三国志(250) 功なき関羽 |  今中基のブログ

 曹操軍の諸大将は驚きかつ怪しんで、

 「山路の嶮を擁して、みすみす伏兵が待つを知りながら、この疲れた兵と御身をひっさげて、山越えなさんとは、如何なるご意志によるものですか」と、駒を抑えて質した。
 曹操は、苦笑を示して、
 「我れ聞く。この華容道とは、近辺に隠れなき難所だということを。――それ故に、わざと、山越えを選ぶのだ」
 「敵の火の手をご覧ありながら、しかもその嶮へ向われようとは、あまりな物好きではありませんか」
 「そうでない。汝らも覚えておけ。兵書にいう。――虚ナル則ハ実トシ、実ナル則ハ虚トス、と。孔明は至って計の深いものであるから、思うに、峠や谷間へ、少しの兵をおいて煙をあげ、わざと物々しげな兵気を見せかけ、この曹操の選ぶ道を、大路の条へ誘いこみ、かえって、そこに伏兵をおいて我を討止めんとするものに相違ない。――見よ、あの煙の下には、真の殺気はみなぎっていない。かれが詐謀たること明瞭だ。それを避けて、人気なしなどと考えて大路を歩まば、たちまち、以前にもまさる四面の敵につつまれ、一人も生きるを得ぬことは必定である。あやうい哉あやうい哉、いざ疾く、山道へかかれ」と、いって駒をすすめたので、諸人みな、

 「さすがは丞相のご深慮」と、感服しないものはなかった。
 こうしている間にも、後から後から、残兵は追いつき、今は敗軍の主従一団となったので、
 「はやく荊州へ行き着きたいものだ。荊州までたどり着けば、何とかなろう」
 と、あえぎあえぎ華容山麓から峰越えの道へ入った。
 けれど気はいくらあせっても、馬は疲れぬいているし、負傷者も捨てては行けず、一里登っては休み、二里登っては憩い、十里の山道をあえぐうち、もう先陣の歩みは、まったく遅々として停ってしまった。――折から山中の雲気は霏々として白い雪をさえまじえて来た。

 難路へかかったため、全軍、まったく進退を失い、雪は吹き積もるばかりなので、曹操は焦だって、馬上から叱った。
 「どうしたのだ、先鋒の隊は」
 前隊の将士は、泣かんばかりな顔を揃えて、雪風の中から答えた。
 「ゆうべの大雨に、諸所、崖はくずれ、道は消え失せ、それに至るところ渓川が生じてしまったものですから、馬も渡すことができません」
 曹操は、癇癪を起して、
 「山に会うては道を拓き、水に遭うては橋を架す。それも戦の一つである。それに対って、戦い難いなどと、泣き面をする士卒があるかっ」
 そして、彼自身、下知にかかった。傷兵老兵はみな後陣へ引かせ、屈強な壮士ばかりを前に出して、附近の山林を伐って橋を架け、柴や草を刈って、道を拓き、また泥濘を埋めて行った。
 「寒気に怯むな。寒かったら汗の出るまで働け。生命が惜しくば怠るな。怠ける者は、斬るぞ」
 剣を抜いて、彼は、土工を督した。泥と戦い、渓流と格闘し、木材と組み合いながら、まるで田圃の水牛みたいになって働く軍卒の中には、このとき飢餓と烈寒のため、斃れ死んだ者がどれほどあったか知れない程であった。

 「あわれ、矢石の中で、死ぬものならば、まだ死にがいがあるものを」と、天を恨み、また曹操の苛烈な命令に喚く声が、全軍に聞えたが、曹操は耳にもかけず、かえって怒り猛って、
 「死生自ら命ありだ。なんの怨むことやある。ふたたび哭く者は立ちどころに斬るぞ」と、いった。
 こうして、凄まじい努力とそれを励ます叱咤で、からくもようやく第一の難所は越えたが、残った士卒をかぞえてみるとわずか三百騎足らずとなり終っていた。
 ことに、その武器と得物なども今は、携えている者すらなく、まるで土中から発掘された泥人形の武者や木偶の馬みたいになっていた。
 「もうわずかだ。目的の荊州までは、難所もない」
 曹操は、鞭を指して、将士のつかれた心を彼方へ向けさせ、
 「あとは、ただ一息だ。はやく荊州へ行き着いて、大いに身を休めよう。頑張れ、もう一息」
 と、励ました。
 そして、峠を越え、約五、六里ばかり急いで来ると、曹操はまた、鞍を叩いて独り哄笑していた。
 諸将は、曹操に向って、
 「丞相。何をお笑いなさいますか」と、訊ねた。
 曹操は、天を仰いで、なお、大笑しながら、
 「周瑜の愚、孔明の鈍、いまこの所へ来てさとった。彼、偶然にも赤壁の一戦に、我を破って、勢い大いにふるうといえども、要するに弓下手にもまぐれあたりのあるのと同じだ。――もしこの曹操をして、赤壁より一気に、敗走の将を追撃せしめるならばこの辺りには必ず埋兵潜陣の計を設けて、一挙に敵のことごとくを生捕るであろう。――さはなくて、無益な煙を諸所にあげ、われをして平坦な大道のほうに誘い、この山越えを避けしめんなど、まるで児ども騙しの浅い計といっていい」と、気焔を吐き、さらに
 「これがおかしくなくてどうするか。あははは、わははは」と、肩を揺すぶりぬいた。
 ところが、その笑い声のやまないうちに、一発の鉄砲が彼方の林にとどろいた。たちまちに見る前面、後方、ふた手に分れて来る雪か人馬かと見紛うばかりな鉄甲陣。そのまっ先に進んでくるのはまぎれもなし、青龍の偃月刀をひっさげ、駿足赤兎馬に踏みまたがって来る美髯将軍――関羽であった。
 「最期だっ。もういかん!」
 一言、絶叫すると、曹操はもう観念してしまったように、茫然戦意も失っていた。

