皆さん、こんにちは。大津です。

チェルノブイリ事故の治療にも携わったという
ロバート・ゲイル博士のインタビュー記事が
ダイヤモンドオンラインに掲載されています。
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今日は長文なので、気力等に余裕があるときに
お読み頂ければ幸いです。

一部抜粋します。



たとえば、(日本政府は)現在、飲料水では放射性ヨウ素が1リットルあたり300ベクレルを超えると好ましくないというメッセージを国民に伝えている(乳児の規制値は100ベクレル)。しかし、この数値は何も目の前のコップに入った水を飲むと危険だということを示しているのではない。

 20杯飲んでも大丈夫なはずだ。その値以上の飲料水を5リットルほど毎日1年間飲み続けたら、ガンになる確率が1万分の1上がる可能性がわずかにある、ということだ。そういう説明を、自信を持ってできる人間が政府内にいないことが問題なのだ。

――放射性物質を含む大量の汚染水が海に放出されたことで、魚介類への影響も懸念されているが。

 それについても、同じことだ。

 もちろん、放射性物質を含む汚染水を海に放出せずに済めば良かった。だが放射線が最も危険なのは濃縮した状態だ。広い海に流せば、希薄化する。海への放出は、現状で考え得る最善の選択肢なのだ。

 また、魚介類に対する放射性物質濃度の基準も、他のものを食べず、その魚だけを一生食べ続けたら、ガンになるリスクがわずかに増えるという程度ものだ。そもそも海には以前から放射性物質が含まれている。1994年まで海底での核実験が行われていたし、原子力潜水艦や核弾頭なども海底に沈んでいるからだ。海水の放射能汚染は何も新しいことではない。

 むしろ今後の問題は、人々が怖れるあまり近海の魚が売れなくなり、経済的な打撃を受けることだろう。だが、それは無知に基づいた反応以外の何ものでもない。政府は、専門家による委員会を組織し、そうした説明を国民に向けて行うべきだろう。今からでも決して遅くない。



――住民が戻ったとして、長期的に見て健康に影響が出る可能性はないのか。

 住民が放射線量の高い雲の中をくぐるようならば話は別だが、それは今回現時点では起こっていない。では、一定期間が経って、保守的な被曝線量限度の目安を超えた場合はどうなのか。むろん、土壌の放射能汚染がどの程度かによって、外部被曝だけでなく体内被曝のリスクも継続的に検査する必要があるのはいうまでもないが、たとえば70歳の高齢者でこれまでタバコを吸い続けてきたような人ならば、現状のレベルの放射線によるガンのリスクは微々たるものに過ぎない。若年層には勧められないが、高齢者ならば、場所によっては住み続ける選択肢もあり得るだろう。

 繰り返しになるが、より深刻な事故を起こしたチェルノブイリの30キロ圏内にも、今では住める場所はある。問題は細やかな環境調査に基づいて「ここはいいが、あそこはダメだ」といった区分けが徹底できるかということと、食糧確保など生活のためのインフラが本当に確保できるかということだ。チェルノブイリの半径30キロが原則立ち入り禁止区域に指定されている背景には、そうした区分けやインフラ確保が難しいからという事情もある。




――チェルノブイリ事故直後の惨状を知る立場から、今回の状況をどう見ているか。

 チェルノブイリは、福島第一原発の現状とは比べものにならないくらいの大惨事だった。放射線量も多かったが、事故をさらに悲惨なものにしたのは他の要因にもよる。たとえば、事故直後現場に駆けつけた消防士らは、放射性物質が飛散していることをまったく知らされていなかった。防御服もなく生身で放射線にさらされながら、消火活動を行っていたわけだ。

 また、20年以上前のソ連では、住民に政府の情報を伝達するのは簡単なことではなかった。教育レベルも低く、政府の言うことに従おうという意識もあまりなかった。

 (チェルノブイリ事故の影響で)6000件の甲状腺ガンが報告されているが、これは子どもたちが放射性物質に汚染されたミルクを飲み続けていたからだ。周辺は農村地域で、当時は食糧の流通システムも発達しておらず、住民たちは地元農村で採れたものを口にしていた。こうしたことに加えて、(放射性物質が甲状腺に害を与えるのを防ぐ)ヨウ素剤も十分に行き渡らなかった。つまり、原発事故直後に本来取られるべき措置のすべてが取られなかったのだ。

