皆さん、こんばんは。大津です。

今夜のNHKでも被災地の医療が
取り上げられ、厳しい状況である
ことが報じられていました。

「医師の確保」「年単位の支援」を
希望する声もアンケートで挙げられて
いました。

けれども実感として、だいぶ地域ごと
の差異があるように感じました。
報道が入るのも、メジャーな地区、
メジャーな避難所のことが多いようで、
そのような所に慰問も集中しますから、
また物資もそういう所に届きやすいです
から、格差があるのではないかと感じます。

実際、NHKで報じられていた病院には
もう医師がおらず、なのにそこが地域唯一
の病院で、支援している赤十字が今月で
撤退と報じられていました・・。
私が活動している地域と比べて、かなり
厳しいのではないかと思います。

需要と供給をマッチングさせることの
難しさをつくづく感じました。


テレビを付けると報じられている、
復興税とか与野党攻防とか、被災地に入る
とますます遠い話に感じます。

自衛隊の方々は小高い空き地に大きな
キャンプを作り、一生懸命働かれています。
日本中の水道局の方々が集まり、少しずつ
水道も復旧の道を辿っています。
被災地には色々な言語(方言)が飛び交って
います。私がかつていた懐かしい京都の
言葉や、学生時代を思い起こさせる岐阜の
言葉もあります。全国オールスターです。
とうとう僕の宿泊地にもお湯が通るように
なったのは、ガスに携わる皆さんのおかげ
でしょう。皆さんが、懸命に汗を流して
働いています。

だからとても中央のことが空虚に感じます。
もちろん人には職分がありますから、
人のことをとやかく言う資格はありません。
けれども東京にいて感じることと、現場に
いて感じることは、やはりどこか違います。
汗を流すことの大切さを思い知るのです。
そしてそこから乖離した議論や、映像だけ
を元にした議論はどこかちぐはぐな印象も
受けるのです。


こちらにいると、職に殉じたたくさんの
方達の話を聞きます。警察官、消防隊員、
市役所職員、病院職員、・・。
はたして目の前に津波が迫るときに、
彼らと同じように守るべき人の前に身を
投げ出すことができるでしょうか。
できないからといって到底責められる
ものではありません。それは部外者が
とやかく言うことではありません。皆
必死でした。それでもなおも、人のため
に生きようとした方達がいたのです。
深く深く感謝したいと思います。

お子さんを殉職で亡くされた方も、
しかし何をも責めていませんでした。
僕たちはもはや語るべき言葉を持ちません。
ただその高潔な魂に、最敬礼と、安らかにと
そういう祈りがあるのみです。あなた方は
僕たちの誇りです。本当にありがとうございます。


この診療所があって、先生方が来てくれて
良かったと、被災された方々がおっしゃって
くださいます。
本当に有り難いと思うと同時に、彼らも
これからここで生きていかねばならないこと
を思うと、複雑な心境となります。
僕たちはあくまで支援者であり、主人公では
ないのです。支援者はいつかここを立ち去ら
ねばならない日が来ます。その時に、立派に
そこにあるもので完結できるようなものを
仕上げることこそ援助者の役目なのだと
思い知りました。あまりに人気のドクターに
なってしまってもいけないのです。そういう
意味で、緩和ケアチームの緩和医療医として
の仕事は、主人公である患者さん、脇を支え
るご家族と主治医がうまくいくように側面か
ら支援することですから、それに近い気がしました。

スタンドプレーや目立ちたいのが好きな人に
は苦手な仕事かもしれませんが、僕はこういう
仕事が大好きです。一人の良き縁の下の力持ちであり
たいと願います。それこそ全ての医療の根っこ
にあり心構えでもある「緩和ケア」そのものな
のではないでしょうか?

一人の人間にできることは限られています。
けれど力の限り。

また明日も頑張りましょう。

皆さんもよき週末を。
失礼します。