第三十二夜
「久美起きて、電車に遅れるよ!」
久美は遥か遠くから聴こえてくる有里の声に目を開けた。
天井から天使のようにも見える褐色の紋様が微笑みを浮かべている。
『いま自分はどこにいるの?』
久美はベッドから起き上がると、キョトンとした眼差しで辺りを見渡した。
「久美、おはよう!よく寝たね」
有里は窓のルーバーを一気に開けた。
きらきら光る陽射しと共にヒンヤリした空気が久美の記憶をよみがえらせる。
「おはよう、有里。昨日はたしかワイン飲みながらイイ気持ちで…」
「そうだよ。アパート連れて来るまで大変だったんだよ!
雪降ってるし、荷物はあるし、久美は千鳥足で石畳で座り込むし…」
久美は少しづつ昨夜の情景が頭の中に浮かんで来た。
「ごめん!何しろ久々の開放感で、飲み過ぎちゃった!?」
「とにかくこれ飲んで目を覚まして、着替えてね。今日は約束のベネチア行きだよ!」
有里はコーヒーカップをベッドサイドに置くと、扉を閉めた。
久美は背伸びして天井を見上げた 。
電話では聞いていたが、17世紀のフレスコ画が色あせてみえる。
壁厚が1メートル近くあるこの建物は15世紀の修道院跡だったらしい。
久美は窓辺に立って大きく深呼吸した。
教会の鐘が、中世の街並に響きわたった。