黄蓋は、船楼に登って、指揮に声をからしていたが、腰なる刀を抜いて味方の一船列をさしまねき、
「今ぞっ、今ぞっ、今ぞっ。曹操が自慢の巨艦大船は眼のまえに展列して、こよいの襲撃を待っている。あれ見よ、敵は混乱狼狽、なすことも知らぬ有様。――それっ、突込め! 突込んで、縦横無尽に暴れちらせ!」と、激励した。
かねて、巧みに偽装して、先頭に立てて来た一団の爆火船隊――煙硝、油、柴などの危険物を腹いっぱい積んで油幕をもっておおい隠してきた快速艇や兵船は――いちどに巨大な火焔を盛って、どっと、魏の大艦巨船へぶつかって行った。
ぐわうっと、焔の音とも、濤の音とも、風の声ともつかないものが、瞬間、三江の水陸をつつんだ。
火の鳥の如く水を翔けて、敵船の巨体へ喰いついた小艇は、どうしても、離れなかった。後で分ったことであるが、それらの小艇の舳には、槍のような釘が植えならべてあり、敵船の横腹へ深く突きこんだと見ると、呉兵はすぐ木の葉のような小舟を降ろして逃げ散ったのであった。
なんで堪ろう。いかに巨きくとても木造船や皮革船である。見るまに、山のような、紅蓮と化して、大波の底に沈没した。
もっと困難を極めたのは、例の連環の計によって、大船と大船、大艦と大艦は、ほとんどみな連鎖交縛していたことである。そのために、一艦炎上すればまた一艦、一船燃え沈めばまた一船、ほとんど、交戦態勢を作るいとまもなく、焼けては没し、燃えては沈み、烏林湾の水面はさながら発狂したように、炎々と真赤に逆巻く渦、渦、渦をえがいていた。
なにが炸裂するのか、爆煙の噴きあがるたび、花火のような焔が宙天へ走った。次々と傾きかけた巨船は、まるで火焔の車輪のようにグルグル廻って、やがて数丈の水煙をかぶっては江底に影を没して行く。しかも、この猛炎の津波と火の粉の暴風は、江上一面にとどまらず、陸の陣地へも燃え移っていた。
烏林、赤壁の両岸とも、岩も焼け、林も焼け、陣所陣所の建物から、糧倉、柵門、馬小屋にいたるまで、眼に映るかぎりは焔々たる火の輪をつないでいた。
「火攻めの計は首尾よく成ったぞ。この機をはずさず、北軍を撃滅せよ」
呉の水軍都督周瑜は、この夜、放火艇の突入する後から、堂々と、大船列を作って、烏林、赤壁のあいだへ進んできたが、味方の有利と見るや、さらに、陸地へ迫って、水陸の両軍を励ましていた。
優勢なる彼の位置に反して、ここに無残な混乱の中にあったのは、曹操の坐乗していた北軍の旗艦とその前後に集結していた中軍船隊である。
「小舟を降ろせ。右舷へ小舟をっ――」
と、黒煙の中で叫んでいたのは程昱か、張遼か徐晃か。
曹操を囲んで炎の中から逃げようとする幕将には違いないが、その何人なるやさえも定かでなかった。
「迅くッ。迅く!」と、舷へ寄せた一小艇は、焔の下から絶叫する。揺々たる大波は沸え立ち、真っ赤な熱風はその舟も人も、またたく間に焼こうとする。
「おうっ」
「おうっ。いざ丞相も」
ばらばらと幕将連はそれへ跳びおりた。曹操も躍り込んだ。各 、身一つを移したのがやっとであった。
けれど、それを見つけた呉の走舸や兵船は、
「生捕れっ、曹操を!」
「のがすな、敵の大将を」
と、四方から波がしらと共に追ってくる。
波の上には焦げた人馬の死体や、焼打ちされた船艇の木材や、さまざまな物が漂っていた。曹操の一艇は、その中を、波にかくれ、飛沫につつまれ、無二無三、逃げまわっていた。
すると一艘の蒙衝(皮革艇)に乗って、こよいの奇襲船隊の闘将、呉の黄蓋が、曹操を討ちとる時は今なり、是が非でも、彼の首を挙げんものと、自身、快速なそれへ乗り移って、曹操を追いかけてきた。
「逃ぐるは醜し、魏の大丞相曹操たるものの名折れではないかっ。曹操、待てっ」
と、熊手を抱えて、舳に立ち、味方の数隻と共に、漕ぎよせて来た。
「推参な!」
と、曹操の側から、張遼が突っ立って、手にせる鉄弓からぶんと一矢を放った。矢は、黄蓋の肩に立ち、あッという声と共に、黄蓋は波間へ落ちた。
あわてた呉兵が、黄蓋の姿を水中に求めているまに、からくも曹操は、烏林の岸へ逃げあがった。しかし、そことて、一面の火焔、どこを見ても、面も向けられない熱風であった。 一時は、小歇みかと思われた風速も、この広い地域にわたる猛火にふたたび凄まじい威力をふるい出し、石も飛び、水も裂けるばかりだった。
「――夢じゃないか?」
顧みて曹操は、茫然とつぶやいた。さもあろう。一瞬の前の天地とは、あまりな相違である。
