今の万博の話はしませんが、
1970年大阪万博時代、私は小学校高学年で、
万博が楽しみで仕方ありませんでした
都合3回、見学に行きましたが、
最初に行くことができたのは、開幕から3ヶ月後、
小学校からの(ワクワクの)社会見学でした
その時、とりわけ印象に残ったのは、
なぜか桜の花びらを模して5号館まである内、1号館のみパスさせられた、
悪い意味での記念になった日本館と、
そして、内部をエスカレーターで展示を見ながら登った、
太陽の塔でした
その内部展示は、70mの塔の大部分を使った、
「生命の樹」と名付けられた、生物進化の系統樹をイメージしたもの
薄暗い館内を上に上がっていくにつれて、
生物の進化と文明の進歩を体験して行き、
最後は現代の人類にまで至る筋道を目にするというものでした
つい先年、久々にマスコミに公開されたその展示が公開され、
かなり劣化して、みすぼらしく見えました
とはいえ、見学した1970年には、
生物進化を目で見える、それも特大の姿に、
あの時は、かなり興奮したことを覚えています
子どもの頃から魚や生き物について関心を持ち、
ダーウィン進化論や総合説についても、
分易く説明してくれる教材もあり、
書物の上では進化論を理解していましたが、
塔の中に高く聳える系統樹のイメージに、
荘厳さを感じたのは、よく覚えています
しかしその約10年後、自分が生物進化の専門分野に足を踏入れた頃、
1本の大樹の如き系統樹を形作る、旧来の進化理論に代わり、
分岐(分類)学という新しい理論が、1950年代に提唱され、
およそその頃70年代初期に、生物科学の主流として認められ出したと知りました
分岐分類とは、乱暴に説明して言うと、
前提として、生物進化がどうして起きるのかは問わず、
一定以上の数量の形質が変化した、
多く、自然の交雑が見られない状態を種分岐とし、
その複数の種の間で、より共通の形質が多い種のまとまりを、
共通の祖先種を持つ単系統群とする
以上、簡単なようでやっぱり、
複雑な言いようにならざるを得ない、
進化と種の定義です
そしてそれを表わすのが、
天を目指して伸びていく、大樹のような系統樹でなく、
勝抜き戦の競技大会のトーナメント表、
その、結果に誰かの想いを込めることを拒絶するような表を、
さらに逆か横に置換えたような、
クラドグラム(分岐表)です
これが思想的に意味するのは、
①生物進化から進歩の概念を排除する
→従って、ヒトが万物の霊長であるとする思想を全否定する
②哺乳類に対する爬虫類のような、側系統群を認めない
→化石についても、地質年代を考慮した上で、
現生種を含めた単系統群を、等しい存在として分類の単位とする
このように考える、生物進化の基本思想です
これが、大阪万博で、シンボルテーマ「人類の進歩と調和」
その象徴たる、太陽の塔の「中身」である生命の樹=系統樹が、
集まった人々を魅了している、まさにその時期に、
ヒトが至高の存在であることの肯定から否定に、
自然科学の前提が大きく転換しつつあったこと
これは、大阪万博からほんの2年後、
ニクソンショックから始まる高度経済成長時代の終焉と、
ほとんど期を一にしていることを、
ずいぶん後になってからではありますが、
思い知らされたものでした
あの大阪万博の時に本気で、あると信じた「人類の進歩と調和」は、
驕り高ぶった私たちの夢見た虚構だった
少なくとも生物科学に関わった立場から、
そのようにずっと感じでいたのです
つい先日のTV特集で、
設計した岡本太郎は、太陽の塔を、
元々万博終了後、
速やかに撤去することを前提としていたと知りました
何か、象徴的な、予言的な話のように感じています
そして、今度の万博の思想は、果たしてどうなのか、
と考えています(2025.5)
