こんにちは。大津です。

今日も暖かいですね。

自粛について気になった
記事をいくつか。

産経新聞のもの。
↓↓↓
こちら


東日本大震災 「日本は自粛の強迫観念に襲われた」 米紙、経済への悪影響懸念
2011年3月30日(水)08:00

【ワシントン=古森義久】米紙ニューヨーク・タイムズは28日付で「津波後の日本は自粛という新たな強迫観念に襲われた」との見出しの記事を掲載し、日本国民の多くが地震や津波の犠牲者への弔意から日常の活動を縮小するようになり、国民経済への悪影響が懸念されると伝えた。

 東京発の同記事は、日本で「地震、津波、原発で何十万という国民が被害を受けたことから、被災地以外でも、少しでもぜいたくにみえる活動はすべて非難されるようになった」とし、日本国民のすべての層が生活面での「自粛」をするようになったと報じた。

 自粛はまず電力の節約という形をとり、日本国民が「電灯、エレベーター、暖房、トイレ座席の暖房まで止めるようになった」とし、安売りカメラ店の客案内の音声やカラオケ店への出入り、桜の花見、高校野球応援、東京都知事選の候補の音声までが自粛されていると指摘した。

 同記事は自粛が過剰になっていることを示唆し、企業や学校の行事のキャンセルが日本の経済全体の60%に及ぶ消費支出を大幅に減らし、「もともと停滞していた日本経済に侵食効果をもたらし、倒産を急増させるだろう」と述べている。

 また「東京都民にとっての自粛は被災地の人々との連帯を示し、自粛をする側を何か良いことをしているという気分にさせる安易な方法だ。しかし、当人たちは実際にどんな効果をもたらすかはあまり考えていないようだ」とも論評した。


もう一つはダイヤモンド・オンライン。
↓↓↓
こちら

一部抜粋し転載します。


ツイッター上で
「不謹慎!」と非難の嵐

 2週間後の現在――。大地震にともなう計画停電で、東京の繁華街のネオンが消され、帰宅への不安から人通りも減少し、不規則な停電スケジュールにより営業を休止する店舗が続出しました。さまざまなイベントやコンサートなどは節電を理由に次々中止が決まり、加えて多くの各種学校の卒業式や入学式も行われないことになりました。また、企業の宣伝広告・販促活動は「自粛」という名目で相次いで中止、延期となり、テレビCMは全てACジャパン(公共広告機構)に差し替えられました。

 メディアによる連日の被災地の過酷な現実と放射汚染の不安を煽る報道、余震にくわえて日本各地で頻発する新たな地震で消費マインドは大きく低下しています。一方、東日本で起こっている尋常ではない品不足・買い占めによる混乱。この異常事態の中では、通常期の購買行動とは違い明らかに生活必需品の需要が圧倒的に増し、嗜好品の優先度が下がって、趣味やファッション、グルメにお金を使おうという気持ちが著しく萎えています。必要以上の節電の必要もなく、地震で直接の被害を受けていない西日本でも消費は大きく落ち込んでしまっています。

 それに拍車をかけているのが社会全体を覆っている過剰なまでの自粛と、不謹慎のムードです。さらにそのムードを助長しているのが、この地震で災害時の有効な情報インフラとして改めて注目されたツイッターなどのソーシャルメディアです。

 ネットメディアの持つ力が再発見された反面、陰の側面も現われていることを指摘する必要があると『週刊ポスト』2011年4月1日号でITジャーナリストの佐々木俊尚さんが述べています。「実はソーシャルメディアで『人がつながって一致団結する』ということと、『圧力をかける空気をつくりだす』という行為は表裏一体で、容易にダークサイドに転ぶ」というのです。佐々木さん自身がツイッターで「まあ私は今後も不謹慎なことを言い続けます。これから青山に出かけてブラブラ散歩して、そのあと西麻布でイタリアンだ!いいワインをあけよう!」と過剰な自粛ムードにあえて警鐘を鳴らしたところ、「物凄い非難の嵐が不謹慎ディナー宣言に。まあ気にしないことにしよう。生きてる世界観が違うのだろう」「なんか古い友人まで非難してきた。ブロック。もう友人関係は終わりにさせてもらいます」というツイートのやり取りがありました。

個人消費の落ち込みが
最も怖い

 “不謹慎”という大義名分の下に、「恥を知れ」「非国民」などといった罵詈雑言が、ソーシャルメディアを通じて特定の企業や個人、メディアに投げつけられて謝罪を強要したり、まるでナチスのゲシュタポや旧ソ連のKGBのように人々の消費行動や企業の経済活動を監視し、委縮させているのです。そんな重苦しい雰囲気の影響なのか、早々と浅草・三社祭も東京湾大華火祭も震災の影響を考慮して全面中止されることになりました。

 一方で地震発生から芸能、スポーツイベントの中止が相次いでいることを受け、吉本興業では、「自粛」ではなく「行動」することで少しでも被災者の方々の役に立ちたいとの考えで第3回沖縄国際映画祭は決行されました。またアメリカの歌手のシンディ・ローパーさんも東京でのコンサートを予定通り行いました。

