皆さん、こんにちは。大津です。

物見遊山気分で来られるボランティアがいては
迷惑なのは、確かにそうです。食事、眠る場所、交通等が
十分自力確保できない状況で被災地をより消耗させるのは
避けなければならないのは言わずもがなです。

けれども、日本人のストイックさが出ていると思うのですが、
「素人が行っても役に立たない、足手まといなだけ」
というような言葉が、震災当初からたくさん飛び交い、
そこまで厳しくし過ぎると善意で行こうとする人が少なくなっ
てしまうのではないかな・・という危惧もありました。

するとやはり・・というか、それを問題視する記事が
今週になって出て来ています。
↓↓↓
ニューズウィークのこちら

転載します。
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「ボランティアは押し掛けていい」
The Goodwill Dilemma
今たくさん来られても困る──東日本大震災後にそんな「ボランティア迷惑論」が広がっているが、本当にそうなのか
2011年04月04日(月)10時53分

 被災者のために何かしたいが、何をしたらいいのか分からない──東日本大地震から3週間以上が経つなか、こうした「善意のやり場に困った人」の話をよく耳にする。震災直後からひとり歩きし始めた「迷惑ボランティア」という言葉が、被災地に行って力になりたいという人を躊躇させているのだ。

 実際のところ、今ボランティアが押し寄せたら、被災者にとって本当に迷惑なのか。関西学院大学災害復興制度研究所長の室﨑益輝教授に、本誌・小暮聡子が聞いた。

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──ボランティアを自粛する動きがあるが、実際のところ人数は足りているのか。

 今回の被災地は阪神淡路大震災の何倍もの範囲に及ぶので、何倍ものボランティアが必要だ。にもかかわらず、ボランティアが集まってくるペースは阪神のときと同じか、もっと遅い。ここ数日で状況は少しずつ変わってきているが、私の計算では1日2万人くらい集まるべきところが、1000~2000人レベルにとどまっている。

 受け入れ態勢が出来ていないとか、準備不足で行くと現地に迷惑がかかるという声が流布されたことで、ボランティアの動きにブレーキがかかっている。

──「迷惑ボランティア」という言葉もあるが。

 阪神淡路大震災のときはボランティアが大勢来たが、被災者はちっとも邪魔とは思わなかったはずだ。迷惑に思っていたとすれば、登録したり名簿を作ったりするのに、一度に来られたら対応しきれないという行政だろう。

 今回、ボランティアを自粛させている1つの原因は、地元のボランティアセンター自体が被災したため、ボランティアを受け入れる機能を失っていること。受け入れ態勢が出来ていないので、少し待ってくださいということになる。

 被災者は来てほしいと思っている。家には物もないし、人も来ない。本来ボランティアというのは被災者の方を向いて、被災者の声に耳を傾けて、現状をどう改善するのかを考えなければいけない。なのに、阪神淡路大震災のときにはこうだったとか、過去の「マニュアル」に従ってしまっている。

 ボランティアが100人いれば、なかには迷惑をかける人もいるだろう。でも、みんな迷惑をかけに行っているわけではなく、助けようと思って行っている。迷惑をかけたら、ちょっと注意すれば済む話。なのにボランティアに注文ばかりをつけて、ハードルを上げてしまっている。最も重要なのは被災者の立場に立って、被災者を助けようという心がけだ。

──ボランティアの主要な受け皿とされる被災地の社会福祉協議会は、募集範囲を「県内(市内)のボランティアに限る」としているところが多い。

 極端な話、それは被災者を見殺しにしようとする行為に等しい。それでボランティアの足が止まるのだから。

 NPOなどは行政のボランティアセンターを当てにせず、自分たちでボランティアの受け入れ体制を作ろうという方針に変えた。ボランティアセンターが募集を制限する理由の1つは、泊まる場所がないからだが、NPOの中にはテントを張ったりプレハブを建てるところもあるし、被災地から少し外れれば民宿もある。

 実際はガソリンも普及し始めているし、県外の人を断る必要はない。県内では中高生までが必死で働いているが、もうみんな疲れてきている。早く外からも行って励まし、助けてあげなければいけない。

──ほとんどの社会福祉協議会が受け入れを制限しているが、被災者側のニーズはもっとあるということか。

 ニーズは歩いて探しに行かなければいけない。浸水した家の2階の電気もない場所に数家族が身を寄せ合っていて、水も食料もないと悲鳴を上げているのに、ニーズがないなんてことはあり得ない。泥にまみれた家が何万棟とあるなか、泥が固まる前に誰がかき出すのか。

 今ボランティアに行くと迷惑をかけるという世論が、どういうわけか出来上がってしまった。それを変えるのはとても大変だ。

 ボランティアは押しかけていい。迷惑をかけてもいい。迷惑かけた分の何倍もいいことをしてくればいい。来てくれただけで、本当に喜ばれるのだから。
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(引用終わり)(赤字強調ブログ著者)

奇妙な「自粛」の一形態で、迷惑をかけるのではないか、
結局嫌な気持ちにさせてしまうのではないかと極度に恐れれば
何も出来なくなってしまいます。
緩和ケアにおいても、気持ちを慮ることは大切ですが、それで
も不利益なことを選択されようとしている時は、「それはやめ
たほうが良い」と控えめに言ってみるというおせっかいや介入
は許されると思います。

「一番困っている人(病院なら患者さん。被災地だったらまさ
に被災された方)の本当の願いは何か」をきちんと聞いて、
そのうえでどうやって援助するかを考えるのは基本だと思います。
周囲が大きな取り越し苦労をしていることだって稀ではないのです。

本当に困窮しているときは、ありがた迷惑でも嬉しい、そうい
うことは確かにあると思います。直接誰かがやって来て、何か
一生懸命手伝わせてください、という時に、迷惑がられるので
はないか、というのは困っている方の声ではなくて、自らの
心の声、つまり自粛そのものなのではないかと思います。
そしてそれはしばしば他者の希望と食い違うのです。

何事もバランスが大切です。そもそも、
世の中に100%誰にも迷惑をかけない生き方はありません。
根底に、
熱烈な助けたいという思いがあるのならば、それは許される
のではないでしょうか。
もちろん様々な援助の方法があってしかるべきなので、
現地に行かなければいけないと強迫的になることはないと
思います。そこもバランス感覚だと思います。

それぞれの一隅を照らすことだと思います。
一週間も後半戦、引き続き頑張って参りましょう。
失礼します。