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ひとりのキリスト者として

「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」

13:44 「天の国は次のようにたとえられる。畑に宝が隠されている。見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。

13:45 また、天の国は次のようにたとえられる。商人が良い真珠を探している。

13:46 高価な真珠を一つ見つけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う。

13:47 また、天の国は次のようにたとえられる。網が湖に投げ降ろされ、いろいろな魚を集める。

13:48 網がいっぱいになると、人々は岸に引き上げ、座って、良いものは器に入れ、悪いものは投げ捨てる。

13:49 世の終わりにもそうなる。天使たちが来て、正しい人々の中にいる悪い者どもをより分け、

13:50 燃え盛る炉の中に投げ込むのである。悪い者どもは、そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。」



【権威ある仲介者~大英図書館にて~

子供の頃、よく学校の図書室や市の図書館へ行って本を借りてきました。どんな本を読んだのか、昔の話ですのでほとんど覚えていませんが、覚えている数少ない本の中に「シートン動物記」という本があります。この「シートン動物記」を書いたアーネスト・トンプソン・シートンは本が大好きでした。彼は19歳の時に絵の勉強をするためにカナダからイギリスに渡って、ある日「大英博物館」に行きます。この博物館には図書館もあって、シートンの興味を引く本がたくさんあったんですね。しかし、彼はその図書館には入れませんでした。その図書館は21歳未満の人は入れない規則になっていたので、19歳のシートンは入ることができなかったんですね。そこで諦めきれないシートンは司書官に会って特例措置で何とか入れてくれるように頼むのです。しかし、駄目でした。「これ以上訴え出るところはありませんか」とシートンが司書官に尋ねると、「館長の許可があれば入れるかも知れない」と彼は言うのです。そこでシートンは大英図書館の館長に面会して、直々に頼み込みます。しかし、そこでも許可は出ませんでした。シートンは館長に尋ねます。「他にお願いしてみる所はありませんか。例えば、規則に縛られないような偉い人とか」そうすると館長は思わず笑いながら、「大英図書館の評議員の命令があれば許可できるよ」と言うのです。シートンが「評議員って誰ですか」と尋ねると、「プリンス・オブ・ウェールズ殿下、カンタベリー司教、イギリス総理大臣のビーコンスフィールド。この三人だよ」そう言うのです。プリンス・オブ・ウェールズというのは皇太子、つまり次の国王の事です。カンタベリー司教とはイギリスの国教会の最高責任者、ビーコンスフィールドは首相です。簡単には接触できない人達ばかりです。しかし、シートンはあきらめずに彼らに手紙を書くんですね。そうすると何と返事がきます。「あなたが入館できるように私は命令を下した。」そう書かれてあったのです。しかも、一生涯自由に書庫に出入りできる特別許可証が添えられていたのです。何故、シートンは大英図書館に入ることができたでしょうか。それは、権威のある仲介者のとりなしがあったからです。権威のある仲介者のとりなしがあれば、そこに入る資格のない人も、そこに入ることができるのです。



【天の国のたとえ】

さて、今日の聖書の箇所では宝を見つけた人の話が記されています。最初の人は畑で宝を見つけました。

「天の国は次のようにたとえられる。畑に宝が隠されている。見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。(マタイ13:44)

二人目は真珠を探し求めていた商人です。

また、天の国は次のようにたとえられる。商人が良い真珠を探している。高価な真珠を一つ見つけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う。(マタイ13:45-46)

二人とも、その宝を見つけると自分の持ち物をすっかり売り払って、宝の埋まっている畑と、真珠を買いました。二人に共通しているのは、自分の持ち物をすべて売り払って「それを買った」ということです。つまり、それほどにその宝は価値のあるものですし、またそうしなければ買えない程に高価な物であるということです。ところで、この「宝」ってなんでしょうか?それは「永遠の命」つまり「天の国」のことです。「天の国」は自分の持ち物をすべて売り払ってでも手に入れるべき、あるいはそれほどにも価値のある物だというのです。しかし、私たちが自分の持ち物を売り払ったら「それを手に入れる」事ができるか、というとそれは別の話です。私たちは「天の国」を買う事はできません。何故なら、私たちには「罪」があるからです。


