中学校に入学して一ヶ月後、今度は下北沢の国立小児病院に入院しました。

セカンドオピニオン、のようです。

入院する前日、ホームルームの最後に先生が言いました。『芹澤さんは明日から一ヶ月入院します』。

夕日が教室の中をオレンジ色に染め、椅子に座ったそれぞれの静かな背中に影を落としています。

そして入院した私が知らぬ事が学校では行われていました。

入院生活はまず、朝食をとり、清拭をします。お風呂には毎日は入りませんでした。

着替えが終ってカーテンを開けると、誰かが言いました。『今日みんなパジャマがオレンジだね』。確かに。小さな小さなファッションショーです。

最初はなかなか皆に打ち解けられず、国語の教科書を持って年長のお姉さんに訊きに行きました。『この漢字、何て読むんですか?』

『勉強していたのね』とお姉さん。それからか、皆と自然に振る舞うことが出来るようになりました。

隣のベッドの子と仲良くなりました。彼女のユーミンのカセットのジャケットには、キスをしている恋人たちのイラスト。

『これ、エッチだよね』。彼女はふざけています。

ある日、両親が何やら分厚い封筒を持って現れました。担任の先生がクラスメイト全員に『贈る言葉』とやらをハガキ大の画用紙に書かせていたのです。

流行りのアニメの可愛いキャラクターを描いてくれた男の子。下書きの鉛筆がうっすら残っています。『上手な絵だなあ』と父。

陸上部のカッコいい女の子は、達筆で『くじけずに頑張って下さい』とひとこと。

ひとり笑えた男の子は、『くれーなずむーまちのーひかーりとかげのーなか』と海援隊の『贈る言葉』の歌詞を書きかけ、『あいーするあなたに』とボールペンで書いてしまい、そこだけぐしゃぐしゃに塗りつぶし、最後に『ガンバッテクダサイ』。

看護の実習生さんと親しくなり、退院後も文通しました。

『中学に好きな男の子はいないの?私は憧れの先輩がいたわ』。

そんな男の子はいませんでした。私は学校より病院が好きでした。

学校にはいじめがありましたが、病院の皆はわかち合っていました。

カーテンで閉ざされたベッドで切開をされた女の子の泣き声を皆黙って聞きました。

退院後、知ったのはクラス全員が私の為に授業のノートをとっていてくれたことでした。さまざまな字がノートの上で舞っています。勉強以上のものを受け取りました。中間テストはもう目の前。

その病院には、学校を休んで年4回、季節を感じながら通院しました。

毎回雑貨屋さんめぐりをして、下北沢が大好きな大人になりました。

今はもう、国立小児病院はありません。

何としたか『贈る言葉』もノートも無くしてしまいましたが、今も私は中学校の校歌を口ずさみます。

名曲なのです。