 そもそも、長引く「自粛ムード」は、経済を停滞させるだけです。阪神淡路大震災時の被害額約10兆円を大きく上回る今回の震災の約16兆-25兆円と言われている直接的な被害額に加えて、自粛ムードや停電などによる消費の落ち込みは3兆円を超えると予想されています。復興に必要な原資は、経済活動を通じてしか調達できません。

 国内総生産(GDP)の6割を占める個人消費の低迷が長期化すれば、日本経済にとってはさらに大きなダメージになります。震災の影響で、雇用にも大きな影響が出はじめています。全国のハローワークには内定取り消しなどを検討する企業からの相談が90件以上寄せられているとの報道もありました。

 今本当に怖いのは放射能よりも、むしろ日本経済全体の停滞です。

 特に東日本とは周波数が異なり、送電容量が100万キロワットに限られる関西を中心とする西日本では、関西電力も「送電は(管内の)安定供給に支障がない」とするように、節電を気にすることなく、むしろ積極的に自粛ムードを払しょくし、チャリティー活動等と合わせて各種行事やイベント、企業の宣伝広告、販促活動を行って落ち込んでいる東日本の需要をカバーするべきです。

 しかし、自粛のムードは未だ全国的に続いています。

「中止」「延期」の裏に見える
責任回避と自己保身

 そんななか、東京の井の頭公園が花見宴会を自粛してほしいという要望を出し論議を呼んでいます。もちろん電気を必要とする夜桜は自粛するべきです。しかし、昼間の花見に何か支障があるのでしょうか。

 東京湾大華火祭の中止の理由を主催者である東京都中央区は“東日本大震災の被害の深刻さが次々と明らかになっているなかで、現在もなお31万人にのぼる避難者が厳しい生活を強いられている状況であり、被災地に考慮した”と説明しています。

 果たして被災者の方々は、東京の夏の風物詩の花火大会で、節電など制約の多い生活で疲れきった人々が、ほんの一夜だけ花火で癒されることを不謹慎だと思うのでしょうか?

 阪神淡路大震災のとき、テレビが「お笑い」を流して、不謹慎というクレームが殺到したが、被災地では、「ありがとう」「久しぶりに笑った」という声ばかりであったという話もあります。

 一方、東京ディズニーランドを運営するオリエンタルランドでは、「電力不足のほか、交通機関の様子、燃料不足なども見なければなりません。こうしたインフラの状況を見ながら、どのような形で開園できるのかを決めたいと思います」と子どもたちのために何とか再開する方法を模索しています。

 あらぬ批判を受けたくないという、責任回避、自己保身のために、さまざまなイベントや行事、企業活動が中止や延期とされています。それは直接の被災地以外でさらなる被害を生みだし、結果的に被災地の復興が遅れることにつながります。


(引用ここまで)


海外ニュースを見ていると、津波は完全にTSUNAMIとして
報じられています。輸出された英語になっているんですね。
そのうちJISYUKUも言葉としては輸出されるかもしれません。

自粛は、上の記事でも指摘されているように、社会的連帯や
痛みを分かち合おうとする行動ではありますが、一方で
思考停止した社会的圧力の回避の一形態でもあります。

今回特に僕が「自粛」に反応するのも、終末期の現場に
おいても、患者さんと終末期や死について話すべきではない
という有形無形の圧力がずっとあったからです。それと
類似する問題と感じています。

関係が良好な時ほど、患者さんははっきり教えてく
ださいと、終末期や死の話を躊躇なく出されます。
お話すれば、良かったー誰も教えてくれないから、とか、
知っておいて良かった、とか、感謝されることが多いくらい
なのです。誰も話してくれないから孤独だったよ、と言われる
こともあります。周囲が慮るあまり、患者さんの自由な表現を
許していないのです。

実は周囲こそが「取り越し苦労」をしている。
そんなことが少なくないことを、僕の経験は教えてくれます。

上の記事でも、お笑いを阪神大震災の被災者が喜ばれたという
お話が載っていますが、当事者の気持ちをよくよく考えれば
それも理解できるものと思います。もちろん色々な考えの方
がいますから、「不謹慎だ!」という方もいれば、「いやあ
久々に笑ったよ」という方もいるでしょう。けれども後者の
ほうが多いのではないかと思うのです。

無駄遣いはやめた方が良い、けれどもそれが行き過ぎると
日本の社会を支えている企業も弱ってしまう。私たちは
元来、そういうあっちを立てればこっちが立たない社会に
生きているのだと思います。ただ各所に「元気になってもらう」
ためには、過剰な自粛はむしろ害となるのではないでしょうか。

JISYUKU
それはわかりやすいがゆえに、必要以上にそれを求める
人々の声に、総合的な判断がかき消されがちになってしまいます。
個人レベルでは、そうはいっても、自粛して行動されている方が
たくさんいるのでしょうから、花見や、夏の花火まで自粛する
必要はないのではないかというのが僕の感じ方です。
誰よりも、逝かれた方たちがそれを望んでいるのでしょうか。
この年に節目の時を迎えてしまった人たちがかわいそうだから、
入学式や入社式などをきちんとやってほしいと、生きている者に
思っているのではないでしょうか。僕は死が近い方ほど、周囲に
深甚の思いやりを持ってらっしゃることを見て来ています。
きっと彼らだったら、「楽しくやってくれよ」と思っているので
はないでしょうか。

一隅を照らしましょう。まずは自らの足元からです。

それではまた。
失礼します。