「医療は己の家族にするが如く」

医療は自分の家族に対してするように
行うべきだ。

そう声を大にして言いたいです。

例えば、誰も望んでいない延命治療がなされ
てしまい、余命が残り少ない患者さんが、
俗な表現をするなら”管だらけ”になってしまう。

あなたの親が同じだったら、
あなたはその管を付けますか?
それを医療者はもっと考えなければ
いけないと思うのです。

ある医者が、家族に治療を勧めました。
家族は迷いました。
もしかしたら苦しんで僅かに命が延びるより、
このまま穏やかに死なせてあげた方が良いのか、
そう悩んだらしいです。
絞り出すような声で、主治医に聞きました。
「先生、僕の親父が、
先生の親父だったら、
先生が勧める治療をしますか?」

主治医は一瞬目を見開き、渋面を表して腕組みをし、
やっとのことで声を上げたらしいです。
「僕の父だったら
・・・たぶん、しません」


自らの家族だったら、それをするのか、しないのか。
それをよくよく考える必要があると思います。

あるブログで知ったのですが、
僕の『死学』を主治医に渡してくれた
ご家族もいるようです。
下ブログのコメント欄参照です。
↓↓
http://d.hatena.ne.jp/molicawa/20080306

その主治医が立派だなと思うのは、
ご家族の考えに寄り添う気持ち
になってくれたことです。
いくら彼と僕が同世代であったとはいえ、
彼自身に「耳順がう」気持ちがなかったら
家族と和することは出来なかったでしょう。

医療者は、医療を家族に対してするように考え行い、
また家族も、患者自身にとっての
「最善」は何なのか、
それを曇りなき目で見つめることが肝要だと思います。

例えば超高齢者の末期がんで、
何より本人が穏やかな気持ちで
苦痛がない生の終わりを待ち望み、
「もう何もしてほしくない」と強く希望し、
なのに主治医がやれ「胃ろう」だ、
やれ「バイパス手術」だ、
やれ「胆管のチューブ」「IVHポート」だ等と
それを、さも当然であるかのように
押し進めて為され、ご家族もあまりそれに疑問を持たない
症例が続出しています。
余命数週間の方(延命処置は希望されていない)
になぜそれらの体を傷つける処置が必要なのでしょうか?
何よりそれは患者さんの
ためになるのでしょうか?


患者さんにとっての最善は何なのか。
自分が家族だったら、あるいは本人だったら。
そういう視点を持てば、また結論は異なるのではないかと
僕は思うのです。
もっと他者のことを心から思いやること、
それが必要だと思います。