 これに対して、福島原発事故では、日本政府の説明下手という問題はあるが、放射能汚染リスクへの対処はきちんと行われていると私は考えている。



(抜粋ここまで)


情報が出回り過ぎて、何を信じていいのか、という問題が
横たわっているのではないかと僕は思います。
原子力問題に関しては、推進する方と推進しない方の本件
に関する見解がはっきり違い、前者の方の文章を読めば
「安心」、後者の方の文章を読めば「危険」と感じます。

問題は、聞く側が「この人は賛成派だ!」とか「この人は
反対派だ!」ということを見定めて、割り引いて考えない
と、過剰誘導される危険があるということです。

この分裂は至るところで見られます。

増税に関しても同じです。増税派は、日本を助けるために
ここは増税だと言い、そしてまた財政危機を煽っていますが、
こういう時だからこそ、無駄を徹底的に省く、公の領域の
そういうものを徹底削減するという考えもあると思います。
増税で余計に消費が冷え込み、
中小企業が窮地に陥り、結果的に税収が下がるということも
あるわけで、自信を持って「増税」と言うことはできない
はずです。増税に従わないのは、まるで被災された方を
助ける気がないかのように精神的罪悪感を負荷すると言うのは、
目的のために手段を選ばない人は考えそうなやり方ですが、
それに乗ってはいけないと思います。

また医療界の怪しい治療についてもそうです。
効いているはずもない、インチキな「○○ががんに効く」等の
医療行為をしているお医者さんこそ、一般的知名度が高く、
信じられていることが良くあります。ですから、僕は今回の
原子力専門家の「発信してもなかなか信じてもらえない」とい
う状況に共感するものでもあります。

つまり「誰が言ったか」ということが実際はかなり
判断の基準となりがちなので、
信用できなさそうな人が言った
本当は信用できる情報まで、信用されない、ということが現実
問題少なからずあるということです。
僕は10年以上医者をやっていて、それを痛感しています。

ですから日常レベルでは、きちんと信頼関係を患者さんと
築かねばなりません。それが今一つだから、
怪しい治療を推進する先生方(こういう方はある意味
良い印象を与える操作の天才です)の怪しいコメントに
負けてしまうのです。

今の医療においても(あるいは原子力関連においても?) 
正統な意見を言っている人が、一般に、良い印象を与える
立ち居振る舞いに少ないためにあまり信じられないで、
困っている人は親切そうで頼れそうな専門家(らしき人)
が勧める怪しい治療に走ってしまうという事実を、構成員
は重く受け止めなくてはいけないと思います。

例えば、「抗がん剤治療をしている先生が不親切で話を
聞いてくれない」、そんなときにメディアにたくさん出て来ている
「抗がん剤は効かない」という記事を読んでやっぱりと思って
しまうとか。

同じく、「いつも腫瘍マーカーの話だけで、30秒診察」と
不満を持っている患者さんが、怪しい免疫治療クリニックに行って
その先生の親切さに感動、すっかり虜になってしまう(この
ようなクリニックの先生はたいてい親切です。生活も
かかっていますからね。もちろん善意なのでしょうが、根本は。
ただ明らかに誤ったものを善意で勧めるのがどうかということです)。

ただこれは患者さん側ばかりではなく、接する医療者側の
言動・態度に問題があるから、こちらを信じられずに、
怪しいけれどもとても親切な医者のほうに行ってしまうのだという
事実をかみしめる必要があるでしょう。

結局、国の出す情報への信頼感が少ないのは、これまでの
振る舞い、そして現在の立ち居振る舞いに依拠しているの
でしょう。根本的な不信があるから、専門家がいくら物量作戦で
正しい情報を伝えようとしても、原発反対のジャーナリストの
説得力に負けてしまうわけです。

これらの一件を通し、信頼関係の重要性を痛感しています。
実際、プロフェッショナルとしての極度に高度な技術よりも、
気さくに話ができることのほうがずっと有効だったりすることも
しばしば実感しております。考えさせられます。

それでは皆さん、また。
長い長い文を最後まで読んでくださってありがとうございました。
失礼します。