先日女子大で講演した記事をアップしましたが、
誰かの参考になるかなと思うので
その内容を公開します。
興味ある方はご笑覧ください
ちなみに下の文章は朋子さんに依頼されたときに、
「こんな感じですかね?」と参考にお渡しするための
ネタメモとしてして30分くらいで一気に書いたものです。
キーワードで書こうと思ったら、
文章になってしまったという(笑)
当日はこれを見ながら、
学生の反応や時計を見つつ、
一部カットしたり、膨らませたりしてお話しました。
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朋子さん依頼文
おんちゃんには20分くらい話してもらおうかなと。
大学~就職にどんなこと考えて選んだか、
実際仕事はどんなふうに責任が広がったり変化したりしたか。
結婚して出産後も続けるにあたり、何を考えたか。
どう工夫したか(話し合ったか)。
そして、パートナーの転職。
おんちゃんが勧めた件。これ一番ポイント。
私の書いたネタメモ
2001年、システム投資が盛り上がっていた時代。
内定を得た先輩たちに聞いて、文系もSEになれると知った。
①私はプログラミングなんておろか、
パソコンのことすらほとんど知らなかった。
でもだからこそ興味が湧いた。どんなものか知りたかった。
それまでの経験則から、知るにはその世界に飛び込むのが一番だと思った。
②またIT業界に内定していた先輩たちは、
話すとみんな賢く、おもしろい人たちだと感じた。
そういう人たちと働きたいと思った。
TISは就職活動中に知った。BtoBなのでほぼ知名度なし。
結果IT企業の2社から内定を得たが、
大手(東証一部上場)を理由にTISを選んだ。
就職後、一番おもしろいと思ったのは、
どこに就職するかが運命の全てではないと知ったこと。
TISに就職しても、私のように客先常駐する場合もあるし、
TISに落ちても、委託先としてTISに常駐して働くこともある。
吸収合併により、就活で落ちた会社に入ることもあるし、
内定を辞退した会社に吸収されることもある。
本当に人生はわからないものだと実感した。
新人研修ではプログラミングはいつも補講。
グループ研修では同期や講師たちに良くも悪くも注目されていた(と後から知った)。
新人から子会社出向、客先配属、周囲はほぼ女性なし。
配属後、一年目からOJTの先輩が怖くてやめたくなったりしつつ
目の前のことを、時にはトイレで泣きながらも一所懸命取り組んでいた。
(残業規制も少なかった時代で、毎日タクシーで帰るプロジェクトもあった)
関わった顧客(プロジェクト)数は多い方。
同期には10年以上同じ顧客を担当している人もいる。
一番長かったのは、20歳代後半に、
化学系メーカーの基幹業務システムの人事チームと
マスタチームの運用リーダーを担当したプロジェクト。
大した引継ぎもなく、いきなり任され、
メンバーは全員別会社・しかも別の場所にいるという状況で、
毎日無我夢中だった。
その4年弱の間に、別チームで同じお客様を担当していた夫と知り合った。
15年勤めて、私は実質的に一度も昇格しなかった。
評価と異動は、半分は本人の努力、
半分は運と縁でできていると思う。
本人の性格(素質)と努力、業務・組織との相性に大きく依存する。
システム業界は特に女性が昇進しにくいように実感している。
(いわゆるマミートラックにはまりやすい)
うちの会社は先輩たちががんばってくれたおかげで制度は整っていたが、育児しながら働く自信もイメージもなかった。
先輩に聞いてみたり、ネットで検索したり、できる限りの情報収集はしたけれど、実際どうなるかなんてわからないんだから、とにかくやってみるしかないと思った。
実家に帰りたくなかったことと、
夫に育児を他人事に感じて欲しくなかったため、
里帰り出産はせず。
また、痛いのは嫌だったので、無痛分娩を選択した。
サポートに来てくれた両親が帰り、夫が仕事を再開し、
長女を初めて1人で世話をした日、夜に夫が帰宅したら涙が出てきた。
無意識に強く緊張していたのだとわかった。
それからも夕方暗くなっても照明をつける気分になれず、
スマホで育児掲示板を検索し、
似たような状況の人たちの愚痴などを見ては自分を励ます日々。
育児の大変さを感じると共に、このまま1人で頑張り続けては自分が死ぬと思った。
どう夫を巻き込むか真剣に考え始めたのはそれから。
家事も育児も全部、夫もできるようにしたかった。
そのためには、まず夫の勤務先を変えなければと思った。
自分が似たような仕事をしていたし、
業界のこともわかっていたので
このままでは、夫は昇進し給料も増え続けるかもしれないけれど、
たぶん40歳代で目の死んだサラリーマンになって、
体調も悪くなって、最後は早死にすると思った。
それは嫌だと思った。
夫を観察したり、彼のやりたいことを聞いたり、
私が日々感じていることを(時には泣きながら)話したり、
とにかく会話をたくさんするようにした。
そうすると、彼自身も趣味のスポーツや、
興味を持ち始めたマインドマップなどに
もっと時間を使えるようになりたいと思っていたことがわかった。
そこで、私が結婚前から知っていたフローレンスの
システム職求人を見つけて、彼に転職活動を勧めた。
フローレンスはNPOなので、賞与もないし、
給料が半分以下になることはわかっていたが、
それと、彼と私が今後幸せになることを天秤にかけたら、
大きなハードルにはならなかった。
転職活動の結果、彼は2社から内定をもらった。
1社は給料も見込めるが、良くも悪くも働き方はあまり変わらないだろうという会社、
もう1社はフローレンス。
最終的にどちらを選ぶかは彼自身に決断してもらった。
(彼の人生だし、私が決めたら彼の後悔につながると思ったため)
転職後、よく他の人から「NPOに転職なんて、よく奥さんが反対しなかったね」と驚かれたという。
私自身も、一時期“キャリア採用”を担当していたので、それはよくわかる。
現職より給料が下がるから奥さんに反対されて、現職に留まることを選択した、と内定を辞退する事例はたくさん見た。
その理由が事実なのであれば、本当に残念なことだなと思う。
夫のチャレンジ(変化)を応援できないというのは、妻自身も今後変化できないということだと思うし、
やりたいことができても、夫に反対されてしまうのだと思う。
世間的に見れば、私は“非常識”だと思う。
でも、彼と私の2人が幸せになるためにはどうすればいいかを考え、話し合った結果としては
彼の転職という選択は、私にとって“常識”だった。
その他にも、
家事は自分がすべてやってしまわない、
やってもらった家事に文句をつけたくなったらまず一度その言葉を飲み込むようにする、
どうしても気になるなら後でこっそりやる、など
自分が居心地よく暮らすために、
「彼にも居心地よく暮らしてもらう、家事をやってもらうためにはどう行動した方がいいのか」を考えて、常にやってきた。
あと、
思い浮かんだことはとにかく言葉にして、会話をする。
自分以外は、親もパートナーも子どもも、「他人」。
言葉にしないと、思っていることなんて、通じない。
相手の思っていることもわからない。
相手を知ること、そして相手を通して自分を知ること。
そうして、言葉を交わすこと、
これが家庭円満の、ひいては自分が幸せに生きていくことの秘訣だと思う。
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以上です。
誰かが、より幸せに暮らすための
参考になれば幸いです。