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ひとりのキリスト者として

「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」

7:1 イスラエルの人々は、滅ぼし尽くしてささげるべきことに対して不誠実であった。ユダ族に属し、彼の父はカルミ、祖父はザブディ、更にゼラへとさかのぼるアカンは、滅ぼし尽くしてささげるべきものの一部を盗み取った。主はそこで、イスラエルの人々に対して激しく憤られた。


7:2
ヨシュアはエリコからアイへ数人の人を遣わし、「上って行って、あの土地を探れ」と命じた。アイはベテルの東、ベト・アベンの近くにあった。彼らは上って行ってアイを探り、


7:3
ヨシュアのもとに帰って来て言った。「アイを撃つのに全軍が出撃するには及びません。二、三千人が行けばいいでしょう。取るに足りぬ相手ですから、全軍をつぎ込むことはありません。」


7:4
そこで、民のうちから約三千の兵がアイに攻め上ったが、彼らはアイの兵士の前に敗退した。


7:5
アイの兵士は、城門を出て石切り場まで追跡し、下り坂のところで彼らを撃ち、おおよそ三十六人を殺した。民の心は挫け、水のようになった。


7:6
ヨシュアは衣服を引き裂き、イスラエルの長老たちと共に、主の箱の前で夕方まで地にひれ伏し、頭に塵をかぶった。


7:7
ヨシュアは神に言った。「ああ、わが神、主よ。なぜ、あなたはこの民にヨルダン川を渡らせたのですか。わたしたちをアモリ人の手に渡して滅ぼすおつもりだったのですか。わたしたちはヨルダン川の向こうにとどまることで満足していたのです。


7:8
主よ、イスラエルが敵に背を向けて逃げ帰った今となって、わたしは何と言えばいいのでしょう。


7:9
カナン人やこの土地の住民は、このことを聞いたなら、わたしたちを攻め囲んで皆殺しにし、わたしたちの名を地から断ってしまうでしょう。あなたは、御自分の偉大な御名のゆえに、何をしてくださるのですか。」


7:10
主はヨシュアに言われた。「立ちなさい。なぜ、そのようにひれ伏しているのか。


7:11
イスラエルは罪を犯し、わたしが命じた契約を破り、滅ぼし尽くしてささげるべきものの一部を盗み取り、ごまかして自分のものにした。


7:12
だから、イスラエルの人々は、敵に立ち向かうことができず、敵に背を向けて逃げ、滅ぼし尽くされるべきものとなってしまった。もし、あなたたちの間から滅ぼし尽くすべきものを一掃しないなら、わたしは、もはやあなたたちと共にいない。


7:13
立って民を清め、『明日に備えて自分を聖別せよ』と命じなさい。イスラエルの神、主が、『イスラエルよ、あなたたちの中に滅ぼし尽くすべきものが残っている。それを除き去るまでは敵に立ち向かうことはできない』と言われるからである。



【エリコの攻略】

ヨシュア記の7章を読みました。ヨシュア記と言えば、ひとつ前の章であります6章のエリコの町の攻略を思い起こす方が多いかも知れません。ヨルダン川を渡って約束の地へ足を踏み入れたイスラエルの民が、最初に向かった町がエリコであります。このエリコという町は大変高い城壁があり、しかも固くその門を閉ざしておりましたので、誰も出入りすることはできませんでした。このエリコを攻略するにあたって、神様がヨシュアに命じたことは思いもよらないものでありました。主はこう言われました。

「見よ、わたしはエリコとその王と勇士たちをあなたの手に渡す。あなたたち兵士は皆、町の周りを回りなさい。町を一周し、それを六日間続けなさい。七人の祭司は、それぞれ雄羊の角笛を携えて神の箱を先導しなさい。七日目には、町を七周し、祭司たちは角笛を吹き鳴らしなさい。彼らが雄羊の角笛を長く吹き鳴らし、その音があなたたちの耳に達したら、民は皆、鬨の声をあげなさい。町の城壁は崩れ落ちるから、民は、それぞれ、その場所から突入しなさい。」(ヨシュア記6:2-5)

この思いもよらない神様の言葉を、ヨシュアとイスラエルの民はそのまま素直に実行します。契約の箱をかついだ祭司の後に従って、1日目、2日目、3日目、4日目、5日目、6日目、彼らはエリコの町を毎日1周します。そして7日目に7周まわって、祭司が角笛を吹きならした時、民が神様の言われた通りに鬨の声をあげると、エリコの城壁は崩れ落ちました。こうしてエリコを攻略してイスラエルの民が次に向かったのがアイという町であります。



【アカンの罪】

 しかし、このアイへの攻撃が、主のイスラエルの民に対する激しい憤りの中で行われたことが記されています。1章をもう一度お読みするとこうあります。

イスラエルの人々は、滅ぼし尽くしてささげるべきことに対して不誠実であった。ユダ族に属し、彼の父はカルミ、祖父はザブディ、更にゼラへとさかのぼるアカンは、滅ぼし尽くしてささげるべきものの一部を盗み取った。主はそこで、イスラエルの人々に対して激しく憤られた。(ヨシュア記7:1)

 アカンが「滅ぼし尽くしてささげるべきものの一部を盗み取った」(ヨシュア7:1) とあります。彼はエリコの町を攻める折に、ヨシュアを通して神様から命じられたことに従いませんでした。神様が命じられたこととは6章の18節によるとこうです。

あなたたちはただ滅ぼし尽くすべきものを欲しがらないように気をつけ、滅ぼし尽くすべきものの一部でもかすめ取ってイスラエルの宿営全体を滅ぼすような不幸を招かないようにせよ。金、銀、銅器、鉄器はすべて主にささげる聖なるものであるから、主の宝物倉に納めよ。」(ヨシュア記6:18-19)

