三国志(242) 孔明の祈り |  今中基のブログ

 孔明は前日から斎戒沐浴して身を浄め、身には白の道服を着、素足のまま壇へのぼって、いよいよ三日三夜の祈りにかかるべく立った。
 ――が、その一瞬のまえに、
 「魯粛は、あるや」と、呼ばわった。
 壇の下からただちに、            
 「これにあり」と、いう声がした。
 孔明はさしまねいて、
 「近く寄りたまえ」と、いい、そして厳かに、
 「いまより、それがしは、祈りにかかるが、幸いに、天が孔明の心をあわれみ給うて、三日のうちに風を吹き起すことあらば、時を移さず、かねての計をもって、敵へ攻め襲せられるように――ご辺はこの由を周都督に報じ、お手ぬかりのないように万端待機せられよ」と、念を押した。
 「心得て候う」とばかり、魯粛はたちまち駒をとばして、南屏山から駈けおりて行った。魯粛の去ったあとで、孔明はまた壇下の将士に戒めて云いわたした。
 「われ、風を祈るあいだ、各〻も方位を離れ、或いは私語など、一切これを禁ず。また、いかなる怪しき事ありとも、愕き騒ぐべからず。行をみだし、法に反く者は立ちどころに斬って捨てん」
 彼は――そう云い終ると、踵をめぐらし、緩歩して、南面した。
 香を焚き、水を注ぎ、天を祭ることやや二刻。
 口のうちで、祝文を唱え、詛を切ること三度。なお黙祷やや久しゅうして、神気ようやくあたりにたちこめ、壇上壇下人声なく、天地万象また寂たるものであった。
 夕星の光が白く空にけむる。いつか夜は更けかけていた。孔明はひとたび壇を降りて、油幕のうちに休息し、そのあいだに、祭官、護衛の士卒などにも、
 「かわるがわる飯を喫し、しばし休め」と、ゆるした。
 初更からふたたび壇にのぼり、夜を徹して孔明は「行」にかかった。けれど深夜の空は冷々と死せるが如く、何の兆もあらわれて来ない。

 一方、魯粛は周瑜に報じて、万端の手筈をうながし、呉主孫権にも、事の次第を早馬で告げ、もし今にも、孔明の祈りの験しがあらわれて、望むところの東南の風が吹いてきたら、直ちに、総攻撃へ移ろうと待機していた。
 また、そうした表面的なうごきの陰には、例の黄蓋が、かねての計画どおり、二十余艘の兵船快舟を用意して、内に乾し草枯れ柴を満載し、硫黄、焔硝を下にかくし、それを青布の幕ですっかり蔽って、水上の進退に馴れた精兵三百余を各船にわかち載せ、
 「大都督の命令一下に」
 と、ひそやかに待ち構えていた。
 もちろんこの一船隊は、初めから秘密に計を抱いているので、そこでは黄蓋と同心の甘寧、などが、敵の諜者たる蔡和、蔡仲を巧みにとらえて、わざと酒を酌み、遊惰の風を見せ、そしていかにもまことしやかに、(どうしたら首尾よく味方を脱して、曹操の陣へ無事に渡り得るか)
 と、降伏行の相談ばかりしていたのである。
 次の日もはや暮れて、日没の冬雲は赤く長江を染めていた。
 ところへ、呉主孫権のほうからも、伝令があって、
「呉侯の御旗下、その余の本軍は、すでに舳艫をそろえて溯江の途中にあり、ここ前線をへだつこと、すでに八十里ほどです」と、告げてきた。
 その本陣も、ここ最前線の先鋒も中軍も、いまはただ周瑜大都督の下知を待つばかりであった。     自然、陣々の諸大将もその兵も、固唾をのみ、拳をにぎり、何とはなく、身の毛をよだてて、
 「今か。今か」の心地だった。
 夜は深まるほど穏やかである。星は澄み、雲もうごかない。三江の水は眠れるごとく、魚鱗のような小波をたてている。
 周瑜は、あやしんで、   
 「どうしたということだ? ……いっこう祈りの験は見えてこないじゃないか。――思うにこれは、孔明の詐り事だろう。さもなければ、つい広言のてまえ、自信もなくやり出したことで、今頃は、南屏山の七星壇に、立ち往生のかたちで、後悔しているのではないかな」
 呟くと、魯粛は、側にあって、
 「いやいや、孔明のことですから、そんな軽々しいことをして、自ら禍いを求めるはずはありません。もうしばらく見ていてご覧なさい」
 「……けれど、魯粛。この冬の末にも近くなって、東南の風が吹くわけはないじゃないか」
 ああ、その言葉を、彼が口に洩らしてから、実に、二刻とて経たないうちであった。一天の星色次第にあらたまり、水颯々、雲䬒々、ようやく風が立ち始めてきた。しかもそれは東南に特有な生暖かい風であった。
 「やっ? 風もようだが」
 「吹いて来た」
 周瑜も魯粛も、思わず叫んで、轅門の外に出た。見まわせば、立て並べてある諸陣の千旗万旗は、ことごとく西北の方へ向ってひるがえっている。

