三国志(104) 曹操・袁紹・呂布・劉備 出揃う |  今中基のブログ

 黄河をわたり、河北の野遠く、袁紹の使いは、曹操から莫大な兵糧軍需品を、蜿蜒数百頭の馬輛に積載して帰って行った。
 やがて、曹操の返書も、使者の手から、袁紹の手にとどいた。
 袁紹のよろこび方は絶大なものだった。それも道理、曹操の色よい返辞には、次のような意味が認めてあった。 まず、閣下の健勝を祝します。
次には、閣下がこの度、北平(河北省・満城附近)の征伐を思い立たれたご壮図に対しては、自分からも満腔の誠意をもって、ご必勝を祈るものであります。
 馬匹糧米など軍需の品々も、できる限り後方よりご援助しますから、河南には少しもご憂慮なく一路北平の公孫をご討伐あって万民安堵のため、いよいよ国家鎮護の大を成し遂げられんことを万祷しております。
 ただ、お詫びせねばならぬ一事は不肖、守護の任にある許都の地も、何かと事繁く、秩序の維持上、兵を要しますので折角ながら兵員をお貸しする儀だけは、ご希望にそうことができません。なお、勅命に依って、貴下を、大将軍太尉にすすめ、併せて冀、青、幽、并の四州の大侯に封ずとのお旨であります。ご領受あらんことを。


  「いや、曹操の返辞も、どうかと思っていたが、この文面、このたびの扱い、万端、至れり尽せりである。彼も存外、誠実な漢とみゆる」 袁紹は安心した。
 そこで大挙、北平攻略への軍事行動を開始し、しばらく西南の注意を怠っていた。
 一方 呂布のほうだが、夜は貂蝉をはべらせて、酒宴に溺れ、昼は陳大夫父子を近づけて、無二の者と、何事も相談していた。
 この呂布の近状をひそかに憂えていた臣は陳宮である。きょうもにがにがしげに彼は呂布へ諫言を呈した。
  「陳珪父子の者を、ご信用になるも結構ですが、あまり心腹の大事まで彼らにお諮りあるのは如何かと思われます。――言葉の色よく媚言巧みに、彼らが君を甘やかしている態度は、まるで幇間ではありませんか」
  「陳宮、そちはこの呂布を、暗愚だというのか」
  「そんなわけではありません」
  「ではなぜ、おれに讒言して、賢人をしりぞけようとするか」
  「彼ら父子を、真実、賢人だと思っていらっしゃるのですか」
  「少なくとも、呂布にとってはまたなき良臣といえる」
  「――ああ」
  「何がああだ、人の寵をそねむものと、貴様こそ、諂佞の誹をうけるぞ」
  「もう何も申しあげる力もございません」