 彼ですらそうだから、従う将士もみな、
 「関羽だ。関羽が襲せて来る――」とばかりおののき震えて、今は殲滅されるばかりと、生きた空もない顔を揃えていたのは無理もない。――が、ひとり程昱は、
 「いや何も、そう死を急ぐにはあたりません。どんな絶望の底にあろうと、最後の一瞬でも、一縷の望みをつないで、必死を賭してみるべきでしょう。――それがし、関羽が許都にありし頃、朝夕に、彼の心を見て、およそその人がらを知っている。彼は、仁侠の気に富み、傲る者には強く、弱き下の人々にはよく憐れむ。義のために身を捨て、ふかく恩を忘れず、その節義の士たることすでに天下に定評がある。――かつて玄徳の二夫人に侍して、久しく許都にとどまっていた当時、丞相には、敵人ながら深く関羽の為人を愛で給い、終始恩寵をおかけ遊ばされたことは、人もみな知り、関羽自身も忘れてはおりますまい」
 「…………」
 曹操は、ふと瞑目した。追憶は甦ってくる。そうだ!……と思い当ったように、その眸をくわっと見ひらいた時――すでに雪中の喊声は四囲に迫り、真先に躍って来る関羽の姿が大きくその眼に映った。
 「おうっ……羽将軍か」
 ふいに、曹操は、自身のほうからこう大きく呼びかけた。
 そして、われから馬をすすめ、関羽の前へ寄るや否、
 「やれ、久しや、懐かしや。将軍、別れて以来、つつがなきか」と、いった。
 それまでの関羽は、さながら天魔の眷族を率いる阿修羅王のようだったが、はッと、偃月刀を後ろに引いて、駒の手綱を締めると、
 「おう、丞相か」と、馬上に慇懃、礼をして、
 「――まことに、思いがけない所で会うものかな。本来、久闊の情も叙ぶべきなれど、主君玄徳の命をうけて、今日、これにて丞相を待ちうけたる関羽は、私の関羽にあらず。――聞く、英雄の死は天地も哭くと。――いざ、いざ、いさぎよくそれがしにお首を授けたまえ」と、改めていった。
 曹操は、歯を噛み合わせて、複雑な微笑をたたえながら云った。
 「やよ、関羽。――英雄も時に悲敗を喫すれば惨たる姿じゃ。いま、われ戦いに敗れて、この山嶮、この雪中に、わずかな負傷のみを率いて、まったく進退ここにきわまる。一死は惜しまねど、英雄の業、なおこれに思い止るは無念至極。――もしご辺にして記憶あらば、むかしの一言を思い起し、予の危難を見のがしてくれよ」
 「あいや、おことば、ご卑怯に存ずる。いかにも、むかし許都に在りし日、丞相のご恩を厚くこうむりはしたものの、従って、白馬の戦いに、いささか献身の報恩をなし、丞相の危急を救うてそれに酬う。今日はさる私情にとらわれて、私に赦すことは相成らぬ」
 「いや、いや。過去の事のみ語るようだが、将軍がその主玄徳の行方をなお知らず、主君の二夫人に仕えて、敵中にそれを守護されていたことは、私の勤めではあるまい。奉公というものであろう。曹操が乏しき仁義をかけたのは、ご辺の奉公心に感動したからだった。誰かそれを私情といおうや。――将軍は春秋の書にも明るしと聞く。かのが子濯を追った故事もご存じであろう。大丈夫は信義をもって重しとなす。この人生にもし信なく義もなく美というものもなかったら、実に人間とは浅ましいものではあるまいか」
 諄々と説かれるうちに、関羽はいつか頭を垂れて、眼の前の曹操を斬らんか、助けんか、悶々、情念と知性とに、迷いぬいている姿だった。
 ――ふと見れば、曹操のうしろには、敗残の姿も傷ましい彼の部下が、みな馬を降り、大地にひざまずき、涙を流して関羽のほうを伏し拝んでいた。
 「あわれや、主従の情。……どうしてこの者どもを討つに忍びよう」
 ついに、関羽は情に負けた。

 無言のまま、駒を取って返し、わざと味方の中へまじって、何か声高に命令していた。
 曹操は、はっと我にかえって、
 「さては、この間に逃げよとのことか」
 と、士卒と共に、あわただしくここの峠から駈け降って行った。
 すでに曹操らの主従が、麓のほうへ逃げ去った頃になって関羽は、
 「それ、道を塞ぎ取れ」と、ことさら遠い谷間から廻り道して追って行った。
 すると、途中、一軍のみじめなる軍隊に行き会った。
 見れば、曹操のあとを慕って行く張遼の一隊である。武器も持たず馬も少なく、負傷していない兵はまれだった。
 「ああ惨たるかな」と、関羽は、敵のために涙を催し、長嘆一声、すべてを見遁して通した。
 張遼と関羽とは、旧くからの朋友である。実に、情の人関羽は、この悲境の友人を、捕捉して殺すには忍びなかったのである。――おそらく張遼もそれを知って、心のなかで関羽を伏し拝みながらこの死線を駈け抜けて行ったろうと思われる。(250話)
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