最も美味な白身魚はと聞かれて、

関西の寿司屋さんなら、定番のトラフグ,マダイ,ヒラメに加え、

アユ,クエ,アコウ(ダイ,キジハタ),タマカイ,イサキ,タチウオ等々、

季節,地域の違い等もあり、

意見がかなり割れる気がします

 

対して首都圏の寿司屋さんなら、

ホシガレイ(カレイ目カレイ科マツカワ属)を挙げる人が、

最も多いだろうという、話を聞いたことがあります

 

暖流域の魚で、西日本にもいるのですが,

漁獲量が多いのは、東日本であることも、

特に関東で珍重されている理由と思われます

 

三陸も、暖流が沿岸を流れているので、

ホシガレイの産地とされ、

宮古や大槌の魚屋やスーパーでも、

1980年代のことですが、

ホシガレイが売られているのを、

見かけたことがあります

ただそれほどまとまって漁獲されないので、

当時は今ほど、

高級魚扱いではなかったかもしれませんが

 

そのホシガレイを、安定的な提供ができ,

かつ、より求めやすい価格で販売するため,

三陸の宮古漁協が、

陸上完全養殖に取組み、出荷が始まりました

同属で形も似たマツカワ(背鰭臀鰭に黒い横縞)と並び、

ヒラメ•カレイ類で、最も美味しいとされる、

ホシガレイ(背鰭臀鰭尾鰭、また多く裏側体側に黒い斑点)が、

その内、もっと手軽に食べられるようになりそうです

 

そのホシガレイは、「東海道五拾三次」で有名な、

歌川(安藤)広重が、綺麗な浮世絵を、

描いているのです

広重は、風景画、名所図絵で人気を誇りましたが、

切手にもなった有名な「月に雁」はじめ、

多くの動植物の絵を描いています

その中に、「魚づくし」という、

一連の魚介類を描いた画集があるのです

 

江戸時代の浮世絵の一大ジャンル、花鳥図の中に、

鳥以外を描く、動物画があります

魚を描いた絵はかなり少数らしいですが、

そこに含まれる絵になります

 

広重の花鳥図,動物画は、どちらかというと、

同じ対象の構図を変えて何枚も描くというより、

多くの種を描いているようですが、

生物種によつて、写実性に、かなり差があるようです

 

あまり批評家は言っていないようですが、

それはおそらく、その生物を直接写生したか、

記憶によって、ある程度想像したかの、

違いと考えて良いでしょう

 

広重は、花鳥図と比べ、

残された動物図は少ないのですが、

全体的に動物図の写実性が少ないのも、

手元に取寄せることが難しかったと、

考えるのが自然でしょう

その中でも、写実性がかなり高いと思われるのが、

「魚づくし」の魚介類です

 

ところが写実性が同じく高いながら、

完成程度が、どう見ても介類=エビ,アワビと、

魚類で、差が感じられるのです

 

もちろん、私が広重版画の芸術性を論じることは出来ません

しかし、大部分の魚類の図で、

詳しく魚そのものを見て書いているらしい、

詳しい描写がある割に、プロポーションが、

不思議に、あまり正確でないようなのです

 

これは、裏付けない、個人的感想ですが、

欧州の博物学挿絵を中心とする魚類の絵も、

初期はプロポーションがかなり歪つです

それは、初めの時代、

水生生物は、水中ではなく、

漁獲されて、地面に置かれ、少なからずへしゃげた画こそ、

本当の姿を表わしているという思想からでした

後に書かれた正確な標本図では、どの生物も、背景を廃しますが、

初期は基本的に、生きている姿を描こうとして、

地面に立ちあるいは寝た姿勢の図なのです

そして魚も、地面の上が、

本来の姿勢と考えられていたのです

 

広重の魚類は多く、生きている姿でなく、

卓上に置かれた姿で、その立体的な形は、

あまり他になかったのでしょう

広重以外の絵でも、プロポーションが正確と思える絵は、

あまりないようです

その意味では、殻を備えたエビや貝は、

調理前をあまり見慣れない魚類とは違う

このようなことを想像します

 

その「魚づくし」の魚類では、

どちらかと言うと、側扁した魚の方が、

プロポーションが正確なように感じますが、

 

中でも最も正確なのではと思うのが、

ホシガレイです

広重の絵は、裏側の、尾柄,尾鰭が隠れたものですが、

体側の黄色やランダムな黒点など、

変異の多い魚種ながらも、

確かに実在する姿が、描かれています

 

平べったいカレイ類だからこその、

広重が正確にかけたほど、調理後も、

プロポーションが変わらない姿を、

普段から見慣れていたためでしょうか

 

私自身が、勝手な思い込みを言っているだけかもしれません

その上で、洋の東西問わず、

プロの画家が、写実的な絵を描いたつもりでも、

水中で普段見慣れない存在の魚を、

その時代のイメージから脱して、

正確に描くことは、

なかなか難しいのかも知れません

 

これは、ただ写生画に留まらず、

生物を、人間の自分に引寄せた思込みから離れ、

正確さ、あるいはその本質を知ることは、

同じ生き物だからこそ、

難しいのかも知れないと、思わされます(2024.8)