私は三陸海岸に短期間ですが住み、岩手県民でもありました
また、水産学を研究していた時代はもちろん、
その後も会議や研修等で、
岩手県を訪れる機会もかなりあり、
生まれ育った瀬戸内の地にも並ぶ、格別な思いがあります
その、岩手を訪れる中で、何度も実感したのは、
岩手の地元の方々による、
宮沢賢治のへの思いの深さです
ただ郷土の偉人というだけでなく、
彼の、エキゾチックな趣さえある文章の中に、
岩手の地を理想郷として描く、
郷土への想いを、今も岩手の方々が、
豊かに受取っていることを感じます
賢治は、盛岡高等農林(現岩手大農学部)出身、
花巻農学校(現花巻農高)教諭や東北採石工業(合成肥料製造を計画)勤務、
さらに近代農業技術や農民芸術を共に進める私塾、
羅須地人協会を主催しつつ、
生涯のほとんどを岩手で過ごしました
その中で、詩,随筆,童話といった文学、音楽作品作曲を行ない、
特に童話を中心として、今も高い評価を受けています
賢治は生前ほとんど無名だったと、よく言われますが、
実質無料頒布に近い出版をした、
ちょうど100年前発行の詩集「春と修羅」(1924)は、
出版時の売れ行きとは別に、
生前から草野心平,中原中也はじめ、
詩壇で高い評価を受けたようです
それは、死の翌年に早くも、
文学全集が編纂•出版されるほどでした
花巻農校辞任の時の言葉にもあったようですが、
賢治は農民として生活する道を選び、
それほどは、作品を世に問わない一生だったようです
その、実は生前から高い評価を得ていた、詩集「春と修羅」の中に、
あまり有名ではないながら、
私が気に入っている詩があります
「蠕虫舞手(アンネリダタンツエーリン)」という詩です
「(えゝ 水ゾルですよ/おぼろな寒天アガアの液ですよ)/日は黄金きんの薔薇/赤いちひさな蠕虫が/水とひかりをからだにまとひ/ひとりでをどりをやつてゐる/(えゝ 8エイト γガムマア eイー 6スイツクス αアルフア/ことにもアラベスクの飾り文字)…」(青空文庫版)
蠕虫舞手という題に付いているルビ、アンネリダは環形動物門の学名、
タンツエーリンは、ドイツ語で舞姫,ダンサーを指します
アンネリダをボウフラの意で用いたとの解釈もありますが、
農学の専門教師でもあり、
ラテン語やエスペラント語を解する賢治が、
取違えたとも思えません
この詩は、赤い体をくねらせて泳ぐ、
イトミミズ類(環形動物門環帯類貧毛綱ミミズ目イトミミズ科)
についてと考えるのが、
終生、身近な自然と動植物を見つめ続けた、
賢治の作品の登場人物として、最も自然でしょう
イトミミズは、世界中の主に淡水の底質に住む、
広義のミミズ類に属する動物です
ミミズ類全般に当てはまる、
退化的な目や口触手を持ち、釣り餌としても良く用いられるように、
水から出ると乾燥を防ぐため、多数で塊状になって、
長期間生残る力があります
普段は水底に潜り、陸上のミミズ類と同じように、
水底の沈殿物や、底質の中の有機物を摂取し、
水中に出した肛門部から排泄します
これが冬季の湛水田圃では、肥料となると同時に、
ゼリー状に堆積し、雑草の発芽を防ぐという役割を担います
詩の冒頭「水ゾルですよ/おぼろな寒天アガアの液ですよ」が、
まさに、それに違いありません
そのように、イトミミズは、身近で大いに農業の役に立つ動物ですが、
他方で水質汚濁に強いことから、
血液中のヘモグロビンが低酸素状態で赤味を減らす、
あるいは汚濁環境で生育密度を増すという特徴が、
水環境の分易い指標生物として用いられます
その特徴は、賢治も熟知しているようで、
詩の後半にある部分、
「…真珠の泡を苦にするのなら/おまへもさつぱりらくぢやない/それに日が雲に入つたし/わたしは石に座つてしびれが切れたし/水底の黒い木片は毛虫か海鼠のやうだしさ/それに第一おまへのかたちは見えないし/ほんとに溶けてしまつたのやら…」
について多くの評論家から、賢治によるイトミミズへの、
前半が文学的な視点であったことに対し、
科学的なとらえ方をここでしているという評価が多いけれど、
私には、イトミミズが水面近くで見事に踊りを見せる一方、
その生息域が、暗い汚濁域であることを知っていて、
賢治がそこに思いを馳せているのではと、どうしても思えてしまうのです
私は、この詩から、
農民としてたくさんの自然の命と共に生きる、宮沢賢治が、
あたかも「ファーブル昆虫記」でアンリ・ファーブルが見せた、
生き物を一方で、生物学的に正確に観察・描写しつつ、
同時に豊かな愛情を注ぎ、人格的な描写により、
文学的にも大きな魅力を与えた、
その名著にも通ずる、
小さな「蠕虫舞手」への視線を感じるのです
それにしても、
おそらく手本になる文学作品もなかった中、
あのイトミミズをイトミミズとして、これだけ可憐に描く、
宮沢賢治には、いつも、心が惹かれるのです(2024.9)