【返せない借財】

マタイの福音書の18章に王様に莫大な借金をしていた僕の話が出てきます。マタイによる福音書の1823節です(P35)

そこで、天の国は次のようにたとえられる。ある王が、家来たちに貸した金の決済をしようとした。決済し始めたところ、一万タラントン借金している家来が、王の前に連れて来られた。しかし、返済できなかったので、主君はこの家来に、自分も妻も子も、また持ち物も全部売って返済するように命じた。家来はひれ伏し、『どうか待ってください。きっと全部お返しします』としきりに願った。その家来の主君は憐れに思って、彼を赦し、その借金を帳消しにしてやった。(マタイ18:23-27)

タラントンというのはお金の単位で、6,000ドラクメに相当します。「ドラクメ」というのは「デナリオン」と同じ価値の通貨で、この「デナリオン」が一日分の賃金に相当します。ですから、「タラントン」は6,000日分の賃金に相当するお金で、さらにこの家来の写金は一万タラントンですから、その一万倍です。今のお金に換算すると4,800億円になってしまいます。とても返せる借金ではありません。しかし、この王様はこの返すことのできない莫大な借金を抱えている家来を憐れに思って赦し、借金を帳消しにして下さったのです。



【権威ある仲介者~イエス・キリスト~

私たちもまた、同じように返すことのできない莫大な借金を抱えている家来のようなものです。神様に対して「罪がある」とはそういうことなのです。だから、私たちは自分の財産を売り払って、宝の隠された畑を買う事も、良い真珠を買う事もできません。4,800億円も私たちは持っていないからです。私たちが天の国に入るには、その宝を買うのに必要な代金を誰かに払って頂かなければならないのです。それがイエス・キリストです。この方が、十字架の上で私の罪の裁きを、私の代わりに引き受けて下さったので、私の借金は帳消しになったのです。ひとり子をこの世界に送って下さって、神様がそうして下さったのです。プリンス・オブ・ウェールズ、カンタベリー司教、イギリス総理大臣のビーコンスフィールドという権威のある仲介者のとりなしによってシートンが大英図書館に入ることができたように、私たちも権威ある仲介者のとりなしによって、天の国に入ることができるのです。



【高価な真珠】

ところで商人がさがしていたのは「高価な真珠」でした。この「真珠」がどのようにできるのかご存知でしょうか。真珠というのは貝の中で生成される宝石です。貝殻の成分を分泌する外套膜が、貝の体内に入り込むことによって天然真珠が生成されます。小石とか寄生虫等の異物が、この外套膜と一緒に貝の体内に入った時に、真珠が生成されます。この外套膜は細胞分裂して袋状になって、真珠を生成する真珠袋を作ります。そして、その中でカルシウムの結晶と有機質が交互に積み重なった真珠層が形成されて、真珠ができます。つまり、小石とか寄生虫とかの「異物」によって「外套膜」が貝の中に取り込まれることが、天然真珠ができる条件なのです。少し難しい話ですが、要するに、貝にとっては好ましくない小石とか寄生虫とかの「異物」が体内に入ってくることが天然真珠ができるきっかけとなるのです。キリストも同じようにして下さいました。つまり、キリスト御自身の性質ではない「罪」を身に引き受けて、十字架にかかって下さったのです。ここに「罪の許し」があります。この「権威ある仲介者のとりなし」によって、私たちは天の国に入ることができるのです。受け取る者とってキリストは「高価な真珠」です。どうかこの「高価な真珠」を受け取って下さい。この「高価な真珠」を受け取るならば、私たちは天の国に入ることができます。