対岸の赤壁、北岸の烏林、西方の夏水ことごとく火の魔か敵の影ばかりである。そして、彼の擁していた大艦巨船小艇――はすべて影を没し、或いは今なお、猛烈に焼けただれている。
「夢ではない! ああっ……」
曹操は、一嘆、大きく空へさけんで、落ち行く馬の背へ飛び乗った。
青史にのこる赤壁の会戦、長く世に謳われた三江の大殲滅とは、この夜、曹操が味わった大苦杯そのものをいう。そしてその戦場は、現今の揚子江流域の湖北省嘉魚県の南岸北岸にわたる水陸入り組んでいる複雑な地域である。
八十余万と称えていた曹操の軍勢は、この一敗戦で、一夜に、三分の一以下になったという。
溺死した者、焼け死んだ者、矢にあたって斃れた者、また陸上でも、馬に踏まれ、槍に追われ、何しろ、山をなすばかりな死傷をおいて三江の要塞から潰乱した。
けれど、犠牲者は当然呉のほうにも多かった。
「救えっ。救うてくれっ」と、まだ乱戦中、波間に声がするので、呉将の韓当が、熊手で引上げてみると、こよいの大殊勲者、黄蓋だった。
肩に矢をうけている。
韓当は、鏃を掘り出し、旗を裂いて瘡口をつつみ、早速、後方に送った。
甘寧、呂蒙、太史慈などは、疾くに、要塞の中心部へ突入して、十数ヵ所に火を放っていた。
このほか、呉の凌統、董襲、潘璋なども、縦横無尽に威力をふるい廻った。
誰か、その中の一人は、蔡仲を斬りころし、その首を槍のさきに刺して駈けあるいていた。
こんな有様なので、魏軍はその一隊として、戦いらしい戦いを示さなかった。逃げる兵の上を踏みつけて逃げまろんだ。敵に追いつかれて樹の上まで逃げあがっている兵もある。それが見るみるうちに、バリバリと、樹林もろともに焼き払われてしまう。
「丞相、丞相。戦袍のお袖に火がついていますぞ」
後から駈けてくる張遼が馬の上から注意した。先へ鞭打って落ちて行く曹操は、あわてて自分の袖をはたいた。
駈けても駈けても焔の林だ。山も焼け水も煮え立っている。それに絶えず灰が雨の如く降ってくるので、悍馬はなおさら暴れ狂う。
「おうーいっ。張遼ではないか。おおういッ」
後から追いついて来た十騎ばかりの将士がある。味方の毛だった。さきに深傷を負った文聘がその中に扶けられて来る。
「ここはどの辺だ」
息をあえぎながら曹操は振向く。
張遼がそれに答えた。
「この辺もまだ烏林です」
「まだ烏林か」
「林のつづく限り平地です。さしずめ敵勢も迅速に追いついて来ましょう。休んでいる間はありません」
総勢わずか二十数騎、曹操はかえりみて、暗澹とならずにいられなかった。
たのむは、馬の健脚だった。さらに鞭打って、後も見ずに飛ぶ。
すると、林道の一方から、火光の中に旗を打振り、
「曹賊っ。逃げるなかれ」
と呼ばわる者がある。呉の呂蒙が兵とこそ見えた。
「あとは、それがしが殿軍します。ただ急いで落ち給え」と、張遼が踏みとどまる。
しかしまた、一里も行くと、一簇の軍勢が奔突して、
「呉の凌統これにあり。曹賊、馬を下りて降参せよ」と、いう声がした。
曹操は、胆を冷やして、横ざまに林の中へ駈けこんだ。
ところが、そこにも、一手の兵馬が潜んでいたので、彼は、しまったと叫びながら、あわてて馬をかえそうとすると、
「丞相丞相。もう恐れ給うことはありません。ご麾下の徐晃です。徐晃これにお待ちしていました」と、さけぶ。
「おうっ、徐晃か」
曹操は、大息をついて、ほっとした顔をしたが、
「張遼が苦戦であろう。扶けて来い」と、いった。
徐晃は、一隊をひいて、駈け戻って行ったが、間もなく、敵の呂蒙、凌統の兵を蹴ちらして、重囲の中から張遼を助け出して帰ってきた。
そこで曹操主従はまた一団になって、東北へ東北へとさして落ちのびた。
すると、一彪の軍馬が、山に拠って控えていた。
「敵か」と、徐晃、張遼などが、ふたたび苦戦を覚悟して物見させると、それはもと、袁紹の部下で、後、曹操に降り、久しく北国の一地方に屈踞していた馬延と張のふたりだった。
ふたりは、早速、曹操に会いにきた。そしていうには、
「実は、われわれ両名にて、北国の兵千余を集め、烏林のご陣へお手伝いに参らんものと、これまで来たところ、昨夜来の猛風と満天の火光に、行軍を止め、これに差し控えて万一に備えていたわけです」
曹操は大いに力を得て、馬延、張顗に道を開かせ、そのうち五百騎を後陣として、ここからは少し安らかな思いで逃げ落ちた。(248話)
―次週へ続く―