皆さん、こんにちは。大津です。
今日は暖かい一日でしたね。
明日12月7日発売の週刊朝日に
先日の片岡鶴太郎さんと紫吹淳さんと僕の
座談会の模様が収録されます。
いよいよ来週15日から始まる、
『死ぬときに後悔すること25』の
舞台化作品『最後の一枚の絵』について
のお話です。どうかよかったらご覧ください。
それにしても三日連続で1100PVが
続いています。何かあったのでしょうか。
さて今日はこの話題です。
ミスとウソ。
先日上杉隆氏の本を読んでいたら、
ミスとウソの話が出て来ました。
例えばアメリカでは、ミスには寛容ですが、
ウソにはかなり厳しいとのこと。
一方で、日本ではウソには寛容だが、
ミスには厳しいとの話でした。
最近の日本はウソにも厳しいとは思いますが、
しかしミスに非常に厳しいということには
うなずけます。
ただ・・・人は必ずミスを犯します。
ミスを犯さない人間はいないでしょう。
では、賢い人間が集まればそうではないかというと、
先日『ベスト&ブライテスト』に取り上げたように
当然彼らもミスを犯します。
そもそも民主主義は、人が誤った時のリスクを
最小限にしている政体でしょう。効率で言ったら
賢く高潔な為政者(ら)による政体のほうが(効率は)良い。
(注;そのような非民主的な政体を支持している
わけでは断じてありませんので、よろしくお願いします)
けれども、「権力は腐敗する。絶対的権力は
絶対的に腐敗する」(アクトン)のです。
どんな人間でも完璧ではありません。
唐の玄宗はその治世の前半に善政を敷きますが、
楊貴妃の色香に溺れ、政務に身が入らず、唐は傾きます。
一人の人間の決断で、大きなものが左右されてしまうのは、
人は誤るものという見地からすると非常に危険です。
人は間違うからこそ、実行に移すのが大変なくらいで
ちょうど良い。それが人間が歴史から学んできたこと
なのだと思うのです。
さて、ミス。
確かに日本はミスに厳しいです。数日前に書きましたが
とてもストイックです。自分にも他人にも厳しめです。
そして様々な場所で無謬主義が認められます。
例えば、医療にミスなどあってはならない、とされます。
もちろんミスなどあってほしくはありません。ミスの
せいで不利益を被った当事者になった場合は許し難いものでしょう。
それはとてもよくわかります。
けれども人間が人間である以上、必ずミスはあるものです。
医療も人間が行うものですから、必ずミスは起こります。
ミスを犯した人をかばっているのではなく、必ずそれが
あるものとして、予防策を立てたり、救済策を考えたり、
そのようにシステムを変えていくことが重要なのだと思います。
そして、ミスに対して非常に厳しいと、人はウソをつきます。
また、ミスを絶対に認めようとしません。
何とかしてごまかし、隠そうとします。そして後で
事が露見し余計に傷を深くします。これはお互いにとって、です。
ウソをつく側にも問題はありますが、正直に話した時の
不利益があまりに大きければ、ウソをつかざるを得ない
でしょう。僕としては、ミスを素直に認められる社会、
ミスを犯した人に対してすぐに総員で集中砲火をしない社会
(自分だってその対象に、誰もが成りうるのです!)
そういう社会に変えてゆくことが大切なのではないかと
思うのです。そして、同じことが起こらないように、当事者
だけの問題とせず、システムや制度を改善してゆく社会、
そちらのほうが健全なのではないかと思います。
海外の新聞では、以前間違ったことを書いた場合は素直に
紙面上で謝罪するそうです。人間洞察で一歩先を行っている
なあと思います。人が間違うことをよく知っていると思います。
色々と考えさせられました。
また一週間、頑張って参りましょう!
それでは失礼します。
今日は暖かい一日でしたね。
明日12月7日発売の週刊朝日に
先日の片岡鶴太郎さんと紫吹淳さんと僕の
座談会の模様が収録されます。
いよいよ来週15日から始まる、
『死ぬときに後悔すること25』の
舞台化作品『最後の一枚の絵』について
のお話です。どうかよかったらご覧ください。
それにしても三日連続で1100PVが
続いています。何かあったのでしょうか。
さて今日はこの話題です。
ミスとウソ。
先日上杉隆氏の本を読んでいたら、
ミスとウソの話が出て来ました。
例えばアメリカでは、ミスには寛容ですが、
ウソにはかなり厳しいとのこと。
一方で、日本ではウソには寛容だが、
ミスには厳しいとの話でした。
最近の日本はウソにも厳しいとは思いますが、
しかしミスに非常に厳しいということには
うなずけます。
ただ・・・人は必ずミスを犯します。
ミスを犯さない人間はいないでしょう。
では、賢い人間が集まればそうではないかというと、
先日『ベスト&ブライテスト』に取り上げたように
当然彼らもミスを犯します。
そもそも民主主義は、人が誤った時のリスクを
最小限にしている政体でしょう。効率で言ったら
賢く高潔な為政者(ら)による政体のほうが(効率は)良い。
(注;そのような非民主的な政体を支持している
わけでは断じてありませんので、よろしくお願いします)
けれども、「権力は腐敗する。絶対的権力は
絶対的に腐敗する」(アクトン)のです。
どんな人間でも完璧ではありません。
唐の玄宗はその治世の前半に善政を敷きますが、
楊貴妃の色香に溺れ、政務に身が入らず、唐は傾きます。
一人の人間の決断で、大きなものが左右されてしまうのは、
人は誤るものという見地からすると非常に危険です。
人は間違うからこそ、実行に移すのが大変なくらいで
ちょうど良い。それが人間が歴史から学んできたこと
なのだと思うのです。
さて、ミス。
確かに日本はミスに厳しいです。数日前に書きましたが
とてもストイックです。自分にも他人にも厳しめです。
そして様々な場所で無謬主義が認められます。
例えば、医療にミスなどあってはならない、とされます。
もちろんミスなどあってほしくはありません。ミスの
せいで不利益を被った当事者になった場合は許し難いものでしょう。
それはとてもよくわかります。
けれども人間が人間である以上、必ずミスはあるものです。
医療も人間が行うものですから、必ずミスは起こります。
ミスを犯した人をかばっているのではなく、必ずそれが
あるものとして、予防策を立てたり、救済策を考えたり、
そのようにシステムを変えていくことが重要なのだと思います。
そして、ミスに対して非常に厳しいと、人はウソをつきます。
また、ミスを絶対に認めようとしません。
何とかしてごまかし、隠そうとします。そして後で
事が露見し余計に傷を深くします。これはお互いにとって、です。
ウソをつく側にも問題はありますが、正直に話した時の
不利益があまりに大きければ、ウソをつかざるを得ない
でしょう。僕としては、ミスを素直に認められる社会、
ミスを犯した人に対してすぐに総員で集中砲火をしない社会
(自分だってその対象に、誰もが成りうるのです!)
そういう社会に変えてゆくことが大切なのではないかと
思うのです。そして、同じことが起こらないように、当事者
だけの問題とせず、システムや制度を改善してゆく社会、
そちらのほうが健全なのではないかと思います。
海外の新聞では、以前間違ったことを書いた場合は素直に
紙面上で謝罪するそうです。人間洞察で一歩先を行っている
なあと思います。人が間違うことをよく知っていると思います。
色々と考えさせられました。
また一週間、頑張って参りましょう!
それでは失礼します。