引き続き、気になった点を2つ。
1.「情緒」ではなく「論理的」な経営を行う。
論理的経営下にある企業は機能集団となっているが、
情緒的経営の企業は生活共同体である。と。
生活共同体においては、「皆とうまくやっていくこと」が最も重視される。
だから多くの人が人間関係を円滑に運ぶための
根回しや打ち合せに膨大な時間とエネルギーを費やす。
これでは業績は上がらない。と。
一方、機能集団は非常に合理的だ。事業目的に対して、どういう機能
(才能・スキル)の人間が何人必要だ。と言うことになる。
2.コントロールによって全体最適を行う。
企業全体をきちんとコントロールできる技術とは何か?
誰が社員であっても、良好な業績を挙げることができる技術のこと。
社員を命令や説得や叱責によって動かすのではなく
しくみによって動かす。両社とも社内は静かで、本社は小さい。
さらに会議や打ち合せもほとんどない。報・連・相などと言っている内はだめだ。と。
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これを見ていて自社もいろいろと注意しなければならないな、と思うことが増えた。
自社では、「何のために」風通しを良くしようとしているか? ということである。
目的は「生産性」を上げることであったり、
個人の意見が言いやすい環境を作ることであったり、
会社と個人が成長するための土台を作ることであると思う。
そこに焦点を当て、それを少し長期の視点で見ているのだと思う。
(少しの「無駄」は短期で捉えれば単なる無駄。)
そこを逸脱しないようにしたい。仲良しグループになることが目的ではない。
また、根回しや打ち合せやルール作りなどについては、必ずしも業績が上がらない要因だとは思わない。
これらは、ある種のエネルギーを生み出し、人に当事者意識を持たせ、会社を活気あるものにすると思う。
企業内の混沌やよどみや問題が気持ち悪くて、人は創造性を発揮し
気持ちの良い状態へと行動し始める。
人間はロボットではないので会社が機能だけをその人に求めるのは、
(甘いかも知れないが)「とても寂しい」と思う。そこに固有名詞は存在しない。
誰が社員であっても、良好な業績を挙げることができるということは、
つまり、強者の企業には必ずしも強者の社員が必要ではないということだ。
・・・などと中途半端なことを言っていると生産性の高い会社になれない
のかも知れないが、論理と情緒のバランス感は必要だと思う。
業種の違いもあると思うが、個人を機能と割り切られてしまうのは、
現代の一個人の生き方として考えた場合、とても魅力が無いと思う。
会社と個人が、ある種対等に向き合えるような会社を作っていきたい。
利益を上げ続けるのは、株主からしてみれば最高の会社だと思う。
しかし、それだけできていれば企業は良いのか?
結局ビジネスモデルや企業カルチャーは、そもそも会社の成り立ちや目的、価値観に遡る。
なぜ、その会社が作られたのか(価値観は)?
なぜ、存在するのか?
利益を生み出す「装置」を作りたかったのか?
企業という「生き物」を作りたかったのか?
様々な付加価値を生み出す「しくみ」を作りたかったのか?
優秀な人材を世に送る「人材輩出機関」にしたかったのか?
社会に「雇用の機会」を与えることが主な目的なのか?
日本を元気にしたいのか?
世に感動を提供したいのか?
理由は一つではないかもしれないが、いずれにせよ
その最上位概念とそこに行きつくための価値観(手法・行動指針)を
明確に示し実践していくことが重要なのは間違いない。
良い悪いではない。
ビジョンと価値観の明示。
それを徹底して実践できる企業が強者なのだと思う。

