曹操は満身血しお、馬も血みどろであった。しかも馬はすでに再び起たない。
逃げまどう味方の兵も、ほとんどこの河へ来て討たれた様子である。
曹操は、身一つで、ようやく岸へ這いあがった。
すると闇の中から、
「父上ではありませんか」と、曹昂の声がした。
曹昂は、彼の長子である。
一群の武士と共に、彼も九死に一生を得て、逃げ落ちてきたのであった。
「これへお召しなさい」
曹昂は、鞍をおりて、自分の馬を父へすすめた。
「いい所で会った」
曹操はうれしさにすぐ跳び乗って馳けだしたが、百歩とも駈けないうちに、曹昂は、敵の乱箭にあたって、戦死してしまった。
曹昂は、弊れながら、
「わたくしに構わないでお落ち下さい。父上っ。あなたのお命さえあれば、いつだって、味方の雪辱はできるんですから、私などに目をくれずに逃げのびて下さい」と、叫んだ。
曹操は、自分の拳で自分の頭を打って悔いた。
「こういう長子を持ちながら、おれは何たる煩悩な親だろう。――遠征の途にありながら、陣務を怠って、荊園の仇花に、心を奪われたりなどして、思えば面目ない。しかもその天罰を父に代って子がうけるとは。――ああ、ゆるせよ曹昂」
彼は、わが子の死体を、鞍のわきに抱え乗せて、夜どおし逃げ走った。二日ほど経つと、ようやく、彼の無事を知って、離散した諸将や残兵も集まって来た。
折も折、そこへまた、
「于禁が謀叛を起して、青州の軍馬を殺した」といって、青州の兵らが訴えてきた。
青州は味方の股肱、夏侯惇の所領であり、于禁も味方の一将である。
「わが足もとの混乱を見て、乱を企むとは、憎んでも余りある奴」
と、曹操は激怒して、直ちに于禁の陣へ、急兵をさし向けた。
于禁も、先頃から張繍攻めの一翼として、陣地を備えていたが、曹操が自分へ兵をさし向けたと聞くと、慌てず、
「塹壕を掘って、いよいよ備えを固めろ」と、命令した。
彼の臣は日頃の于禁にも似あわぬことと、彼を諫めた。
「これはまったく青州の兵が、丞相に讒言をしたからです。それに対して、抵抗しては、ほんとの叛逆行為になりましょう。使いを立てて明らかに事情を陳弁なされてはいかがですか」
「いや、そんな間はない」
于禁は陣を動かさなかった。
その後、張繍の軍勢も、ここへ殺到した。しかし于禁の陣だけは一糸みだれず戦ったので、よくそれを防ぎ、遂に撃退してしまった。
その後で、于禁は、自身で曹操をたずねた。そして青州の兵が訴え出た件は、まったく事実とあべこべで、彼らが、混乱に乗じて、掠奪をし始めたので、味方ながらそれを討ち懲らしたのを恨みに思い、虚言を構えて、自分を陥さんとしたものであると、明瞭に云い開きを立てた。
「それならばなぜ、予が向けた兵に、反抗したか」と、曹操が詰問すると、
「――されば、身の罪を弁疏するのは、身ひとつを守る私事です。そんな一身の安危になど気をとられていたら、敵の張繍に対する備えはどうなりますか。仲間の誤解などは後から解けばよいと思ったからです」
と、于禁は明晰に答えた。
曹操はその間、じっと于禁の面を正視していたが、于禁の明快な申し立てを聞き終ると、
「いや、よく分った。予が君に抱いていた疑いは一掃した」
と、于禁へ手をさしのべ、力をこめて云った。
「よく君は、公私を分別して、混乱に惑わず、自己一身の誹謗を度外視して、味方の防塁を守り、しかも敵の急迫を退けてくれた。――真に、君のごとき者こそ、名将というのだろう」
と、口を極めて賞讃し、特にその功として、益寿亭侯に封じ、当座の賞としては、黄金の器物一副をさずけた。
また。
于禁を誹って訴えた青州の兵はそれぞれ処罰し、その主将たる夏侯惇には、
「部下の取締り不行届きである」との理由で、譴責を加えた。
曹操は今度の遠征で、人間的な半面では、大きな失敗を喫したが、一たん三軍の総帥に立ち返って、武人たるの本領に復せば、このように賞罰明らかで、いやしくも軍紀の振粛をわすれなかった。
賞罰のことも片づくと、彼はまた、祭壇をもうけて、戦没者の霊を弔った。
その折、曹操は、全軍の礼拝に先だって、香華の壇にすすみ、涙をたたえて、
「典韋。わが拝をうけよ」と、いった。
そして、瞑目久しゅうして、なお去りやらず、三軍の将士へ向って、
