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最近とんと聞かなくなったこの言葉。
言うまでもないが、Kuuki(空気) Yomenai(読めない)を略した造語だ。
何年か前に流行して、人との交流が盛んな朝青でもよく使われていたと思う。

でもなぜこの言葉、「K(空気) Y(読めない)」という否定形なのだろう。
KYという文字をそのまま考えれば、「K(空気) Y(読める)」になってしまうじゃないか。
いや、これは「空気が読めない」という概念が先にあって作られた言葉だろうに、わざわざいちゃもんつけてもしょうがないのだけれど、正しく言うならば「K(空気)Y(読め)N(ない)」になるべきじゃないか?
・・・
うん。
話を進める。




言葉には流行があり、すたれた言葉は死語となっていくわけだが、KYが死語となりかけているからといってKYな人がいなくなっているわけではないだろう。
だが、最近はKYという言葉があまり使われなくなったことにより、KYが特別にとりあげられなくなった気がする。
このことから、言葉とは概念そのものだから、言葉が死ねば概念も死ぬことになるのではないだろうか、と思ってみる。
つまり死語(廃語)となると、その概念がなくなってしまう事態が起こる。




日本の言葉で、「鞴(ふいご)」と呼ばれる道具があった。
オルガンのようにして空気を送り込む道具なのだが、代替の機会が登場して姿を消した。
文化や物がなくなり言葉も使われなくなったのだ。
これは史実や人名などにもいえることで、伝承がなくなれば存在は後世に残らなくなる。
日本には禁句なども多くあるが、ダブーとすることでその風習をも風化させている。
教科書問題などみても、言葉を抹殺して史実を抹殺している。
自然に消える言葉もあれば、何者かが意図してなくすこともあるようだ。




消える言葉とは逆に、よく使われている言葉はその時代をよく表していると思う。
流行語なんかは、芸人の一発ギャグなどで、単純に響きだけが人気となっているものを除き、その時の時代背景や当時の集団心理を表し、社会全体での羨望や不安要素などといったものが見られる。




さらに、ネット上でよく使われている言葉がある。
「注目ワード」とか色々な呼び方があると思うが、時事のニュースや商品などでも変動するもので、人々の意識がどの言葉(概念)に注目しているのかという指針として、ネット販売の市場や広告などでも利用されるとか。




これを応用したものでウェブボットなるものがある。
これは世界中のインターネット上に書き込まれた言葉を収集して、現在の人々の潜在意識を探り分析した結果、未来を予言しようとするサイトだ。
結構オカルトな話だと思うのだが、海外に実在する。
でも予言とかとなるとちょっと胡散臭い。




話がそれたが、KYならずとも史実や風習、知識を後世に残すためには言葉を残さなければならないだろう。
言葉の重みというやつを肝に銘じたい。
日常生活でも一度出た言葉はひっこめないし。
思考=言葉とならば、KYにならないように言葉にはいつでも気をつけたい。