ニューヨークにおける結核死亡率。
1812年 10000人のうち700人。
1882年 10000人のうち370人。
この年コッホがはじめて結核菌を分離。培養。
1910年 10000人のうち180人。
この年最初の結核療養所が開設される。
1945年頃 10000人のうち48人。
まだ抗結核薬使用が広く普及していない。
(ブログ筆者注:ストレプトマイシン単離は1943年)
あれれ? と思った皆さんもいることでしょう。
僕も思いました。
てっきり1945年ぐらいから、死亡者が
激減したと思っていたからです。
医療が進歩したから、結核が減ったのか。
どうでしょうか?
実は、上記の年代と数をおえばわかりますが、
抗結核薬が実用化される前にも、
結核の死亡率は減り続けているのです。
抗結核薬がなかった1812年と1910年の間でも、
10000人中700人が180人に減りました。
直接的な治療がまだないのに、これだけ減ったのです。
その理由はいかに?
皆さんはどう思いますか?
これ、『脱病院化社会』(イヴァン・イリッチ著)という本に
書かれている話です。
彼はこう結論しています。
「最も重要な要因は、栄養が改善されたために宿主(人間)
の抵抗力が高まったためと考えられる」
も一つ挙げられている例では、
1860年→1965年で、
猩紅熱・ジフテリア・百日咳・麻疹の死亡率は
15歳以下の小児にて「90%減じた」
しかしそれも、抗生剤やジフテリアの予防接種の
広範な普及前のことである、と。
「一世紀以上の間の疾病傾向を分析してわかることは、
環境こそが一般的な健康状態を決定する第一義のものである」
(同掲書)
イヴァン・イリッチが言いたかったのは、
死亡率が減ったのは、医療の進歩からが主では
なくて環境からなんだよ、例えば上下水道の整備とか、
飢餓の撲滅とか、摂取栄養量の適正化だとか、
そういうものが最も死亡率の低下に寄与して
いるんだよ、医療が一番死亡率の低下に貢献している
んじゃないんだよ、とそういうことです。
僕は医者ですが、医療原理主義じゃない
ので、同感です。
『死ぬときに後悔しない医療』や『死学』
に書きましたが、人には「自然治癒力」が
あります。良好な環境下であれば、それは
強くなりますし、劣悪な環境下ではそれが
弱くなります。普段だったら治る病気も
不良な環境下では治りにくい、あるいは
治らないこともある、ということです。
劣悪な環境の中で、何とか医療で頑張っても
結局環境の改善にはかなわない、ということ
が現実問題としてあるのです。
以上を勘案するに、第一は現在の過酷な
環境から、被災した方をより良い環境に導く
ことに尽きるのではないでしょうか。
例えば、
復旧の目処が立たない地域、復興にかなり
の時間を要すると考えられる地域、その
ような地域にある避難所では、避難所毎に
受け入れ自治体を探し(自治体と避難所の
マッチングを行い)、
集団でその自治体へ移動(自治体からの
迎えのバス等で)する。
自治体の内では、一家族ごとに一住居を
当座の間貸与する。
電気・ガス・水道を利用でき、つまり
暖かく衛生的な環境を利用できるようにし、
また普通の食事が摂れるようにする。
そういうアプローチが有効なのではないでしょうか。
環境が劣悪ならば健康・病気・精神状態も、ジリ貧
になるばかりかもしれません。
イヴァン・イリッチではありませんが、
まずは環境、おおもとは環境、だと思います。
健康の本質は医療というよりは環境です。
そして、病気を生み出さない土壌を提供することのほうが、
病気を生み出しやすい状況の中に何とか医療で
抑えようとするより建設的ではないかと思うのです。
今日も石巻赤十字病院の先生がTVで、もはや対策は県の
レベルというより国のレベルの話だ、という
コメントをされていました。
国が旗をふって、前記のような方向へ誘導する
などはできないのでしょうか。
例えば現在市町村は全国で1727あると
言われています。そのうち(遠方の自治体等
を除外して)1000が受け入れるとします。
避難者の総数ははっきりとしたソースはない
のですが、30万人なんてものもありました。
しかし1000自治体で受け入れれば、
ひと自治体あたり300人です。もちろん
それだけの住居を提供するのはなかなか簡単
ではないかもしれませんが。
もっとも僕が考えるようなことは、きっと
たくさんの頭脳がいますから、すでに
行われていることでしょう。
ただもっと劣悪な環境から、一刻も早く
被災者の方が脱出できるような試みが
あると有り難いです。自分の土地を離れたく
なかったりとか、まだ家族が見つからないの
で・・という方もいらっしゃったりとか、
そういうのはあるのではないかと思いますが、
良くない環境だと結局病気が増えてしまうの
が忍びないところです。
早く、適切な手が差し伸べられることを祈ります。
そして本質を見据えたアプローチも。
いつも読んでくださってありがとうございます。
それではまた。
失礼します。
追伸 今月末で閉館する赤坂プリンスホテルが
4月から被災者の方を受け入れるようです。
1600人くらい受け入れられるかも、という
話です。やりますね、赤プリ。いや、もう4月
からは赤プリでなくなるのか。でも実質的な
最後のお客さんが被災者の方々となるのも、
赤プリの歴史の栄光の1ページとなるのではないでしょうか。
1812年 10000人のうち700人。
1882年 10000人のうち370人。
この年コッホがはじめて結核菌を分離。培養。
1910年 10000人のうち180人。
この年最初の結核療養所が開設される。
1945年頃 10000人のうち48人。
まだ抗結核薬使用が広く普及していない。
(ブログ筆者注:ストレプトマイシン単離は1943年)
あれれ? と思った皆さんもいることでしょう。
僕も思いました。
てっきり1945年ぐらいから、死亡者が
激減したと思っていたからです。
医療が進歩したから、結核が減ったのか。
どうでしょうか?
