「ピラトは群衆を満足させようと思って、バラバを釈放した。そして、イエスを鞭打ってから、十字架につけるために引き渡した。兵士たちは邸宅、すなわち総督官邸の中にイエスを連れて行き、部隊の全員を呼び集めた。そして、イエスに紫の衣を着せ、茨の冠を編んでかぶらせ、「ユダヤ人の王、万歳」と挨拶し始めた。また、葦の棒で頭を叩き、唾を吐きかけ、ひざまずいて拝んだりした。このようにイエスを侮辱したあげく、紫の衣を脱がせて元の上着を着せた。そして、十字架につけるために外へ引き出した。」(マルコによる福音書15章15-20,協会共同訳)

 

子どもの頃、宝物として、

いくつかの、綺麗で珍しい貝を集めていた中、

一番大切にしていたのが、

種名までははっきりしていないのですが、

おそらくバショウガイ類(新生腹足目アクキガイ科)にあたる種の、

数cmの、薄オレンジ色の貝でした

 

バショウガイ類は、

貝殻から長い棘が沢山生えていて、人工の飾りのような美しい姿の、

ホネガイ(同科アクキガイ属)やアクキガイ(アッキガイ,同属)と近縁の貝です

貝殻の表面に出来る盛上がった縦筋を、縱張肋と言いますが、

アクキガイ等で、そこに棘が生えている代わりに、

バショウガイ類では、縱張肋が鰭状というか、

膜のように伸びた部分があるのです

 

その3枚の膜がとても印象的で、

引越しを繰返す中、紛失してしまったけれど、

バショウガイ類を見るたびに、今でも心が惹かれます

 

それらアクキガイ科の中には、

アカニシ,アクキガイ,イボニシ,レイシガイ,アワビモドキ(ロコガイ)といった、

食用として知られている種類もありますが、

世界的によく知られているのは、

これらの貝から採られる、貝紫という紫色の染料です

 

古代から紫色の染料の原料となるのは、

ムラサキ類(シソ目ムラサキ科ムラサキ属)の根を乾燥させた紫根、

コチニールカイガラムシ類(臙脂虫,カメムシ目ヨコバイ亜目カイガラムシ上科)の、

体液等がありますが、

発色の美しさ、色落ちの少なさで卓越するのが、

アクキガイ科の鰓下腺(刺舌から出す麻痺毒の分泌腺)から採れる、

分泌液が日光にあたることで紫色になった、インディゴ染料です

 

中でも古代ヘレニズム世界では、

シリアツブリガイ(アクキガイ科ツブリガイ属)から採れる貝紫は、

ロイヤルパープルと呼ばれる、特別に高価な染料でした

 

アレクサンドロス大王,カエサル,クレオパトラといった、

歴史上最高に有名な王たちが、

いずれも紫色の衣の姿で多く描かれるのは、

ロイヤルパープルの高貴さと、

1gの染料に貝が数千個以上必要という、その貴重さからでした

 

中世以降の各国王家が、英国のロイヤルブルーはじめ、

他のシンボルカラーを用いるようになったのも、

一説には、染料のためシリアツブリガイ等を乱獲によって枯渇させ、

美しい紫色が得られなくなったからだそうです

 

そのアクキガイ科貝類の貝紫を用いるのが、紫の布ですから、

古代地中海世界では、紫の衣は、王の特権でした

その衣を、イエス•キリストは受難物語で、

ローマ総督ピラトにより死刑判決を受ける際に着せられました

 

その記述は、マルコ,マタイ,ヨハネの3福音書で、少しずつ違いますが、

イエスの死刑宣告が、

王を僭称して、ローマ皇帝に反逆した罪への、

それが冤罪だからこその、読む者の心に突き刺さる強い敵意と、

イエスが王服を着た上で、鞭打ちにあっているという、

絶対権力に背いた者の惨めな姿をかえって際立たせる、

見せしめの効果を狙ったものでしょう

 

ローマ帝国での十字架刑は、

死刑の中でも、失血死させるまで長時間をかけ苦しみ続けさせる、

とりわけ残虐な刑罰として、国家反逆罪等、

特に重い罪状に対してのみ用いられたそうです

ローマ帝国と、そして裏で死刑を焚き付けたユダヤ神殿当局の、

イエスに対する、ドス黒い悪意を感じさせる記述ですが、

新約聖書でほぼ唯一の、

貝類に関わりある箇所が、この貝紫の話であるのは、

まことに残念なことです

 

とは言え、イチジク,ヨーロッパコマドリ,モミ・カシの木,ハナミズキといった、

後の時代に、イエスの受難物語に因んだ伝説が生じていった生き物が、

どれも、キリスト教の伝統では大切にされているのに、

聖書本文で直接関わりあることが記されている、

シリアツブリガイはじめアクキガイ類が、

イバラとも通じ、その伝統と無縁とは、皮肉な話です

 

しかしながら、その理由が、

イエスの時代含め、地上の権力者が着飾るため、

多くの種の貝が勝手気ままに取尽くされて、

後の時代には、細々としか生残らなかったこと

それにより、人々の印象にも残らなくなったのであるなら、

むしろ、イエス•キリストの受難物語を彩る生き物として、

他に増して、最も相応しいと言えるのかもしれません(2024.9)