しかし、アカンはこれに従わず、主にささげるべきものの一部を自分のものとしました。 7章の20節にある彼自身の告白はこうあります。

「わたしは、確かにイスラエルの神、主に罪を犯しました。わたしがしたことはこうです。分捕り物の中に一枚の美しいシンアルの上着、銀二百シェケル、重さ五十シェケルの金の延べ板があるのを見て、欲しくなって取りました。今それらは、わたしの天幕の地下に銀を下に敷いて埋めてあります。」(ヨシュア記7:20-21)

イスラエルの民はこの罪を抱えたまま、アイとの戦いに進んでいくことになります。



【斥候の役割】

さて、ヨシュアはアイを攻めるにあたって斥候を遣わしました。2節にはこうあります。

ヨシュアはエリコからアイへ数人の人を遣わし、「上って行って、あの土地を探れ」と命じた。アイはベテルの東、ベト・アベンの近くにあった。(ヨシュア記7:2)

戦いの前に人を遣わしてその町や土地を偵察するというのは、これまでも行われてきた事であります。エリコの戦いの前にも斥候を遣わしておりますし、古くはヨシュア自身がエフライム族の長としてカナンの土地へ遣わされた偵察メンバーの一人でありました。この斥候が送られる理由は何であるのか。その道筋や、城壁の高さ、あるいはその土地の民の数や強さ、それらを調べるのはもちろんでありますけれども、もっとも重要な役割は「神が私たちと共におられる」ということを確信し、それを報告するということであります。



【カナンの偵察】

民数記の13章には、荒野を旅していたイスラエルの民が主に命じられてカナンの土地に人を遣わして探らせたことが記されています。そして、偵察から帰ってきた者達が報告をするのですけれども、そこでヨシュアとカレブを除く者達が非常に悲観的な報告を致します。そして、更には民に悪い情報を流してイスラエルの民の心を挫いてしまいます。しかし、その中でヨシュアとカレブはこう報告します。

「我々が偵察して来た土地は、とてもすばらしい土地だった。もし、我々が主の御心に適うなら、主は我々をあの土地に導き入れ、あの乳と蜜の流れる土地を与えてくださるであろう。ただ、主に背いてはならない。あなたたちは、そこの住民を恐れてはならない。彼らは我々の餌食にすぎない。彼らを守るものは離れ去り、主が我々と共におられる。彼らを恐れてはならない。」(民数記14:7-9)

「我々が主の御心に適うなら、・・・主が我々と共におられる」(民数記14:7-9) 偵察を命じられたものの役割は、目で見て、耳で聞いて自分達と敵との戦力の分析をすることだけではなく、その目で確認できることの中に、目で見る事のできない事実を確認することであります。その事実とは 「主が我々と共におられる」(民数記14:9) ということであります。



【エリコの偵察】

 エリコの偵察においても同じでありました。エリコに遣わされた者達がそこで見たのは、主が備えていて下さるということであります。彼らはエリコの町で遊女であるラハブに助けられ、彼女からエリコの町の情報を得ます。この人はヘブライ人への手紙で 「信仰によって、娼婦ラハブは、様子を探りに来た者たちを穏やかに迎え入れたために、不従順な者たちと一緒に殺されなくて」(ヘブライ11:31) 済んだと言われている人ですけれども、主はこの異邦人の町の一人の女性に、前もって神を認める信仰の思いを起こさせ、イスラエルの民の備えとして下さいました。彼女に助けられてヨシュアのもとに戻った斥候はこう報告します。

「主は、あの土地をことごとく、我々の手に渡されました。土地の住民は皆、我々のことでおじけづいています。」(ヨシュア記2:24)



【敗退】

しかし、アイに遣わされた斥候は、その役割を果たしませんでした。彼らの報告はこうです。

「アイを撃つのに全軍が出撃するには及びません。二、三千人が行けばいいでしょう。取るに足りぬ相手ですから、全軍をつぎ込むことはありません。」(ヨシュア記7:3)

もしここで、ヨルダン川を渡る時や、エリコを攻撃する前のように、ヨシュアが心を静めて神様の言葉に聞いていたならば「待て」と言われたでしょう。しかし、ヨシュアもまた神様を見失ったかのように、あるいはこのアイを攻めるには神様の力は必要ないかのように、斥候の報告をそのまま受け入れ、約三千の兵でアイに攻め込み、そして敗北を喫しました。4節からの御言葉はこうです。

そこで、民のうちから約三千の兵がアイに攻め上ったが、彼らはアイの兵士の前に敗退した。アイの兵士は、城門を出て石切り場まで追跡し、下り坂のところで彼らを撃ち、おおよそ三十六人を殺した。民の心は挫け、水のようになった。ヨシュアは衣服を引き裂き、イスラエルの長老たちと共に、主の箱の前で夕方まで地にひれ伏し、頭に塵をかぶった。

(ヨシュア7:4-6)


三千人という兵の少なさはエリコの勝利を経ての慢心もあったかも知れません。しかし、兵の数は問題ではなかったと思います。後に、ギデオンがミディアンの陣営と戦った時、当初兵士の数は三万二千人おりましたけれども、まず恐れのある兵士が二万二千人帰されて、更に神様から選別されて残った兵士の数はたった三百人でした。その理由について神様はこう言われました。

主はギデオンに言われた。「あなたの率いる民は多すぎるので、ミディアン人をその手に渡すわけにはいかない。渡せば、イスラエルはわたしに向かって心がおごり、自分の手で救いを勝ち取ったと言うであろう。(士師記7:2)

この言葉が良く今のヨシュアとイスラエルの民を表していると思います。 「わたしに向かって心がおごり、自分の手で救いを勝ち取ったと言うであろう。」(士師記7:2)  (続く)