実は、上記の年代と数をおえばわかりますが、
抗結核薬が実用化される前にも、
結核の死亡率は減り続けているのです。
抗結核薬がなかった1812年と1910年の間でも、
10000人中700人が180人に減りました。
直接的な治療がまだないのに、これだけ減ったのです。
その理由はいかに?
皆さんはどう思いますか?
これ、『脱病院化社会』(イヴァン・イリッチ著)という本に
書かれている話です。
彼はこう結論しています。
「最も重要な要因は、栄養が改善されたために宿主(人間)
の抵抗力が高まったためと考えられる」
も一つ挙げられている例では、
1860年→1965年で、
猩紅熱・ジフテリア・百日咳・麻疹の死亡率は
15歳以下の小児にて「90%減じた」
しかしそれも、抗生剤やジフテリアの予防接種の
広範な普及前のことである、と。
「一世紀以上の間の疾病傾向を分析してわかることは、
環境こそが一般的な健康状態を決定する第一義のものである」
(同掲書)
イヴァン・イリッチが言いたかったのは、
死亡率が減ったのは、医療の進歩からが主では
なくて環境からなんだよ、例えば上下水道の整備とか、
飢餓の撲滅とか、摂取栄養量の適正化だとか、
そういうものが最も死亡率の低下に寄与して
いるんだよ、医療が一番死亡率の低下に貢献している
んじゃないんだよ、とそういうことです。
僕は医者ですが、医療原理主義じゃない
ので、同感です。
『死ぬときに後悔しない医療』や『死学』
に書きましたが、人には「自然治癒力」が
あります。良好な環境下であれば、それは
強くなりますし、劣悪な環境下ではそれが
弱くなります。普段だったら治る病気も
不良な環境下では治りにくい、あるいは
治らないこともある、ということです。
劣悪な環境の中で、何とか医療で頑張っても
結局環境の改善にはかなわない、ということ
が現実問題としてあるのです。
以上を勘案するに、第一は現在の過酷な
環境から、被災した方をより良い環境に導く
ことに尽きるのではないでしょうか。
例えば、
復旧の目処が立たない地域、復興にかなり
の時間を要すると考えられる地域、その
ような地域にある避難所では、避難所毎に
受け入れ自治体を探し(自治体と避難所の
マッチングを行い)、
集団でその自治体へ移動(自治体からの
迎えのバス等で)する。
自治体の内では、一家族ごとに一住居を
当座の間貸与する。
電気・ガス・水道を利用でき、つまり
暖かく衛生的な環境を利用できるようにし、
また普通の食事が摂れるようにする。
そういうアプローチが有効なのではないでしょうか。
環境が劣悪ならば健康・病気・精神状態も、ジリ貧
になるばかりかもしれません。
イヴァン・イリッチではありませんが、
まずは環境、おおもとは環境、だと思います。
健康の本質は医療というよりは環境です。
そして、病気を生み出さない土壌を提供することのほうが、
病気を生み出しやすい状況の中に何とか医療で
抑えようとするより建設的ではないかと思うのです。
今日も石巻赤十字病院の先生がTVで、もはや対策は県の
レベルというより国のレベルの話だ、という
コメントをされていました。
国が旗をふって、前記のような方向へ誘導する
などはできないのでしょうか。
例えば現在市町村は全国で1727あると
言われています。そのうち(遠方の自治体等
を除外して)1000が受け入れるとします。
避難者の総数ははっきりとしたソースはない
のですが、30万人なんてものもありました。
しかし1000自治体で受け入れれば、
ひと自治体あたり300人です。もちろん
それだけの住居を提供するのはなかなか簡単
ではないかもしれませんが。
もっとも僕が考えるようなことは、きっと
たくさんの頭脳がいますから、すでに
行われていることでしょう。
ただもっと劣悪な環境から、一刻も早く
被災者の方が脱出できるような試みが
あると有り難いです。自分の土地を離れたく
なかったりとか、まだ家族が見つからないの
で・・という方もいらっしゃったりとか、
そういうのはあるのではないかと思いますが、
良くない環境だと結局病気が増えてしまうの
が忍びないところです。
早く、適切な手が差し伸べられることを祈ります。
そして本質を見据えたアプローチも。
いつも読んでくださってありがとうございます。
それではまた。
失礼します。
追伸 今月末で閉館する赤坂プリンスホテルが
4月から被災者の方を受け入れるようです。
1600人くらい受け入れられるかも、という
話です。やりますね、赤プリ。いや、もう4月
からは赤プリでなくなるのか。でも実質的な
最後のお客さんが被災者の方々となるのも、
赤プリの歴史の栄光の1ページとなるのではないでしょうか。