 陳宮は、退いた、忠ならんとすれば、却って諂佞の臣と主人の口からまでいわれる。
  「如かず、門を閉じて」と、彼はしばらく引籠ったまま徐州城へも出なかった。そのうち北方の公孫瓚と袁紹との戦乱が聞えてくる。四隣の物情はなんとなく騒然たるものを感ぜしめる。
  「そうだ。狩猟にでも行って、浩然の気を養おう」
 一僕を連れて、彼は秋の山野を狩り歩いた。
 すると、一人の怪しげな男を認めた。旅姿をしたその男は陳宮の顔を見ると、あわてて逃げだした。「……はてな?」 やり過してから、陳宮は小首を傾けていたが、何思ったか、にわかに弓に矢をつがえて、馳けてゆく先の男へ狙いすました。矢は狙いあやまたず、旅人の脚を射止めた。
 猟犬のように、下僕の童子はそれへ飛びかかってゆく。
 陳宮も、弓を投げすてて、後から馳けだした。猛烈に反抗するその男を召捕って、きびしく拷問してみると、それは、小沛の城から玄徳の返簡をもらって、許都へ帰る使いの者ということが分った。「曹操の密書をおびて、玄徳へ手わたしてきた、というのか」
  「はい……」「では、玄徳から曹操へ宛てた返書を、それに持っておるだろう」
  「いえ、それはもう、先へ行った伝馬の者が携えてゆきましたから手前は持っておりません」
  「偽りを申せ」「嘘ではございません」
  「きっとか」 陳宮が、剣に手をかけると、旅の男は、飛び上がった。
 途端に、真赤な霧風が剣光をまいた。大地には、首と胴が形を変えて離れ離れになっている。
  「童子死骸を検べてみろ」「ご主人様。……袍の襟を解いたらこんな物が出てきました」
  「オオ。玄徳の返書だ」 陣宮は、一読すると、
  「誰にも口外するなよ。わしはこれから徐州城へ参るゆえ弓を持って、お前は先に邸へ帰れ」
 供の童子にいい残して、陳宮はその足ですぐ登城した。
 そして、呂布に謁し、云々と仔細を告げて、玄徳から曹操へ宛てた返簡を見せると、呂布は、鬢髪をふるわせて、激怒した。
 「匹夫玄徳め――いつのまにか曹操と諜しあわせて、この呂布を亡ぼさんと謀っておったな」
 直ちに、陳宮、臧覇の二大将に兵を授け、
  「小沛の城を一揉みにもみ潰し、玄徳を生捕って来れ」と、命じた。
 陳宮は謀士である。小沛は小城と見ても無謀には立ち向わない。
 彼は附近の泰山にいる強盗群を語らって強盗の領袖、孫観、呉敦、昌、尹礼などという輩に、
  「山東の州軍を荒し廻れ。今なら、伐取り勝手次第」と、けしかけた。
 宋憲、魏続の二将はいちはやく汝頴地方へ軍を突き出して、小沛のうしろを扼し、本軍は徐州を発して正面に小沛へ迫り、三方から封鎖しておめきよせた。
 玄徳は、驚愕した。
  「さては、返書を持たせて帰した使いが、途中召捕られて、曹操の意思が、呂布へ洩れたか」
 と、胆を寒うした。
 先頃、曹操から、密書をもって云いよこしたことばには、呂布を討つ機会は、実に今をおいてはない。北方の袁紹も、北平と事を構えて、黄河からこっちを顧みている遑はなし、呂布、袁術のあいだも、国交の誼みなく、予と其許とが呼応して起てば、呂布は孤立の地にある。まことに、易々たる事業というべきではないか。
 要するに、戦備の催促である。もちろん劉玄徳は、敢然、協力のむねを返簡した。――呂布が見て怒ったのも当然であった。
 「関羽は西門を守れ、張飛は東門に備えろ、孫乾は北門へ。また南門の防ぎにはこの玄徳が当る」
 取りあえず部署をさだめた。
 なにしろ急場だ。城内鼎の沸くような騒ぎである。――その混乱というのに、関羽と張飛のふたりは、何事か西門の下で口論していた。 なにを口喧嘩しているのか。
 この戦の中に。
 また、義兄弟仲のくせして。――と兵卒たちが、守備をすてて、関羽、張飛のまわりへ立って聞いていると、
  「なぜ、敵将を追うなと止めるか。敵の勇将を見て、追わぬほどなら、戦などやめたがいい」
 といっているのが張飛。それに対して、関羽は「いや、張遼という人物は、敵ながら武芸に秀で、しかも恥を知り、従順な色が見える。   ――だから生かしておきたいのだ。そこが武将のふくみというものではないか」と、諭したり、説破したり、論争に努めている。
 玄徳の耳にはいったとみえ、「この際、何事か」と、叱りがきた。
  「関羽、どっちが理か非か。家兄の前へ出て埓を明けよう」
 張飛は、関羽を引っぱって、遂に、玄徳の前まで議論を持ちだした。
 で、双方の云い分を玄徳が聞いてみると、こういう次第であった。
 その日、早朝の戦に。
 呂布の一方の大将張遼が、関羽の守っている西門へ押しよせて来た。
 関羽は、城門の上から、
  「敵ながらよい武者振りと思ったら、貴公は張遼ではないか。君ほどな人物も、呂布の如き粗暴で浅薄な人間を主君に持ったため、いつも無名の戦や、反逆の戦場に出て、武人か強盗か疑われるような働きをせねばならぬとは、同情にたえないことだ。――武将と生れたからには戦わば正義の為、死なば君国の為といわれるような生涯をしたいものだが、可惜、忠義の志も、貴公としては、向け場がござるまい」
 と、大音ながら、話しかけるような口調で呼びかけた。
 すると――
 寄手をひいて、猛然、攻めかけてきた張遼が、なに思ったか、急に馬をめぐらして、今度は張飛の守っている東の門へ攻めに廻った様子である。
 そこで関羽は、馬を馳せて、張飛の守っている部署へ行き、
  「討って出るな」と、極力止めた。
  「――張遼は惜しい漢だ。彼には正義の軍につきたい心と、恥を知る良心がある」
 と、敵とはいえ、助けておきたい心もちと理由とを、張飛に力説した。

  「おれの部署へ来て、よけいな指揮はしてもらいたくない」
 張飛は、肯かない。
 そこで口論となり、時を移してしまったので、寄手の張遼も、余りに無反応な城門に、不審を起したものか、やがて、退いてしまったというわけであった。
  「惜しいと云いたいのは、張遼を討ちもらしたことで、まったく、関羽に邪魔されたようなものだ。家兄、これでも、関羽のほうに理がありましょうか」
 張飛は、例の如く、駄々をこねだして、玄徳に訴えた。
 玄徳も、裁きに困ったが、
  「まあ、よいではないか。捕えても逃がしても、大海の魚一尾、張遼一名のために、天下が変るわけもあるまい」と、どっちつかずに、双方を慰撫した。(104話)

 

―次週105話へ続く―