「こんどの戦で、予は、長子の曹昂と、愛甥の曹安民とを亡くしたが、予はなお、それを以て、深く心を傷ましはしない。……けれど、けれど、日常、予に忠勤を励んだ悪来の典韋を死なせたのは、実に、残念だ。――典韋すでに亡しと思うと、予は泣くまいとしても、どうしても泣かずにはおられない」と、流涕しながらいった。 粛として、彼の涙をながめていた将士は、みな感動した。
もし曹操の為に死ねたら幸福だというような気がした。忠節は日常が大事だとも思った。
何せよ、曹操は、惨敗した。
しかし味方の心を緊め直したことにおいては、その失敗も償って余りがあった。
逆境を転じて、その逆境をさえ、前進の一歩に加えて行く。――そういうこつを彼は知っていた。
故あるかな。
過去をふりむいて見ても、曹操の勢力は、逆境のたびに、躍進してきた。
× × ×
一たん兵を退いて都の許昌に帰ってくると、曹操のところへ、徐州の呂布から使者が来て、一名の捕虜を護送してよこした。
使者は、陳珪老人の子息陳登であり、囚人は、袁術の家臣、韓胤であった。
「すでにご存じでしょうが、この韓胤なる者は、袁術の旨をうけて、徐州へ来ていた婚姻の使者でありました。――呂布は、先頃、あなたからの恩命に接し、朝廷からは、平東将軍の綬を賜わったので、いたく感激され、その結果、袁術と婚をなす前約を破棄して、爾後、あなたと親善をかためてゆきたいという方針で――その証として、韓胤を縛りあげ、かくの如く、都へ差立てて来た次第でありまする」
陳登は、使いの口上をのべた。
曹操はよろこんで、
「双方の親善が結ばれれば、呂布にとっても幸福、予にとっても幸福である」
と、すぐ刑吏に命じて、韓胤の首を斬れといった。
刑吏は、市にひき出して、特に往来の多い許都の辻で、韓胤を死刑に処した。
その晩、曹操は、
「遠路、ご苦労であった」
と、使いの陳登を私邸に招待して、宴をひらいた。 酒宴のうちに、曹操は、陳登の人間を量り、陳登は、曹操の心をさぐっていた。
陳登は、曹操にささやいた。
「呂布は元来、豺狼のような性質で、武勇こそ立ち優っていますが、真実の提携はできない人物です。――こういったら丞相は呂布の使いにきた私の心をお疑いになりましょうが、私の父陳珪も、徐州城下に住んでいるため、やむなく呂布の客臣となっていますが、内実、愛想をつかしておるのです」
「いや、同感だ」
果たして、曹操の腹にも二重の考えが、ひそんでいたのである。陳登が、口を切ったので、彼もまた、本心をもらした。
「君のいう通り、呂布の信じ難い人間だということは予も知っている。しかし、それさえ腹に承知して交際っているぶんには、彼が豺狼の如き漢であろうと、何であろうと、後に悔いるようなことは、予も招かぬつもりだ」
「そうです。その腹構えさえお持ちでしたら、安心ですが」
「幸い、君と知己になったからには、今後とも、予のために、蔭ながら尽力してもらいたい。……君の厳父陳大夫の名声は、予も夙に知っておる。帰国したらよろしく伝えてくれ」
「承知しました。他日、丞相がもし何かの非常手段でもおとりになろうという場合は、必ず、徐州にあって、われわれ父子、内応してお手伝いしましょう」
「たのむ。……今夜の宴は、計らずも有意義な一夜だった。今のことばを忘れないように」
と曹操と陳登は、盞をあげて、誓いの眸を交わした。
曹操は、その後、朝廷に奏し、陳登を広陵の太守に任じ、父の陳珪にも老後の扶持として禄二千石を給した。
その頃。 淮南の袁術のほうへは、早くも使臣の韓胤が、許都の辻で馘られたという取沙汰がやかましく伝えられていた。
「言語道断!」 袁術は、呂布の仕方に対して、すさまじく怒った。
「礼儀を尽したわが婚姻の使者を捕えて、曹操の刑吏にまかせたのみか、先の縁談は破棄し、この袁術に拭うべからざる恥辱をも与えた」
即座に、二十余万の大軍は動員され、七隊に分れて、徐州へ迫った。
呂布の前衛は、木の葉の如く蹴ちらされ、怒濤の如く一隊は小沛に侵入し、そのほか、各処の先鋒戦で、徐州兵はことごとく潰滅され、刻々、敗兵が城下に満ちた。(95話)
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