サーバントコーチ 世古詞一オフィシャルブログ -個人と組織の変革のヒント -10ページ目

サーバントコーチ 世古詞一オフィシャルブログ -個人と組織の変革のヒント

株式会社サーバントコーチ代表取締役 世古詞一のブログです。

上司を批判する部下。
会社を批判する従業員。

夫を批判する妻。
嫁を批判する姑。
有名人を批判する人々。

誰しも、愚痴る時や誰かや何かに批判的になることがある。

どんな時、私たちは批判や文句を言いがちになるのか?
                
一つには、自分が価値を置いていてかつ「不完全」で「不満足」と感じる事柄に対して厳しい目を向けがちだ。

例えば時間に価値を置いている人は、時間を守らない人に厳しい。

しかしこの事象は実は、誰かや何かに厳しいのは、それを楯にして自分の不完全さや
できていないことに対する、「弱さ」や「恥」や「失望」に目を向けたくない
感じたくない逃避の表れ
なのだ。弱い自分を受け入れられないことを隠している。

誰かのせいにして批判している間は、他人は自分を攻めないし、自分も目を向けなくて済む。

上記の話で言うと、
時間にうるさい人は、自分が時間に重きを置いてる。だから自分は意識していてめったに遅れないが、もし自分が遅れたりしたら「もの凄い恥」の感情を感じたりするつまり、価値を置いていることであり、コンプレックスでもあるのだ。そうすると、人が遅れた時にも同じように恥ずかしく感じて、それが怒りとなって表出される。


逆に、自分や自分の価値観、やり方を受け入れて認めている人は人の批判はしない
例えば、自分の容姿に満足している人(完璧な人ではない。受け入れている人)は、他人の見た目にとやかく言わないし、自分のマネジメントスタイルに本当に自信がある(肯定している)マネジャーは、他の正しいやり方があることも知っている。批判する人は、実は自分のマネジメントを深層では認めてないので、自分のやり方を深く見つめたくない。だから、フォーカスが外に向いて内に戻らない(自分を振り返ろうとしない)。

皆そうやって、ネガティブな感情を感じることから自分を守っています
「その人」が悪い訳ではなく、人間が安全に生きていくための構造の問題なんです。


だから、誰かから過度な批判をされたらこう思えばいい

「ああ、この人は私を通して自分をたしなめているのだな、と。
 皆、そうやって一生懸命自分を生きているのだな、と。」
(上目線な感じではなく、理解しようという心持ちでそう思ってみましょう。)



*充実と成功のヒント: 批判の構造を知って批判に強くなろう!




企業のマネジャーの方と話しているとよく出てきて感じるお話。

良好なコミュニケーションが図れる、ということはとても大変なことだな、と改めて思うことがしばしば。

何かを相手に伝えたとして、相手が「わかりました」と言ったら、

「相手(部下)が(頭で)理解した」というレベルのことを、
伝えた方(マネジャー)は、

「言ってわかったんだからできる(再現性を持ってできる)」レベル
と勘違いしてしまう。

「言ったじゃん、そしてわかったって言ったじゃん、何でできないの?」
となってしまう。


相手が言われたこと(例えば新たなタスク)をできるまでには実に多層のプロセスがある。

 1.聞く→2.聴く(注意深く。非言語から言外のことも推測して)
→3.(頭で)理解する→4.(腹落ち)納得する →5.言語化できる(言える)
→6.自分の言葉で(経験などに紐づけ)言える
→7.(理解したことを)行う →8.(1回)できる
→9.(再現性を持って)できる →10.教えることができる。


実際は、この順番通りではなくて行動しながら納得感が出たりとか、行き来します。また、このプロセスが早く回せる人は、「聴く」の段階で「質問する」という行為が起きてきます。
「これってどういう意味ですかね?」
「こういうのもありですか?」
能動的に聴くことができてる、ということですね。

「質問」が増えてくると、→自分の言葉で(経験などに紐づけ)言えるまでのプロセスが速い。


まとめると、

・教える側は、「教えた・伝えた・指摘した」その反応として
「わかった」と相手が言ったというレベルに満足することなく、
 どのレベルの理解かを確認するために
 わかったことを言ってもらったり、やってもらったり、
 その後をウォッチしたり、アウトプットを求めるアクションを。



・教えられる側は、「わかる」ための「質問」を。最初わからなければ、
 後から、「どういう質問をすればよかったか?」の振返りを。



*充実と成功のヒント:伝えたいことが伝わるハードルを知ろう!


が人間を見る時、特に飼いならされている犬。

尻尾を振りながら、


「この人は、自分に何かしてくれるかなー?」
「構ってくれるかなー?」
「何かくれるかなー?」

という肯定的な(ポジティブな)視線を送る。

近づくとだんだん尻尾の振りが激しくなり、犬自身がオープンになっていく。


一方が人間を見る時、尻尾を立てながら、

「この人は何もしないかなー?」
「危険じゃないかなー?」 

という否定的=慎重(ネガティブ)な視線を送る。

近づくとだんだん、身構えていつでも逃げられる体制になり、猫自身がクローズドになっていく。


犬の前を通ると、なでてあげようかという気分になる。
猫の前を通るとこちらも脅かさないように身構える。


さて、普段私たちは犬の視線を投げてるでしょうか? 猫の視線を投げてるでしょうか?


あなたの視線が相手に影響を与えてる訳です。


周りの人があなたにやさしくフランクに接してくれるのは、
自分が犬の視線を送ってるからかもしれません。


周りの人があなたによそよそしいのは、あなたが猫の視線を
送ってるから
かもしれません。(もちろん猫好きの人は違うかも)


周りの人の問題ではなく、自分が起点になっているのかもですね。

では、人の視線ってなんだろね?ってのをまた考えてみたい。



*充実と成功のヒント:犬の視線を周囲に送ってみよう!


*猫を中傷する意図は全くありませんのであしからず_(._.)_。