く生きていれば、誰もがそれぞれの
得意な領域があるはずです。皆さんにもそれぞれが
困っている方々を救う力があることでしょう。
ご自分の力をどうか過小評価しないでください。
生きている限り、いや亡くなってからも、人は
「必ず」誰かの支えになっています。
それを認め、清澄で折れないこころでありたいものです。
それではまた。
失礼します。
朝日ドットコムで、ボランティアの経験が
あまりない人が被災地に行く時に気をつけ
ること、というのが掲載されていました。
↓↓↓
http://www.asahi.com/special/10005/asahi_shakai/shien/TKY201103310287.html?ref=reca
下記転載します。
被災地は想像以上にひどい状況です。自衛隊や消防など訓練を受けている人でないと、精神的にショックを受けます。現地のライフラインはまだ万全ではありません。まずは自力で行ける範囲の場所でのボランティアを。夜は自宅に帰れますので、精神的な負担が少ないです。阪神大震災では、ボランティアのPTSDが問題になりました。被災地に行きたいと焦るかもしれませんが、まずは身近なところから。自治体や民間団体に集まる救援物資の仕分け作業などもあります。いきなりレベルの高い作業をすると精神的にきつい。被災者と同じ気持ちになり、落ち込んでしまうことも。実際に被災地に行くことになっても、精神的な安定を保つために被災者と同じ悲しみを背負わないように気をつけましょう。またベテランでない限り、1週間で一度帰るなど交代をすることも必要です。
(転載終わり)
この文を読んだ時、変な話かも知れませんが、
驚きがあったのです。
「確かにそうだ」と。
被災者の方とお話ししていて、ふとした瞬間に
出てくる話は、本当に強烈で厳しい体験のお話
です。そして、ご家族を亡くされた方もたくさん
いますから、そういうお話を聴くことも、ある程
度の場数を踏んでいなければまるで自らが同じ体
験をしたかのような強烈な打撃を受けてしまうこ
ともあるのではないかとも感じました。
お医者さんや看護師さんとて、死への対応は簡単
なものではありません。僕も研修医の頃は、
いたたまれないような気持ちが今よりずっと強く、
今の技量と経験があればもっと患者さんの終末期
や死にできることはあったのにと悔やまれます。
人の死に慣れてしまうことはよくありませんが、
人の死に接したときに、また人の死に触れよう
というときに、あるいは死別された方の苦しみを
聴いたときに、どう「自らの」マネジメントを
するかという経験があるかだけでも、相当な力と
なりうるのだと、僕はそんなことを思いました。
被災地で活動するにあたり、
「言葉にならない」「答えることができない」こと
に日々向き合い続けている、看取りに近い場所にいる
医療者の経験が、本当にありがたいことに、活きる
のだとつくづく感じました。
「答えが出せないこと」はけして悪いことではなく、
その答えが出せないことに対して、ともに悩み、
苦しむこと、これが大切なのを知っていますから、
その場から逃げ出したいと昔だったら思ったかも
しれないような重みを持った話をも何とかたくさん
聴くことができたのではないかと感じました。
これまでたくさんのことを教えてくださった方たちに
深い感謝を改めて思った次第です。そして
答えの出ない問いを、これまでたくさん与えてくれたことに、
本当に感謝するのです。
けれど、長く生きていれば、誰もがそれぞれの
得意な領域があるはずです。皆さんにもそれぞれが
困っている方々を救う力があることでしょう。
ご自分の力をどうか過小評価しないでください。
生きている限り、いや亡くなってからも、人は
「必ず」誰かの支えになっています。
それを認め、清澄で折れないこころでありたいものです。
それではまた。
失礼します。