 「オオ、東南風だ」
 「――東南風」
 待ちもうけていたことながら二人は唖然としてしまった。
 突然、周瑜は身ぶるいして、
 「孔明とは、そも、人か魔か。天地造化の変を奪い、鬼神不測の不思議をなす。かかる者を生かしておけば、かならず国に害をなし、人民のうちに禍乱を起さん。かの黄巾の乱や諸地方の邪教の害に照らし見るもあきらかである。如かず、いまのうちに!」
 と、叫んで、急に丁奉、徐盛の二将をよび、これに水陸の兵五百をさずけて、南屏山へ急がせた。
 魯粛は、いぶかって、
 「都督、今のは何です?」
 「あとで話す」
 「まさか孔明を殺しにやったのではありますまいね。この大戦機を前にして」
 「…………」
 周瑜は答えもなく、口をつぐんだ。その面を魯粛は「度し難き大将」と蔑むように睨みつけていた。その爛たる白眼にも刻々と生暖かい風はつよく吹きつのってくる。
 陸路、水路、ふた手に分れて南屏山へ迫った五百の討手のうち、丁奉の兵三百が、真っ先に山へ登って行った。七星壇を仰ぐと、祭具、旗など捧げたものは、方位の位置に、木像の如く立ちならんでいたが、孔明のすがたはない。
 「孔明はいずこにありや」と、丁奉は高声にたずねた。
 ひとりが答えた。
 「油幕のうちにお休み中です」と、いう。
 ところへ、徐盛の船手勢も来て、ともに油幕を払ってみたが、
 「――おらんぞ」
 「はてな?」
 雲をつかむように、捜しまわった。 不意に討手の一人が、
 「逃げたのだ!」と、絶叫した。 徐盛は足ずりして、
 「しまった。まだ、よも遠くへは落ちのびまい。者ども、追いついて、孔明の首をぶち落とせ」
 と、喚いた。
 丁奉も、おくれじと、鞭打って馬を早めた。麓まで来て、一水の岸辺にかかると、ひとりの男に会った。かくかくの者は通らなかったかと質すと、男のいうには、
 「髪をさばき、白き行衣を着た人なら、この一水から小舟を拾って本流へ出、そこに待っていた一艘の親船に乗って、霞のごとく、北のほうへ消えました」
 徐盛、丁奉はいよいよあわてて、
 「それだ。逃がすな」
 と、相励ましながら、さらに、長江の岸まで駈けた。
 満々と帆を張った数艘が、白波を蹴って上流へ追った。
 そしてたちまち先へ行く怪しい一艘を認めることができた。

 「待ち給え、待ち給え。それへ急がるる舟中の人は、諸葛先生ではないか。――周都督より一大事の
お言づけあって、お後を追って参った者。使いの旨を聞きたまえ」
と、手をあげて呶鳴った。すると果たして、孔明の白衣のすがたが、先にゆく帆の船尾に立った。そし
て呵々と笑いながら此方へ答えた。
 「よう参られたり、お使い、ご苦労である。周都督のお旨は承らずとも分っておる。それよりもすぐ立ち帰って、東南の風もかく吹けり、はや敵へ攻めかからずやと、お伝えあれ。――それがしはしばらく夏口に帰る。他日、好縁もあらばまたお目にかからん」
声――終るや否、白衣の影は船底にかくれ、飛沫は船も帆もつつんで、見る見るうちに遠くなってしまった。(242話)
                   ―  次週へ続く ―